咬みつく子犬
僕たちは金のために何でもやっているけれど、それは贅沢したり資金にしたりしたいわけではない。
密売も傷害も、すべて食っていくためにやっている。あの狭く陰った無秩序な部屋で、千歳たちと同じバスケットに入れられた子犬のように過ごす以上のことは、求めていない。
そういうものなのかもしれない。僕は生きていくためだけに、他人の背後を襲うのだ。
すべてに咬みつき、その血を輸血する。その血がHIVに毒されているかもしれないのは分かっている。でも、それにビビっているのは負け犬だ。生きていくとは、しょせんそういうことなのだと思う。
そしてまた僕たちは、夕食代のために塾帰りらしい中学生を襲う。高校生かもしれないが、まあ、そんなのはどうでもいい。遅い時間の公園なんか通ったのが、彼の運の尽きだった。
相変わらず、紡麦の童顔はとっさに親しみやすくて便利だ。はっきり言って、見た目ならちっちゃくて弱そうで、油断させる。
その公園は駅前と適度な距離もあり、ならば立ち止まらせる台詞は決まっている。
「すみません、駅がどっちか分かりますか」
これで「えっと」とか素直に駅の方角を向くような良い子なら、僕が後ろから首を取って、咬むなんて古典的なことをされないよう、口にタオルを押しこむ。
彼は僕の腕の中でこわばり、大切なのはここで紡麦が第三者ぶることだ。紡麦はぎょっと硬直したのち、「教えてくれてどうも」と早口に残すと、無責任に“駅のほう”へ走っていく。
「あいつ、友達?」
僕に首を取られる彼は、ぎこちなくかぶりを振る。彼の着る青いナイロンのウィンドブレイカーが、がさがさいう。
「ふうん。冷たいもんだな。で、金はある?」
彼は、今度は必死に首を横に振る。髪からあんまり好きではないにおいがする。
「ほんとに」
彼はうなずく。「じゃあしょうがないな」と背後霊みたいな僕は、その耳元にささやく。
「ほかのことで、たしになってもらおうか」
僕は冷えこんだ指で、上着のポケットから取り出したものを彼の背中に押しつけた。彼の呼吸が、縛り上げられるように震えた。
マンションの住宅街に面した公園は、ひっそり白い街燈のみたたずんでいる。
僕は彼を土の匂いがする植木の裏に突きやり、依然背後にいて顔は見せないまま、よだれの染みこんだタオルで、彼をきつく目隠しにした。
銃をしまって向き合うと、まず、悲鳴を上げられないように腹に膝蹴りを入れた。切断された呼吸に、白く咳きこんだ口元を殴りつけ、地面に膝をつきかけた腕をひねりあげる。僕はいっとき彼を眇目で眺めると、「やり返さないのか」と白けた声で言った。
「幼児虐待は趣味じゃないんだよ。手応えもないガキを殴って、何が楽しいんだか」
僕の言葉に手を握りしめた彼は、唸り声を上げ、目隠しのまま拳とかばんを持つ手を振り上げてきた。僕はそれを、かわしたり止めたりする。彼が目隠しをむしり取ろうとすると、臑を蹴ってその場に転ばせる。落ちたかばんはあとで見るとして、勇敢に立ち上がろうとする手や足や肩を踏みつけ蹴りつけ、絶望だけにしていく。
やっと植木の向こうに戻ってきた紡麦は、腕組みをして観察したのち、「せめて笑って楽しんであげればいいのに」とつぶやいた。僕はその言葉に咲うと、かばんを顎でしめし、拾いにいった紡麦は、中をあさって教科書やノートを土壌にまきちらす。
空になったかばんを、スナック菓子のふくろを最後まで残さないようにするみたいに振り、虚脱した少年を踏みにじる僕に肩をすくめた。「ちぇっ」とつぶやいた僕は、彼を脇腹を蹴りあげた反動でうつぶせにし、首を踏みつけて抑える。紡麦がポケットを確認すると、財布から二千円が出てきた。
紡麦はさっき僕が蹴った臑をまた蹴りつけて、立ち上がる権利を剥奪する。ついで僕が肩にかかとを突き落とし、その痛みに気を取らせると、手早くタオルをほどいて僕たちはその場をあとにした。
「二千円だって。くすん、超安売りのエル一ヒットがせいぜいね」
「山分けで千円だよ」
「チビワインしか買えん」
「僕は千歳に頼まれてる牛乳とたまご買えるからいいや」
「暴行した金で牛乳とたまご」
「文句ある?」
「いえ、別に。俺はどうしよ。ビデオ借りようかな。お菓子買おうかな」
「たまには食費出してくんないかなー」
「んじゃ、あげる」
そんなやりとりをしながら、僕たちはいつもの界隈に戻り、タオルはゴミ箱に捨てる。
あてもなくふらついて、掏った金でくだらないスプラッタ映画を観ると、時刻は午前四時になろうとしていた。二十四時間営業のスーパーで牛乳とたまごを買うと、僕たちは帰路についた。
「ピストル使って遊びたいよね」
めずらしくプレーンな煙草を吸う紡麦は、闇に息づく色彩に煙を吹く。周りには人間がごたごたしているが、ガキが歩き煙草をしていて目を止める土地柄ではない。とはいえ、さすがにマリファナの香りを引いて歩いたら大胆すぎる。
