黎明の海で
完全犯罪のコツは、死体を出さずに失踪あつかいに葬ることだ。
僕たちはばらばらにした死体を、千歳のドライブで山に埋めたり海に沈めたりした。グレイがくれた金で、ずいぶん自由にやれた。証拠隠滅の資金までよこすなんて、もはやあっぱれだ。使った凶器もわざと錆びつかせて屑鉄場に放りこんだり、死体とは分けて海に捨てたりした。
すべて葬りおえた海にあの拳銃も捨てた。やっぱり、僕たちにはこれは重すぎる。似合わない武器だ。
ありのままでいたくて僕たちは社会をはずれたのだから、こんな必要以上の箔はいらない。
ところで、紡麦があのとき取り出した銃は、本当に計画の中で聞いてもいなかった。「買ってたのか」とあのあと驚きながら訊くと、紡麦はにっこりとして、いきなり自分のこめかみを撃ってみせた。
僕と星華はぎょっとしたけど、紡麦は爆音にくらついたものの倒れない。おもちゃだったのだ。いわく、母親が死に損ねたときの形見。いつもトマトカラーのリュックにしまっているらしい。
ヒモ野郎に関しては、処理に困った。すべて見たからには殺すしかないかと僕は銃を再び構えたが、「お待ち」と紡麦がリュックから葉っぱを取り出した。それを奴に吸わせ、さらにスピードも吸わせ、とにかく朦朧とするまでドラッグに浸け、「そのへんに放置すればいいよ」と言った。
「そしたらほっとけば死ぬか、保護されて何か話しても、ヤク中の妄想としか思われないよ」
そういうわけで、僕たちは死体と廃人をトランクに積めて、それらをグレイが星華を連れてきた車で運んだ。
僕と星華が対峙した場所を確認した時点で、紡麦と千歳は車で来るという星華の予測に、寂れた風景に似合わない磨かれた車を必死で探した。路地に尻を突っこんで、隠すように停めてあった。
そして、その車のドライブで運転したのは、ずっと影で怯えていた千歳だ。ベッドの下で黴が生えたように埃をかぶっていた免許証を発掘した彼は、緊張と錯乱のめまいに耐えて、手ぶくろでハンドルを握った。
グレイの私生活に、怪文書も流した。事実だと思われようと、出任せだと思われようと、そんなのは関係なかった。奴の面目がぐっちゃりつぶれ、流言がべたべたに飛び散ればよかった。
初めは冗談だと思われても、うわさが偏見を真実にぬりかえていく。妻は体裁を失い、娘はイジメを受けるだろう。とはいえ、僕たちは彼女らに悪意はない。グレイの亡き魂を最後まで滅多打ちにするには、彼女らを利用するのが最善であるだけだ。
わざわざうわさを流す必要もなく、グレイがすがたを消したのは、えぐれたメンツを恥じての失踪だと判断された。
そうして今、僕たちは白く砕ける波に銃を崖から投げ捨てた。
何年も会えないかもしれないと思っていた星華が、隣にいる。完璧で安全な計画なんて立てられなかった僕たちは、彼女に単身で敵地にもぐりこむ危険を強いてしまった。星華は承諾したとはいえ、すごく心苦しかった。
僕に会いたいと言って、グレイが承知するのには何年もかかったかもしれない。永遠に承知しなかったかもしれない。それでも星華は、身を呈して僕たちのゲームに乗ってくれた。悪ガキの格好で、染め直した紅茶色に冷たい潮風をはらませる彼女は、僕の視線に気づくとにやりとする。
彼女が僕の子供を妊娠しているというのは、デマだ。グレイが手錠を使うのは予定外だった。だが、星華はあのデマでほどく流れに持っていけばいいと考え、あえて手錠つきで僕に再会したのだそうだ。
僕たちは崖を降りて岩場をまわると、早朝で誰もいない冬の海辺に降りた。蒼ざめた灰色の空気が芯まで冷えこんでいるけど、紡麦は心地よく潤った音と寄せる波を蹴ちらかして遊ぶ。
