野蛮人たち
僕と紡麦は、おなじみの粗悪ポルノを作る口実で、星華を例のモーテルに連れ出した。
昨日の小雨は上がっても、一面に空をさえぎる雲が垂れこめる風の強い日だった。
今日は星華は仕事は休みだ。時刻は二十一時になろうとしている。寒風を密着で防ぐふたりが目に余る桃色の通りで、なるべく緊張を冷ます雑談を意識する。
紡麦はときおり、芸術映画を観ているときのような、らしくない気むずかしい顔でリュックに腕を突っ込んでいた。
「ほかに誰か来るの」
赤と黒のジップアップニットを着、着替えを詰めたデイパックを持つ星華は、そう訊いて風にもつれた紅茶色の髪を撫でる。「もう待ってる奴だけだよ」と白い息を引きながら答えた僕は、路地に面したモーテルのドアを開けた。
「何か、ふたりともいつもと違うよ」
フロントは通りすぎて、エレベータホールへと歩きながら、お姫様みたいに僕と紡麦に挟まれた星華が少し咲う。
「そう?」
「あたしに隠してることでもあるの」
悪戯な瞳をした星華に、「ないよ」と僕はつい咲う。「ね」と紡麦を見ると、「仲間を裏切るとろくなことないからね」と彼は黒いジャンパーに映えるトマトカラーのリュックを肩にかける。
部屋は、よく撮影に使うところだった。思わず親しくなった死刑囚に死刑を執行するような、愛情こめて育てた動物を屠殺場へ運ぶような、何とも言えない罪悪感が喉元に滞る。
ノックする前に、僕は星華を向いた。
「ごめん」
「え」
「こんな方向を取っちゃって」
ガラスの瞳が僕を見つめ、僕は素早く星華の唇に口づけた。僕の一部になりかけていた、あのなめらかな匂いが、離れた僕について引いた髪に香る。
渋面で舌を出した紡麦がドアを蹴ると、僕は胸を十字架にくくりつけ、温かみのかけらをひと息に処刑した。
ドアはすぐ開いた。扉が引かれ、顔を出したのはグレイだ。星華が大きく目を開き、それぞれに目を背ける僕と紡麦を見たのが視界の端で分かった。「星華」と男は泣きそうに陶酔した声で、星華の華奢な腕をつかむ。
「会いたかったよ」
「な、何であんたがここにいるんだよっ。何、希月、紡麦、どういうこと」
紡麦は覚醒剤みたいに白い目で肩をすくめ、「こういうこと」と僕は機械じみた無表情と強さで彼女の肩をグレイの腕に押し倒す。グレイは星華を受け止め、星華はもがいても、男の力に敵わない。
「てめえ、離せっ」
「そんなに暴れることはないだろう」
「何で。どうなってんの。ちきしょう、触るなっ」
「目を離してたあいだに、ずいぶん口を汚したみたいだな。君たちのおかげかい」
グレイは僕と紡麦を見、僕たちは砂のようにざらついて笑う。
「まあ入りなさい。約束のものが用意してある」
グレイは毒に感染した言葉を爆竹みたいにまきちらす星華を連れていく。僕と紡麦は目を交わし、閉口してふたりに続いた。オートロックがばたんと閉まる。
「てめえ、何すんだよっ」
踏みこんだ見慣れたベッドや鏡の室内には暖房がきいていた。いらだった声で髪を振り乱す星華を、男は後ろ手にくくり、その足首をベッドの脚に縛りつけている。
「すぐにほどく。彼らと話すあいだだ」
星華は僕たちを向き、「裏切り者っ」と引き裂けた声でわめいた。グレイはベッドの向こう側に行って、何かあさっている。
「嘘でしょ。信じらんない、あんたたちあたしを騙したの!?」
紡麦はわざとらしく壁のコピー絵画を眺めている。「悪いことするとは思ってるよ」と僕が冷めた声と眼で相手をした。
