待ち合わせ
「よお希月、そっちのが遅いなんてめずらしいじゃん」
翌日の十九時をまわった頃、僕は紡麦と待ち合わせる、にぎわいかけた天井の低いバーに到着した。
暖房がきいた店内奥のカウンターに、すでに紡麦のすがたはあり、テーブルと雑音を縫って歩み寄る。隣のスツールに身をすべりこませると、透明なカクテルを舐めていた紡麦は、顔をあげてにやりとした。
「千歳といい夜でしたか」
「千歳といい夜は過ごしません」
「いつかはやるんだろ」
「さあな。──あ、烏龍茶よろしく」
通りかかったウェイターに注文すると、「うわっ」と紡麦はまずい物を食らったように舌を出す。
「何て健康的な飲み物なんでしょ」
「いちいち文句つけんなよ」
ウェイターは笑いを噛みながら、「かしこまりました」と去っていった。
「昨日さー、希月、いつのまにかいなくなってたじゃん」
「一応、気づいてたんだ」
「帰るときに。車で来てた人に送ってもらおうとしたら、そいつの部屋でまたキメて、そのままザコ寝してた」
「僕は女の子といた」
「淫乱」
「ヤク中」
紡麦は鼻であしらうと、カウンターテーブルの下から、愛用のリュックを取り出した。綿布生地で、やたら目立つトマトカラーだ。フィストファックみたいに腕を突っこみ、中をあさる。
「何?」
「いつもの奴」
彼はそう言うと、安っぽい紙を取り出す。次回予告のフライヤーだ。そう、これがないと僕たちは仕事にならない。
「今度は土曜か」
くしゃくしゃのフライヤーを広げ、紡麦はつぶやいた。
彼は黒と赤のレイヤードスタイルで、黒いナイロンパンツを穿いている。この煙たい店内は照明が低いのだが、それでも紡麦の愛らしい顔立ちは見間違いではない。
彼は僕のみっつも年下で、今年十五歳だ。頬や顎の線がまだ柔らかいから、ちょっと女の子みたいなのだろう。丸くて悪戯好きそうな瞳をしているし、もう何年も何やかや常習しているせいで、成長が止まりかけて小柄でもある。
一応、薬物使用は制御できているほうで、当面は無惨な末期症状にはおちいっていない。僕が住所不定だった頃、そのへんのクラブでひと口まわしてくれたときと、何も変わっていない。
「集まるのは木、金か」
「希月が憶えててね」
「はいはい。また仕入れなきゃ」
「最近、商品はドラッグばっかだなあ。何かもっとやばいもん売って金欲しいよお」
「ドラッグ以外だと、僕ら、ただの運び屋じゃん」
「そうだけどね。ああ、金。金が欲しい。そしたら映画観て、CD買って、本も買って」
「しけてない?」
紡麦は、僕のふくらはぎに蹴りを入れた。
家出したての頃は堅気のバイトもしたが、一週間続けばいいほうだった。現在の僕のバイトは、非合法な密売だ。主な商品はドラッグで、だから週末にはクラブにおもむく。
パーティ会場で不特定多数に声をかけるなんて商売はやっていない。そんなことをしていたら、融通のきかなくなったスタッフに、ねずみ捕りにかかるねずみくらい間抜けに取っ捕まってしまう。
買いおろした品物のほとんどは、事前に仲間内で流し合ってしまうのだ。パーティ開催前に見憶えのある面々と落ち合い、自分が使うぶんだけ買っていく。クラブに行けば売人が声をかけてきてくれる、なんて平和ボケした昔の話だ。
僕と紡麦がパーティに顔を出すのは、売人として仲間に属しておくためだ。だいたいパーティは週末に行なわれるが、毎週末ではないので、いくつかのパーティをかけもちしている。通常営業はあまり視野に入れていない。パーティのほうが固有の客が多く、横のつながりができやすい。
パーティを離れても、譲ってくれと仲間が訪ねてきたら売る。何せ僕たちは、見知らぬ相手に商売しない。
仲間内のひとりがつかまれば、芋蔓でぶちこまれる可能性があるのは知っている。だけど、常に面を割らず、すべて携帯電話で済ますほど、僕たちはプロではない。だから僕たちは、この小遣い稼ぎを“仕事”でなく“バイト”と呼ぶ。
なぜこんな商売に踏みこんだかというと、紡麦と知り合ったからだ。あるパーティで投合し、つるむぐらい仲良くやっているうちに、「一緒に稼がない?」と彼が誘ってきた。顔が広い紡麦は、ある闇グループともかかわりがあった。今では何となくそこのパシリ的な末端で、僕たちの仕入れ先はそのグループであるわけだ。
僕たちはそのグループ下で動いていて、お遣いで運び屋をさせられるときがある。裏ビデオやDVD、偽ブランド品とかだ。どう何を運ぶかは、そのときによってまちまちだが、どうせ言われた通りにやればいい程度のものしかまわされない。
裏の仕事なんていうと儲かりそうだけど、そんなのは、一流の仕事人の話だ。僕の稼ぎは、たぶん堅気と変わらない。だから僕と紡麦は、合間を縫って窃盗や恐喝でも小遣いを稼ぐ。
