空の雫-24

彼女の真実

「あいつ、あたしの保護者なの」
 部屋に戻ると、星華は千歳とテレビを観ていた。
「おかえり」と出迎えた千歳に荷物は預け、僕と紡麦は星華のかたわらに行く。悪ガキの格好をした彼女は、こちらに顔を仰がせる。僕は紡麦と目を交わし、「あのさ」と努めて淡々と、今夜の出来事を彼女に語りはじめた。
 ひと通り話すと、ビニールぶくろを開く音がいつのまにか止まっていた。軆にも暖房が染み渡っている。不穏な展開に、恐らく怯えている千歳のそばには紡麦が行って、「お菓子ない?」とか言う。
 僕は星華から目をそらさない。彼女は深い息をつくと、ガラスのような瞳を空に泳がせ、それからにっこりとして言った。
 ──保護者。
「父親か」
「まさか」
「じゃあ何だよ」
 星華は顔を伏せて、紅茶色で顔を隠した。部屋の空気が重くて、肺にまで負担がかかる。
 僕は上着を脱いで彼女の正面に座り直した。
「嘘ついてるのか」
「……嘘は、ついてない。たぶん」
「たぶん」
 星華はしばらくうつむいていたが、集まる視線と張りつめた沈黙に耐えきれなくなったのか、まるで死でも覚悟したように吹っ切って咲った。
「昔の客なの」
「昔の」
「中学生だった頃のね。売りの客」
 星華は床に目をそらし、僕はキッチンを振り返った。千歳は不安そうにこちらを見ていて、紡麦は冷めた眼つきで棒サラミをかじっている。
 窓が風でがたついた。
 気だるい暖房は紡麦にも行き届いたのか、彼はニットキャップを取り、「そいつだって分かってたわけ」とリュックを床に放る。
「そりゃあね」
 星華はすねた子供のように脚を抱える。千歳はふくろに向き直る。
「いつからのつきあいなんだ」
 マフラーを外しながら訊くと、「十三か四」と星華はふてくされて答える。
「売りを始めたのは」
「十二」
「ひとりで」
「………、仲間と」
 こちらにやってきた紡麦と、僕は再び視線を交わす。やはり僕たちは、星華をまだ知らないらしい。
 僕は冷えきった名残で軋む膝をさすりながら、「星華」と彼女の瞳をこちらに釣りあげる。
「僕たちはセラピーグループじゃないし、一緒にいるために全部吐かなきゃいけないとか、そんなのはない。でも、普通に、なるべくなら知っておいたほうがいいこともある。僕がキレるのとか、そのものだろ。あんなん、事情聞いてたって癪に障って仲違いになるかも」
 星華は億劫そうに目を細め、僕も紡麦もすりぬけて正面を見やり、ため息をつく。そして、すりきれた膝に睫毛を下げると、「何か」とうつろうように疲れと笑みが相俟った声で言った。
「考えれば考えるほど、どこを省略すればいいのか分かんなくて、面倒臭くなって。長ったらしくなるんだよ」
「お前、父親に殴られてきたのにへらへらしてるの、そっちのがきつかったからじゃないか」
「そうかもね。ごめん、やっぱ嘘ついた。あたしは家出したんじゃない。追い出されたの」
 僕は星華の、伏せがちになると人形みたいに長く見える睫毛を見つめた。
 千歳がふくろを片づけて僕の隣にやってきた。夕食はできあがっているのか、いい匂いがしている。
「あんな家出てくつもりだったのは事実だし、大してこたえなかった。あの男があたしんちに来て、売りとかぜんぶ父親にばらしてさ。知られてると思ってたら、あんがい知らなくて。むこうもショック受けたとかではない。淫乱な娘なんかいらない、っていうのはあいつにはいい口実だったんだと思う」
「家に来たって、何で」
「あたしをさらいにきたんだよ。それとも、仲間みたいに引き裂こうとしたのかな」
「仲間みたいに」
「あいつは、あたしが自分以外の人間とつきあうのは気に入らないの」
 次第に星華の口調は、その男への悪感情が滲んだ、投げやりなものになっていく。
「学校サボってふらふらしてるときに知り合った子たちと、売りのグループ始めたんだ。仲間には男の子もいて、商品の女の子を男の子が斡旋するの。ボスの男の子はふたつ年上で、すごい頭が切れてさ。裏と表を完全に使い分けてた。親とか教師の前では神童の優等生で、裏では密売も輪姦も平気な極悪人。あたしにはすごく優しかった。結局、キスしかしなかったけどさ。ほかの仲間とも気が合ったし、やっと落ち着けたって感じだった。で、あいつはあたしの居場所が自分の隣以外なんて許せなかった。みんなと遊びはじめたから、あたしに出会えたくせにね」
 僕は話を聞きながら、鬱が去ったばかりで不安定な千歳を盗み見た。気分が悪そうだ。
 紡麦は期待外れだった映画を、金を出したからには最後まで観るような無表情だ。
 僕はふと自分はどんな顔をしているのかと思ったが、意識すると妙に頬がこわばってしまった。
「電話で注文受けて、客と女の子を落ち合わせるやり方だった。デリヘルみたいな感じかな。あいつ、家ではいわゆるマイホームパパなんだよ。ご飯作って待ってる奥さんと、大切なひとり娘がいる。まだ小学生のね。満足してるはずなのに、何でまだ欲しがるのか、あたしは幸せな家庭なんて知らないから分からないけど。とにかくあいつはあたしを買って、やばいくらいハマって、私生活にまでつきまといはじめた」