「でも僕たち、マジでお前が来たせいで困ってるんだ。部屋狭くなったし、金も余計にかかる」
「あそこにいろって言ったのはあんたじゃないっ」
「へえ」と僕はこまねいて鼻で嗤う。
「自殺した母親と、虐待する父親を引き合いに出したのは、お前じゃないか」
「同情させたつもりはないっ」
「じゃあ、あんなうざったいこと語ってくるんじゃねえよ。不幸自慢って吐き気がする。クズの負け惜しみじゃねえか」
「最低、このくそったれ野郎っ。あんたのこと全部ばらしてやるからっ」
「勝手にしろよ。そしたら僕も、お前のこと全部ばらしてやるさ。そしたらお前なんか、鑑別所どころか精神病棟行きだ」
「落ち着きなさい」
割りこんだグレイは、星華の髪をトーストにバターを塗るようにべったりと撫でて、こちらに来る。背広の糊の臭いがする。
駆け寄ってきた紡麦が、いつぞや声をかけた相手だとグレイは気がついたようでも、何も言わずに分厚い白い封筒を差し出した。
「本物か確かめていいですか」
受け取った僕が、冷徹な眼を崩さず言うと、「もちろん」と彼は身を引く。ねずみ色の肩がさえぎっていた明かりが僕の手元に来る。僕は封筒を開け、ステーキみたいな札束を取り出し、ざっとめくって、紡麦と共に透かしを認めた。
「最低」と透かしを見るため明かりにかざしたせいで、僕が受け取ったものが何か知った星華は声を荒げた。
「あんたたち、あたしを売ったわけっ!? ちきしょう、淫売野郎!」
「これで取引は済んだはずだが」
猛獣のような星華にため息混じりになりつつ、グレイは引き締めた表情を保って僕たちに向き直る。「そうですね」と僕は淡々とうなずき、封筒に札束をしまった。紡麦に渡すと、彼はトマトカラーのリュックにそれをねじこむ。
「チェックアウトは、明日の十時なんで。よければ使ってください」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
「じゃあ失礼します」
事務的な冷ややかさできびすを返すと、僕はドアへ歩いていった。
背中に聞こえる星華の悲鳴は、嗚咽をすりこみはじめている。隣の紡麦が、白くしていた瞳に少し色を差して僕を見上げた。僕はかすかに首を振ると、鍵を開け、背後には何も声をかけずに部屋をあとにした。
「すごいな」
わりと静かな廊下を歩きながら、紡麦はそう僕に敬服をこめた目をした。
「希月にあんな冷酷な才能があったとは」
「家で使ってたんだよ」
「ふうん。使えるよ」
「こんなん使いたくないよ」
だるさを絡めて笑いながら、僕たちは一階に降りた。「食われてるかなあ」と紡麦はつぶやき、「うまくいけばな」と返しておく。
そう、けしていい方法ではないが、たぶん、うまく進んでいる。
僕たちはモーテルを出ると、更けていく夜の雑踏に紛れこんだ。とりあえずこの金は、心配している千歳のいる部屋に持っていこう。
──ゆっくり観るヒマがなくて、いったん返してまた借りて、ダビングしてきた食人族の映画をかける。
しらふの紡麦は、チーズ風味のスナック菓子をつまみ、僕は右隣からときおりそれをつつく。
映画は前半は大したことはなかったが、後半は物凄いことになってきた。輪姦、切断、臓物、思いつく限りの残虐場面を思春期のマスターベーションみたいに連射している。
「ひょえー」と紡麦は口いっぱいにスナック菓子を頬張り、僕は吐く真似をしつつ目はそらさず、千歳はさっき僕が持ってかえってきた洗濯物をベッドでたたんでいる。
「あーあ、あんな泥の中でレイプしちゃってさ。何か感染するとか思わないのかね」