上にはこの時期と時間帯で空っぽの駐車場があったし、夏には整備される海岸なのだろう。空気もさほど生臭くなく、ゴミや虫に汚れてもいない。それでも、海草や貝殻は半分掘り返された墓みたいにちらほら砂に埋もれていた。
やや右手がさっきいた崖に続く岩場で、左は緩やかに湾曲して砂浜が続いている。
「希月って役者ができるかもね」
裾を濡らして「濡れたあ」とわざとらしく泣き面をする紡麦に、波打ち際にしゃがむ千歳が咲うのをひと置きして見ながら、僕と星華は浜に並んで腰かける。
貝殻を拾って砂を拭いたりしていると、バギーパンツを投げ出す星華は立て膝の僕にそう笑った。やんちゃな小動物のような光を宿し、ガラスのような模造じみた軽さはなくなってきた瞳に目をやり、「どうだか」と僕は肩をすくめる。
「露骨にカメラがあると、パニックになるかも」
「あれ、本気じゃないだろうな」
僕は笑って、ざらざらした貝殻の表面をこすり、「まさか」と丁重に否定する。
「ほんとに星華が邪魔なら普通に追い出すよ。だいたい、食費とかくれてるじゃん、紡麦と違って」
「まあね。仕事、また探さなきゃ」
「風俗?」
「できれば、まともな仕事がしたい。それじゃ足んない?」
「別に。そのぶん、紡麦から取ればいいし。僕に貞操くくるんだ」
「希月たちに、だよ」
指先から貝殻をこぼした僕は、星華を肘で小突き、星華は咲ってやりかえす。
崖にいたときほど、頬にあたる風は強くなく、星華の髪もなめらかになびいている。潮の香りの中に気まぐれにあの匂いがして、「あのときはさ」と僕は吐息を浅く白ませた。
「僕じゃなかったって感じだよ。プライド捨てて自分抑えて」
「やっぱ役者じゃん」
「役者って大変だな。物好きだよ」
「はは」
「ほんとの役者はテイストあってすごいけどさ。分かんないな。とにかく僕は、役者にはなれない」
「希月は正直だもんね。危ないぐらい。分かってるよ」
僕は星華の長い睫毛を見、「お前がいないとき、またそのへんの奴にキレたよ」と抱きこんだ膝に堅くざらついた頬をあてる。
「まだ星華は、僕の基準をつかんでないよな」
「何度かキレられなくちゃね」
「僕自身が何かつかめればいいんだけど」
「つかんでどうするの? 安全に人形みたいになるの? 癪に障る前に堤防立てるの? 堤防壊すために、キレる切っかけが増えるだけだよ」
「………、じゃあ、どうすればいい?」
「キレていいよ。それが希月なんでしょ。確かにあのときのあんたってわけ分かんなくて怖いけど。大丈夫。逃げて捨てたりはしない。あたしも千歳と紡麦みたいになってみせる」
僕は星華に頭をもたげ、彼女も僕を見て微笑んだ。この風に吹き飛ばされそうになりながら僕も咲うと、心持ちずつ引いていく渚に目を向ける。
星華は海風にもつれた髪を肩にすくっていじり、「そういえば」と三秒坊主で背中ではねやる。
「あたしがいないあいだ、どんな映画観た?」
「ん、人食い人種の奴とか」
「また変なものを」
「ダビングが残ってる」
「いらねえよ」
「最近だと、紡麦が某イタリア映画にのたうちまわって感動してた」
「あの子いつか、自分で映画作るんじゃない?」
「本人は二十歳になる前にヤクで死んでるって言ってる」
「あいつは生き延びるでしょ。『動くなって感じ?』だよ」
僕は噴き出して、千歳と紡麦が振り返る。紡麦は僕たちを観察すると、「取られるよ」と千歳を見上げ、千歳は少し言葉に詰まったのち、軽くそっぽをした。
ロールアップになった紡麦はげらげらとして、子犬みたいな白波と再びじゃれつき戯れだす。千歳は僕たちを向き、星華が手招きをするとこちらにやってきた。
