非常階段-15

初めての試験

 小学校のテストとは違う、中学生になって初めての試験が昨日終わった。今日、さっそく数学と英語と理科の答案が返ってきた。ついていない結果の占いのように的中した良くない予感に、つくえに乗る半袖の腕にべったり伏せる。
 ざら紙の奥にわずかに木の匂いがする。まだ授業中だけど、頭上には隣の席と点数を見せ合うさざめきがすりぬけている。あーあ、と口の中でつぶやき、返ってきた理科の答案用紙を取り上げて点数に尻目をくれる。
 六十二点。あえて言っておくけれど、この学校は、偏差値が気取った女のプライドぐらい高い私立中学ではない。平凡な公立中学で、一年一学期の中間考査なんて試験とも呼べないほど簡単だ、と先生たちは予告していた。試験終了後、みんながわりと気抜けしていたのも、それが真実だった証拠だろう。なのにこの点数は──平均点はまだ出ていないが、七十、もしかすると八十点台だろうということだから、かなり気まずい。
 ただの牢獄体験だった林間学校が、ちょうど先週の頭のことだ。水曜日は休みで、木、金は復習だったり範囲を済ませるぶっつけだったりした。試験勉強漬けの土日を挟み、月曜日に三時間、火曜日に二時間の主要五科目で中間考査は幕を閉じた。あれだけぶれていた体調や感情をなだめられるわけもなく、この点数は、音叉に触れたように不調がしっかり伝わった結果なのだろう。
 家で試験勉強をしながら、やばい感じはあった。つくえに着いて、予想問題集を開くのだけど、どうしても文法や数式の解読に入りこめない。視界の端で蠅が飛びまわってそちらが気になるみたいに、集中できない。とりあえず答えを書きつらねる作業はしてきたけど、考えごとにぱっくり捕らわれていた瞳は、脳に何も伝えていなかった。
 試験が始まり、答案用紙に名前を書いた。でも、そのあとは身に憶えのない問題ばかりで、引いた血の気から冷や汗が噴き出てくるのが分かった。捨て鉢に答えは埋めたので空欄は少なくも、そのぶん、バッタの異常繁殖みたいに跳ねた赤いペンが目につく。こんなにひどいとは思っていなかったのに、数学も英語もこうだったから、地理と国語もこんなざまなのだろう。
 何でだろ、と俺はつくえに顔面から真っ暗に突っ伏す。完全に振りまわされてしまった。全部あれのせいだ。これもまた、あの変なののせいだ。悩んだ皺寄せとして、賢司を不安にさせる次は成績というわけだ。
 変な本能が常識の感覚に立ちすくむのは操作しにくいけど、それについて悩むのには分別をきかせられると思う。最近、光が当たる限りつきまとう影のように、いつでもどこでも悩んでいる。賢司の前で、女の子の話で、何気ない差別で──抑えて演じる裏で、つぶされて喘いでいる何かに必死に言い訳している。だって、こんなのがばれるとやばい。
 もっと自分に残酷にならなければならない。苦しく喘いでいるのなんか無視を決めこみ、やらなくてはならないときには、やる。ヘッドホンや耳栓で外の音を遮断するように、賢司の前では笑顔に、つくえに着けば勉強に集中する。
 それが日常的に生きる中では当然の正しさで、俺の悩みのほうが本来なくてもいい変な間違いなのだ。うまくいけばそのまま悩まなくなって、変な本能も居どころを失くして消えるかもしれない。
 今のところ、それしか分からない。何でもない自分を造る。それを極めるほかに、自分を守る方法が分からない。嘘がぶあつくなれば、きちんと接せて賢司の不安も解消できるし、勉強も最低限できるようになる。臆病と言われようと、やっぱりわざと傷つくなんてできない。
 露呈すれば、攻撃されないわけがない。攻撃されて当然である気もする。同性にときめく。たとえ自分のことだろうと、とても尊重する気にはなれない。傷ついてまでもさらけだし、胸を張る価値あるものとも思えない。仮にこんなのに自信を持っても、人にはただの意地かエゴにしか見えないだろう。攻撃で否定されると分かり切っていること自体、これが犯罪的である現れだ。
 同性に惹かれる。異性の恋人もいる親友に、どきどきする。それらを隠さずに普通に生きられる手段が、仮面以外に見つけられない。普通じゃない個性的な生き方なんて、別に求めない。なのに、これがばれればきっとまともに生きていけない。
 外界的にも、内界的にも、ミサイルでも落とされたように確実にめちゃくちゃになる。目的とは真っ逆さまに、賢司を失い、勉強ができなくなる。ばれないほうがいい。隠していて正しいのだ。当たり障りない自分を偽り、もっと感覚をすりへらして、自分を切断していく。そう、こんなもの切り落としまったほうがいいから──害虫の命を奪うぐらいに、俺は自分自身なんか喜んで大切にしない。
 答案用紙を返し終えた理科教師は、正解用紙を配布すると答え合わせに入った。俺も含め、大半が夏服になった教室は騒ぎを鎮められ、俺も目をつけられないよう身を起こす。答えを見ると、やっと問題に見憶えがある気がしてきた。せめて期末考査にはまともになってなきゃな、とそばの窓際に明るく射しこむ陽射しで、不覚の点数をなおも見つめる。
 はっきりいって、こんなに悪い点数を取ったのは初めてだ。俺は優等生ではないけれど、わざとらしいほど勉強ができない劣等生でもない。小学校のときは最低でも七十点台だった。
 表面だけでもいい。多少麻酔を打ってもかまわない。賢司と取り返しがつかなくなる前に、期末考査でさらに陥没する前に、こんな心許ない平均台は降り、内面に振りまわされない外面をかたちづくらなくてはならない。
 麻酔を打ちすぎて、無感覚なところができるかもしれない。けれど、痛みを取り除くのに痛手は不可欠だ。
 賢司との友情、平均の成績、当たり前の生活──このまま引きずりこまれてそういうものすべてを失くすよりは、いくらか自分の感覚を犠牲にするのを選ぶ。自分の足元を、釘を打ちこむみたいに打ち立てるのだ。ふらふらばらつかないようになって、期末考査で挽回する。そしてこれ以上、望まない本能に何かを奪わせたりしない。

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