 僕は爪先を見つめている。満足してるはずなのに。むしろ、満足しているからだろう。満たされていなければ、飽食はできない。
「そしてストーカーしてるうち、自分が知ってるあたしが、客に対する偽物だって気づきはじめたの。あいつは、あたしとリアルに接してる仲間に嫉妬しはじめた。今、あたしはとてもじゃないけどその街にいられなくて、ここにいる。分かるでしょ」
 星華は痺れた笑いを喉にもらして、それに尻目をした僕が、「皆殺しにしたのか」と一応取り合う。
「もっと最悪。警察に通報したり、学校にチクったり、親にばらしたり。もう、あの街をどんな顔して歩けばいいのか分かんなかった。遠くに行くなんて考えもしなかった。むしろ引きこもった。そのころ、あいつの転勤が決まったの。それであいつは、当たり前みたく迎えにきて、父親にぜんぶばらした。あたしは追い出されて、ついてくしかなくなるって寸法ね。でもそのとき初めて、この街を離れるって道に気がついた。その頃、家に入れないから仕方なく街を歩いてたら、ボスの彼に会った。あのときほど、優しい言葉を期待したことってない。でも彼は咲わなかった。親にも学校にも全部ばれておしまいだよって……仲間の何人かは鑑別所で、芋蔓も出てるって。彼の目がすごく怖かった。憎みすぎて発狂して、ぼんやり脱力してるみたいな目。この街は離れようって決めた。一応あいつについてって、やらせて金を貯めたら逃げればいいやって。で、こっちに来た。お金がまとまったら逃げた。だけど、いつの間にかヤク中になって、あのヒモ男に拾われて、部屋にいさせる代わりに働けって。それからは今度は、あのヒモの犬」
 僕はうなだれきった星華を見つめる。紡麦は同情も驚愕もない無表情でサラミをかじり、千歳は聞いたことある段階に来て少しほっとしている。何となく、星華の警察沙汰嫌いを思い出した。
 がたんっと拳でたたくように揺れた窓を思わず一瞥しつつ、「ヒモに男は文句つけないのか」と僕は気になった点を上げる。
「まさか。ヒモは今は監視役なの」
「監視」
「あいつ、捜しあてて部屋に乗りこんできたときはいきりたってたけど、ヒモがあたしに愛情がないのを知った途端、落ち着いてさ。それから、あいつはヒモにあたしの見張りを頼んだ。あたしが帰ってこなかったら、ヒモはお給料なし。だからしょっちゅう迎えに来てたんだよね。部屋に引きずっていって、証拠の写メ撮ったらあいつに送って、報告完了。その日のぶんの金が入れば、そのあとはほったらかすんだけどね。部屋に帰らなかった日は、あとで罰があった。父親の比じゃなくても、殴られて喜ぶ趣味はないし。あの部屋もヒモも大嫌いだったけど、だからあたしは基本的に部屋に帰ってた」
 星華の何気ない意見や行動にわだかまっていた消化不良が、ようやく咀嚼できるほどほぐれて飲みこめてくる。
 警察。帰宅。ほかの男。
「あいつ、七光で重役やってるから金はあるんだよね。この部屋を知ってて、まだ警察とか来ないのは、今希月たちを洗ってるんだと思う。希月たちに逢うまで一匹だったのは、あいつの言いつけ守ってんじゃなくて、仲間と思えた人をまた同じ目に遭わせるのは嫌だったからだけど」
 星華は抱えていた膝をごちゃごちゃした床に伸ばし、アイロンをかけるように手のひらで膝をなめす。そして、もう少し深くベッドサイドにもたれると、僕のジーンズにかかっていた髪がさらりと床にそそいだ。
「希月たちは真っ当じゃないし、言わなきゃいけないと思ってた。気をつけてって。でも言えば外されると思って」
 僕たちは、教師の目を盗んで目配せする生徒たちみたいに目を交わす。「今なら」と気づかない星華はため息をつく。
「間に合うかも。今戻れば。で、もう来ないね。あんたたちは、ばれたら洒落になんないもんね」
 星華は立ち上がって、赤と黒のジップアップニットをつかむ。風音と温風だけの部屋には、袖を通す衣擦れも響く。
「ずっとそいつに縛られてるのか」
 僕はジップアップニットを着る星華の背中に問う。
「逃げようとは思ってる。けど、だんだん面倒になってきてさ。死ねばいいんだよね」
「そいつが」
「あたしが」
「僕たちは洒落にならないんだろ」
「だからあたしといたら、時間の問題で豚箱行きだよ」
「あのさ、そんな奴どうしたらいいかなんて、決まってるだろ」
 歩き出そうとしていた星華は動きを止め、本気で神経を疑う渋面で僕を振り返る。いまさらの反応を僕は鼻で笑い、「そうだろ」と首をかたむける。
「誰かの頭が実験台で必要だったしい」
 紡麦は甘いものを食べたみたいに右手を右頬にあて、無邪気ににんまりする。
「僕たちは表の命綱なんて、残してないから。失くすものはもう失くしてる」
 千歳は少し哀しく咲って、そのふたりをたどった星華は僕に目を戻す。
「決まりだね」と僕は肩をすくめ、紡麦がグラスいっぱいの水があふれるように満面で破顔する。とっさに信じられないとまどいを残す星華に、僕は皮肉な笑いをこもらせていった。
「ゲームなんだよ、そいつにとって。星華はさ」
「ゲーム……」
「ぎりぎりって興奮するだろ。だったら、こっちもゲームで応えよう」

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