「すっかり恋人同士だね」
「今振られたところです」
「そうなの」
「星華様は僕の女じゃなくて、僕たちの女なんだってさ」
千歳はだいぶやわらいで咲い、「ほんとよかった」と星華の隣に腰かける。
「すごく心配だった」
「あいつの取りあつかい方なんて、説明書すりきれるまで読んだくらい分かってたよ」
「もう安心して僕たちといられるんだよね」
「あっちとのつながりもなくなったし。やっとこっちに切断された」
「勇気があれば、あっちと離れるのは簡単だと思ってた。向こうが足を引っ張ってくることもあるんだね」
「あたしは単に運が悪いのかも。親ならまだしも、あんなのだよ。けど、ついてもいたんだ。千歳たちがはさみになってくれた」
「希月たち、だよ」
千歳は膝を抱えて苦笑し、星華は僕を向いて、僕は肩をすくめる。
考えればこのふたりは、僕をめぐって微妙なはずなのに、部屋でさしむかいになりことが多く、意外とそこはそれとして仲がいいのだ。
自然とはずれた僕は、ゴムボールみたいにはねまわる紡麦のところに行く。今日も彼は、トマトカラーのリュックと一緒だ。
「波、楽しい?」
「ん。というか、俺あんま海とか来ないし。レイヴのときくらいかな」
「この頃、行った?」
「んーん。そうね、ごたごたも片づいたし、どっかに顔出そうかな」
「うん──。あのさ、紡麦」
「んー」
「最近、母親のところって帰った?」
紡麦は波をキックをしていた脚を止め、寒風にやや亀になる僕を白い息を引いて振り返る。その顔は一瞬無表情だったが、「そおねえ」とすぐ未定の今日の夕食を訊かれた母親みたいな顰め面になる。
「正月に帰ったな」
「あ、そうなのか」
「いなくなってた」
「えっ」
「ずうっと帰ってなかったしね。引っ越したんだか、死んだんだかは分かんないけどー」
紡麦はスニーカーを飲みこみかけた潤った波音を蹴りよけ、もう一度、今度は笑顔を向けてくる。
「平気だよ。俺には希月たちがいるもん」
「……うん」
「あの人の心に住めないのは分かってた。憎しみでひと晩意識してもらえるのが、精一杯。──うお、わかめか。こんぶか」
波に乗って爪先にべたりとした黒い海草を、紡麦は足首を体操みたいにひらひらさせて剥がし落とす。
「あの人のせいで、あんま女にいいイメージなかったけど。星華で見直した。ふ、君がぼやぼやしてるなら寝取るぞ」
「どの面で言ってんの」
「中指で喉をファックしますよ。ちっ、こうなったら俺は、男前になるまでオーバードーズには待っていてもらう」
「ずっと待たせとけば。僕たちにだって、紡麦が要る」
紡麦はねじ仕掛けのように僕に首をむけると、「キザね」と述べて、僕は彼をはたいた。波を蹴り返してきた紡麦とひとしきりやりあうと、「あーあ」と濡れてしまったずるずるの裾を引っぱる。
「あたしが代わりに相手してあげる」とやってきた星華と入れ違いに、千歳の隣に座ると、いちおう風にジーンズをさらしてみた。が、肌が凍てつきそうに痛みも走らせたので、ただちに膝をかかえて保護する。
「へへ」と千歳に照れ咲いを向けると、「星華、元気そうでよかった」と千歳は穏やかに微笑み返した。
「女はずぶといしね」
「っていっても、しばらくは部屋でゆっくりさせてあげよう」
「ザコ寝でね。みんな疲れたよ。特に千歳にはストレスかけたと思ってる」
「僕が勝手に感じてただけだよ」
「今はどう?」
「……正直、これで外に出るのは最後かと思うとほっとしてる。車は乗り捨てて、電車で帰るんだっけ」
「うん」と僕は計画の締めを思い返し、「ほんとにありがと」と謝罪より感謝をさしだす。