「これってドキュメンタリーだっけ」
「ドキュメンタリータッチ」
「じゃ、感染しないようにしてあるんじゃない」
「実際やったらの話だよ」
「人食い人種って何でセミポルノなのかな。野蛮人って淫乱?」
「さあ」
「違ったら失礼じゃない?」
「まあねえ。あ、もうひとりも加わった」
僕は紡麦が立て膝の前に持つふくろに手を突っこみ、指にべたつくスナック菓子を口に放る。味も匂いも安っぽい。
ベッドで温風に髪をそよがす千歳は、僕たちの週刊誌並みの批評にため息をついている。
「しかし、ドキュメンタリーじゃないってことはですよ。こんなんをまじめに『アクション!』とか『カット!』とか言って監督するのがいて、フィルム切り刻んで編集するのがいるってことですよ」
「そうだね」
「何やってんだろうね」
「……まあね。でも、おもしろいよ」
「ヒマなんですかね」
「趣味なんだよ」
「寂しいなあ。虐待されてたんじゃない。イジメかな」
「そんなん考えなくていいよ」
「だって作品だろ。監督の精神状態とかその反動がぶつけられたもんなんだろ」
「こういうのにそんなんはないよ。たぶん」
「むしろ満たされてるからこんなんが作れるのかな。って、あれ、レイプ終わってる。やーん」
指を舐めてスナック菓子のべたつきを落とした紡麦は、リモコンを取って巻き戻す。「文句つけるならまじめに観なきゃいいのに」と言うと、「いいじゃん」と紡麦はむくれてさっきも聞いた甲高い悲鳴を再生させる。
泥水をのたうちまわる輪姦シーンのあいだ、僕はぱたぱたとおとなしい物音をさせていた千歳が静かなのに気づいた。見ると、彼はベッドでかすかに眉を寄せて吐息を切りつめている。
うつむき気味の千歳は、ちらつく前髪の奥で星華の服を手にしていた。僕はあえて目をそらし、裸足の爪先を見つめる。感情を押し殺して顔を上げると、感知したのか、こちらに横目をしていた紡麦に気づく。
彼は僕に肩をすくめると、無言でブラウン管に目を戻した。
時刻は二十時になろうとしていた。今日は十二月十八日の月曜日だ。
おとといのあの時点で、なすべきことはすべてうまくいった。あとは待つだけだ。
昨日は一日、僕はまくらに頬をあててベッドにぐったりとし、千歳はベッドサイドの床に座りこんで口をつぐみ、紡麦は乱雑な床に転がって天井を見つめていた。
だけど、いつまでも、そうやって遊んでもらえなくなった人形みたいに腐っておくわけにもいかない。僕たちは無理やり後悔も濁る不安を打ち切り、記憶には麻酔を打って平然を装っていた。
ドキュメンタリータッチなので、映画は撮影隊が奥地に侵入する筋立てになっている。一行は部落に行き着くと、怯える未開人はお構いなしにテントを立て、殺し立ての動物を食べたり、カメラの前で絡み合ったりした。「やっぱ動物も殺したてがうまいのかな」と僕は指のチーズ味を舐め取り、「魚は新鮮に限るよね」と紡麦はスナック菓子のふくろを口に引っくり返す。
「生魚はまずい」
「刺身とは限らないよ。でも、そお?」
「刺身最低」
「そういや、くるくるの寿司に行ったとき、君はたまごとえびとフルーツしか食ってなかったな」
「だって気持ち悪いよ」
「外人みたい。あ、納豆も食ってなかった」
「あんなん、臭いが無理」
「納豆って腐ると糸引かなくなるんだよ」
「もともと腐ってんじゃん」
「さらに腐るんだよ」
千歳がベッドを立ち上がり、洗濯物をクローゼットにしまう。
「何かお菓子持ってきてよ」と猫みたいに紡麦に甘えられ、千歳はあきれた息をついても、筒入りのポテトチップスを持ってきてくれた。