「今日使ったけど」
「撃ちたいんだよ」
「僕は、撃つなら撃ちまくりたいや」
「あれは何発かで終わっちまうだろ。追加の弾なかったし。ほら、さっきの映画で頭撃ってたじゃん」
「あー、あれはいいな」
「頭吹っ飛ばすなら一発でできるし。ああ、ゾンビな世界」
「吹っ飛ぶ威力あるかな。でも、誰をやんの」
「友達以外なら誰でもいい。どっか遠出できたらなあ」
「近くでいいじゃん」
「サツにばれたら、俺は間違いなくオカマ掘られるからやだ。車あればいいのに。希月、車盗んでよ」
「何で僕? 千歳が外に出られたら、運転できるんだけどな」
「え」と紡麦はこちらにまじろぎ、「知らなかった?」と僕こそまじろぐ。
「真っ当になろうとしたとき、千歳は免許取ってんだよね。十九のときだから、期限も切れてない」
紡麦は人間がひしめく正面を向き、悪戯好きの天使みたいににんまりとした。その笑みのしめすところに、「待った」と僕は彼の前にまわりこんで後ろ歩きになる。
「千歳を引っ張り出すのは──」
「あ、電柱」
僕はさっと振り返り、しかしそこには何もない。笑った紡麦を睨みつけ、「千歳はダメだからな」と白む息と強く言い切る。
「千歳は、僕たちとは神経が違うんだ。あいつをどうこうするなら、この銃ドブに捨てる」
「ホモ」
「何て言っても、引っ張り出すのは許さない」
「ふむ。ま、俺もそんな、友達を無理強いで傷つけてまで、がめつこうとは思いませんわ」
「……ならいいけど」
「しかし、もし、千歳が仲間に入りたいと言ったら」
紡麦は僕の隣に並んで、にやにやと目を細めた。
「俺たちとなら平気、って外出したがったら。それって引きこもり改善じゃないですかー」
「うっ……」
「あーら、もしかして、千歳が外の世界を知って、自分を離れることにビビってらっしゃるのかしら」
「そ、そんなんではないけどっ」
「ひとりで行かせるわけでもないしさ。希月も一緒で、俺の頼みとなれば無下にもできないっしょ。きゃっ、獲物は誰だっていいし」
勝手に通り魔計画で盛り上がる紡麦を、「利用するなよ」と僕は引きずりおとす。
「千歳がどれだけ人を信じるのに苦労すると思ってんだよ。無下にできないとか、あー、お前そういう奴なわけ。すっげえ見損なった」
「希月も遊びたいだろ?」
紡麦は煙たい息と共に僕の首に手をかけ、「そのために千歳を鬱状態にしてどうすんだよ」と僕は容器を滑り出るゼリーみたいに、するりと身をかわす。
「鬱状態って、どんな気分か知ってる?」
「知らない」
「すっごい感じ悪いんだ。千歳のは僕よりもっと深いんだ。それのせいで、数年間毎日二十三時間くらい、ふとんかぶってるしかできなくなったことすらあるんだ」
「らしいね」
「千歳をわざとそんなのにたたきこむなんて、許さない」
「君、やっぱ、千歳に気があるな」
「ない」
「千歳が関係すると、淡白くんから熱血くん」
「別に、紡麦のためにだってこうなるんじゃないのっ」
さすがに鼻白んだ紡麦の足元に唾を吐き捨てると、僕は捨て鉢なふくれつらで歩き出した。しばらく間があって、それから僕を追いかけてきた紡麦は、「優しいねえ」と煙草をふかす。
「そう怒るなよ」
「僕はどうせ優しいよ。ださいよ。過保護野郎だよ。おえっ」
「冗談じゃないですか」
「こないだも僕が優しいとか言って笑ってた」
「希月がそう言うなら、千歳にはそっちのがいいんだろうなってことだよ」
僕はずんずんと進めていた足を緩め、振り返らないまでも視界を目尻に移す。紡麦は指先にマフラーみたいに紫煙を引いて、隣に追いついてくる。
「悪いなって思うんだよ」
「……悪い?」
「俺たち、いつも千歳を部屋に置いて、仲間外れにしてるじゃん」
どきりとして、僕は紡麦を見る。紡麦は地面に紙類のゴミがないか確かめて灰を落とす。
「希月がまだダメだと思うなら、そうなんだろうけど。いつかは言ってやれよ、『一緒に遊ぼう』って」
「僕が」
「希月が『できる』って信じてやるのが、あいつには一番効きますわよ」
「……そうだな。でも僕は、いつも帰るといてくれる千歳も好きだよ」
「……マザコン」
僕は紡麦をはたき、紡麦も僕をはたきかえすと笑った。「たまご割れたね」と言われて慌てて確かめると、さいわい無事だった。
明日の朝食はたまご料理だろう。別に千歳を閉じこめる気はなくても、僕はあの部屋で彼がそういう温かな料理を作って待ってくれているのは、ほっとする。
僕はあの帰る場所があるから、きっと何だってやれるのだ。
じっくり冷えこんだ頬を切る風にふたりして身をすくめていると、裏通りに出る路地に到着して、僕たちはそこにもぐりこんだ。
【第二十章へ】