「千歳の運転がなきゃ、僕が免許取るまで星華をあいつのとこにいさせるか、ぜんぜん違う計画を考えなきゃいけなかった。こんなことに引きこめる仲間はほかにいないし、星華を手元に置いてたら詮索されてただろうし。うまくいったのは千歳のおかげっていうのは、きちんと四分の一あるよ」
千歳は僕の瞳を見つめると、はにかみつつも素直にうなずいて卑屈は流した。
「こもりたいなら抑えずに休んでいいよ」と僕はジーンズにかさぶたのようについた砂をはらう。
「千歳のペースで元気になって。で、元気になったらごはん作って、僕たちのことも元気にして」
千歳は柔らかくくすりとすると、「僕の作った料理でよければ」と幼なじみの喧嘩みたいにやりあう星華と紡麦を向いた。はしゃいだ水飛沫と潮に香ばしい風が、ひとときその場にただよう。
白く凍てついた空が水色に溶けていく。朝になる前に、ずいぶん遠い、いつもの部屋にもどらなくてはならない。
不意に千歳の小さなため息が聞こえ、僕は彼の伏せがちの睫毛を見た。
「希月」
「ん」
「希月が一度も訊かないから、僕も言わなかったんだけど。僕がどうやって希月の部屋を探し当てたか、不思議じゃなかった?」
千歳の頬は静かに白く、「そりゃあ」と僕は波打ち際のふたりに視線を返す。
「でも、聞いたって複雑そうだし」
「簡単だったよ」
慮外の言葉に僕は彼にまばたき、千歳の溶暗する瞳は哀しい明るみをうかべて、僕と見合う。
「希月は一度おかあさんに手紙出してるんでしょ」
「………」
「こっちで一緒に暮らそうって」
砂でかすれたスニーカーに目を落とす。
「高校を卒業して、まともになろうって免許とか取って、お盆の集まりに顔出して。そこで希月の家出を知ったのは話したよね。家出っていうのに惹かれて、叔父さんは何か怖くて、叔母さんに訊いたんだ。家のことは何も聞かされなかった。ただ僕がだいぶ疲れてるのは感じたのかな、『希月はここにいる』って住所を教えてくれた」
千歳が僕の頬から視線を外したのが、小さな衣擦れで分かった。
「僕、希月のこと好きだよ。そのときからずっと好きだった。そういう人にそばにいてほしいと思った」
僕は千歳のほうへ顔を上げた。千歳も僕を向く。僕は淡く微笑み、すると千歳もほのかに咲った。
「ホモー」という紡麦の揶揄が割って入り、星華はからからとしていて、顔を合わせなおした僕と千歳は、笑いながらふたりに反撃をしに立ち上がる。
そんなことはよく分かっている。大人にとって本当に死ぬべきなのは、僕たちなのだろう。無感覚に血飛沫をはねかえらせる落ちこぼれの僕たちのほうが、喉を切られるべきだと大人たちは眉を顰める。
でも、悪いけど、僕たちは敵共の安全のために死んだりはしない。陽のあたる場所に、当たり前の空の下に許されなくたって、生きていってやる。
僕たちは“普通”ができない。常識がきかない。当たり前が分からない。地上にさえ立てば、空の元に包まれるなんて虫けらでもできる。
なのに星華の言う通り、僕たちはその何の変哲もない、何の労力もいらないはずのことができない。死力の息切れを費やしても、そこでは報われない。
僕たちは天から弾かれている。空から落ちこぼれている。
そして、それでいいと思う。自分の居場所でもないところに、窮屈におさまりこんでおくなんてバカげている。
いっぱいに羽を伸ばせるところで、生まれたからには生きていく。その権利を管理しやすい無個性で縛りつける大人なんか、くそくらえだ。
僕は僕の場所にいる。僕の世界に立つのだ。たとえそこがこぼれた場所であっても、最高に楽しいなら、それに何の問題がある?
FIN