売った薬で誰か死のうが、他人の金を引ったくろうが、打撲や骨折を負わせようが、気にしない。大切なのは、自分の手で生きていくということだ。
千歳も、僕の稼ぎ方は知っている。何も言わないけど、もし僕が捕まったりしたらと不安もあるようだ。僕は僕に執着していないから、自分がどんな転落をたどろうとどうだっていい。千歳には僕を失くすことは、何もかもを失うことだ。部屋も、笑顔も、心そのものも。僕の感覚や行動自体はむしろ理解できても、その無軌道に行く末にふくまれる亀裂に、「できれば……」という想いも彼にはある。
今日は駅前に出て、ほろ酔いのおじさんのお金をもらった。紡麦のほうが、こういうことは得意だ。紡麦は自分が無垢な子供にしか見えないことをよく知っている。そこを利用して屈託なく近づき、いきなり腹に一発食らわす。獲物が目を剥いて狼狽えたところで、僕が背後をすかさず襲う。
金だけもらってほかは返し、これで千歳に頼まれた物買って帰ろ、と僕は戦利金をポケットにねじこんだ。
「このあとどうする?」
大きな交差点を囲む横断歩道で、僕は排気ガスを吐き散らす車の往来を見つめて言った。
闇へと伸びる高層ビルがネオンを降らし、ざわめく周囲では僕たちと違う臭いの大人が疲れきっている。何本もの車線の向こう側に渡ってまっすぐ行けば、いつもの自堕落な界隈だ。
パンツとおそろいの黒のナイロンジャケットを羽織った紡麦は、「そうねえ」とりすみたいにくるくるした瞳で、ひと置き背の高い僕を見上げた。
「どうしましょう。希月は?」
「仕入れは、今行っても持ってる期間が長くなるだけだしなあ」
「俺使っちゃうー」
「直前にしときましょう。遊びにいこうかな」
「俺さー、今観たい映画があるわけ」
「つきあえって」
「いや、でもそれ、メジャーなんだよね。すっげー宣伝されてんの」
紡麦はみんなが好きなものが嫌いだ。というか、みんなが好きだから好きになるという感覚が嫌いだ。いつもマイナーで聞いたこともない映画や、音楽や、本に目をつけて喜んでいる。
意外なのは、それがけしてエログロに限らないことだ。単調で難解なフランス映画や、文字がちかちかして頭が痛くなる小説をおすすめされても、僕と千歳は顔を合わせてしまう。紡麦は地味でもつまらなければ打ち捨てるので、地味という理由で闇雲に好まれているのでもない。彼なりの基準はあるようだ。
そしてその基準にかなったものが、メジャーだった場合もあるわけで、そういうとき紡麦は食らいつくべきか葛藤する。
「好きなら観ればいいじゃん」
「映画館行ったら席が満席なんて、車に轢かれた蛙だよ」
「意味が分かりません」
「ぐえってことだよ。先月のデートはすごかったよね」
「デート」
「一日で打ち切りの上、何あの客の少なさ。いい夜だった」
「あの映画、寒かったよ」
「色調が寒色を意識してたからね」
「つまんないよ、あんなの。斧振りあげたとこで場面変わって」
「血糊が目的の映画じゃないんだよ」
そんな発言をされると、彼は風流なご趣味だと思いそうになるが、犯せばいい映画や殺せばいい映画も、そこはそれで観賞する。
「そういや、『死人の晩餐』、先に進めちゃった」
「え……。え、あー、あーっ、嘘おっ。これから楽しいとこだったのに。どうなった? 食われた?」
「もち」
「ゾンビもお高い口してるよなあ。人間しか食わないんだもん。まぐろしか食べない猫みたい」
「まぐろってまずいよ」
「これだから刺身が食えない人は」
僕は肩をすくめて、あたりを見上げた。斜め左の交差点の向こうで、電子掲示板がCMを流している。
寒風が空を切ったところで信号が変わり、僕たちは足を引きずる大人たちを抜け出し、先頭で横断歩道を渡っていく。
「で、映画どうすんの」
「ま、行きましょうかね。お金も入ったし。君も行く?」
「僕、今日は買い物行かないと。千歳に頼まれてるんだ」
「君と千歳は、耽美的だよな」
「貶してるね」
「うん。実際のホモはけっこうだけど、観念的な男同士はやだ。禁断の愛は美しい、みたいな。おえっ。男同士って禁断かあ?」
「さっさと千歳とやっちまえって言いたいんですね」
「うん」
「やばいとか思ってるんじゃないよ。美しくいたいんでもない。何か知らないけど、僕たちはプラトニックなんだ」
紡麦はわざとらしくあきれると、ひと足先に歩道に飛び乗った。僕が続いたところで、音楽が鳴り出して青信号が点滅する。大人たちが慌てて押し寄せる。
ここを左に行くと大きな駅があるが、僕たちは界隈に帰ることにした。時刻は零時をまわっている。まともなこのへんは、営業終了した遊園地みたいに雑踏が消え入って、つまらなくなる。
僕たちは小道に入ると、地下の町に紛れこんだ。
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