そして朝食の食器を片づけると、千歳は僕のそばに座る。睫毛に陰る溶暗の瞳は、振り向いた僕に苦笑した。
「すごい映画だね」
「苦手?」
「ゾンビなら慣れたけど」
「はは。同じ人食いなら、僕はゾンビのがいいな」
ひらりとくねったポテトチップス数枚を一気にざくりとやる紡麦が、「ペットにしたいんだもんね」と口を挟む。
「ていうか、あっちは撃ちまくることが目的じゃん。それにゾンビはかわいげがあるよ。いたいけで」
「あれはバケモノだから、しょせん非現実なんだよなあ。この人たちは、マジでいるかもしれない」
「こういう部族に生まれてたらどうする」
「疲れそう。変なしきたりありそうだし。でも、ドラッグに近い薬草を、神の贈り物とか言ってやりまくれそうだよね」
結局そこか、と僕はポテトチップスを何枚か横取りする。
映画は、好き勝手やられていた未開人たちがついに切れ、罰の儀式に踏み切って佳境に入った。罪の応報が血飛沫と肉片になって、画面に飛び散る。殴って、ちぎって、犯して、食べて、テープが切れたか衝撃が入ったかで、唐突に血みどろの映像は断ち切られて、映画も終わった。
「僕たちがやったことみたい」
映画が終わると、紡麦はずいぶん前に録画していた芸術映画を観始めた。
また耳慣れない言語をしゃべっている映画だ。ベルギー映画だそうだ。僕にはもはやワッフルのイメージしかない。
ベッドに移動して、壁の猟奇犯罪の記事を眺めていると、隣にやってきた千歳が不意にそう言った。
「え」
「さっきの映画」
「………、どっちが僕たち」
「未開人」
僕は壁に背を向けてもたれ、同じく壁にもたれた千歳は、膝を胸に引きよせた。僕はすりきれたジーンズの脚を、くしゃくしゃの毛布に放っている。埃っぽく温い風に、さらさらと髪が額をなびいている。
「復讐なんだ」
「……うん」
「ほっとかれたら、こっちだってほっといたのに。あの映画もそうだよね。無理やり文化を持ちこまなかったら」
僕はまくらもとのポルノ雑誌を無造作に手にする。どのページの女も、目をつぶされて生気がない。
「あの映画のほうがマシだよね。僕たちはやり返すんじゃなくて、星華を生贄にしたみたい……」
千歳は暗雲に息継ぎをさえぎられているように、苦しげに睫毛を伏せた。
しばらく、緩い息遣いが沈黙した。
僕と紡麦は首を絞められることに慣れているけど、千歳はどうしても、喉に絡みつく靄に息ができないと焦ってしまうのだろう。すべて聞くだけだから、余計にそうなのだ。
僕は目つぶしされても笑う、無数の棹をしゃぶる女を見る。その不気味な物体化が、いつもはポルノとしての要なのに、今は僕自身に生気がなくて気分が悪い。
今、僕たちは、こんなふうに機械的に目隠しし、からくりの道具になっている。あの猛烈にたぎった牙を剥くため、僕たちはせっかく瞳を通せた星華を利用した──
僕はゾンビをペットにしたら、観察し、嘲笑し、もてあそぶのだろう。ゾンビはたぶん大人なのだ。なのにゾンビが好ましく見えるのは、大人の醜悪さが戯曲化されて、嫌悪を憐憫に到達させているからだ。
僕たちは未開の野蛮人だ。銃で頭を吹っ飛ばされて、終わる奴らじゃない。食いちぎり、陽のあたる空の下が思いこんだ常識をかきみだしてやる。
うまくいかせなきゃ、と思う。うまくいくべきだとも思う。星華の犠牲を無駄にはしない。
この地下室に侵入した、天からあふれてきた蛆虫を、僕たちは容赦なく罰してやる。
【第二十八章へ】
