極限ない思考
よく分からない気分だった。テレビの中にいたあいつと、俺はどうなのだろう。同じなのだろうか。違うのだろうか。違うように感じる。同じようにも感じる。同じほうがいいのか、違ったほうがいいのか。俺はゲイかもしれなくて、誰にも言えなくて、そういうところは同じだけど、カミングアウトするとか、せめてその手の場所に行くとかは違う。あいつはまだ外に向かえる勇気がある。俺は閉じこもってばかりいる。
外に破り出てしまうほど、あいつは切羽つまって追いつめられたということなのか。俺が意気地がなくて努力していないということなのか。どちらでも嫌だ。後者は俺が底なしに弱いということだし、前者はそこまで追いつめられなくては強くなれないということになる。認められるには、そんな代償をはらわなくてはならないのか。
嫌な気分だった。観なければよかった。でも、それは、自分から目を背けるということだったかもしれない。
どうしてだろう。自分のほかにもゲイはいると知っても、ぜんぜんほっとしない。みじめだ。だって、俺はそんなふうに自分を認めることはできない。もしかしてこれって嫉妬、とみぞにつまずくように思い当たって、クッションに顔面を抑えつけてしまう。
そうだ。俺は情けない奴だ。それは分かっている。強く自分を信じる奴を見ると、勇気をもらうより、劣等感に溺れる。あいつみたいにはなれない。あんなふうに自分を受け入れられない。こんなのは恥ずかしくてたまらない。誰にも知られたくない。知られるぐらいなら死にたい。だから──
違うのだ。同じじゃない。俺はあんなふうじゃない。あんなふうになるのは怖い。あんなふうになれたらいいけど──
え?
……何。
なれたら……いい?
空中で半分に割った果物みたいに、ぽかんと目を開き、そのまま止まっていて、何だか不意に息を抜いて、クッションに首を脱力させた。
なれたらいい。なれたら、いいのか。あんなふうに、自分を認めたいのか。自分はゲイだと。いや、ダメだ。できない。したくない。俺はゲイなんかじゃない。男なんか欲しくない。違う。そんなのじゃ──ない……。
雪乃ねえちゃんは、結局クイズ番組を肴にバニラアイスをすくっていた。あのドキュメンタリーは観ていない。
俺にいるのは、しょせんこういう人たちだ。受け合わずにチャンネルを変える姉、あっさり女の子しか考えない両親、異性の話に慣れ親しんでいく友人、同性愛を笑い者にする担任──確立された理論のように、どう考えても否定して偽っておいたほうがいい。
でも、そうして周りを気にする重荷は、そっくり俺の感情にのしかかってくる。つらい。苦しい。入らないのに無理に押しこめているように、背中が圧迫される。みんなを気遣うほど、自分が殺されていく。
どんな名状が正しいのだろう。犠牲に徹して、自我を張らない。卑屈にしがみついて、自分の気持ちも言えない。
たぶん誰も──俺の周りにいる人は誰も、分かってくれない。といって、俺まで分からないということは、本当はないはずだ。さんざん理解し、それ以上に痛感している。だって、これまで何度も引き抜こうとしてきた。でも、できなかった。これはきっと、望んで選んで植えられるものではなく、生まれつき決まっている、根ざすものなのだ。そうとでも考えない限り、辻褄が合わない。どうせ、みんなは詭弁だというけれど。
はっきり言ってしまうが、望みにかなっていないのは確かだ。ちっとも男なんかに惹かれたくない。でもやっぱり惹かれるのは男で、同性で、賢司なのだ。
そう、賢司。彼を想うと、鼻で笑いたくなる。賢司にあんなに変調を来たしておいて、何がゲイではないだ。バカみたいだ。意固地だった。分かっていたから、かえってかきむしってあがいたのだろう。
そうだ。俺はゲイだ。もうどうしようもない。認めたところで、あのテレビの奴みたいにはなれないだろう。
認めてどうなると思ってきた。けれど、認めなくてもどうなる。俺はゲイで、賢司が好きで、そして──いったい、そしてどうなっていくのだろう?
ほとんどヤケのかたちで認めてみたものの、かといって、すべて明瞭に解決されるわけでもない。むしろ、事は夜が深まるように深刻に俺のこれからを案じさせた。
自認したばかりで自信を持ったわけではないので、誰にも言えないことに変わりはない。学校でも家庭でも内面的に孤立し、嘘を浪費していく。
認めたところで、濾過でもしたように、より鮮明に自分を偽らなくてはならないように感じるだけだ。俺ひとりが認識しても、状況は何ひとつ変わらない。
変わらないどころか、大人になるにつれ悪化する。高校生ぐらいになれば、彼女のひとりやふたり作らないと怪しいし、大人になって結婚しなくても同じことが言える。
相変わらず、本当に結婚できないかもとかなると、妙に切羽つまって両親の反応とかを気にしてしまう。俺がいつまでも結婚しなかったら、ふたりはどう思いはじめるだろう。もし雪乃ねえちゃんに子供ができない事情が持ち上がったら、とまで考える。本人なり相手なりに、欠陥が見つかるとか、いろいろ──ないとは言えない。そこに俺が、異性はお断りだなんて言えば、勘当されるかもしれない。
自分には、そんな度胸もない気はする。どうせ適当に恋人を繕い、結婚も子作りもたぶんやる。そうなった場合なんかも妄想し、気分は沈没船みたいにずぶずぶと打ち沈んでいく。
好きでもない人間に、かけがえのない愛着をそそぎ、微笑みかけたり触ったりする。賢司にあふれそうになるあれこれの潤いを、彼女にかたちづくり、好きだよと素直に嘘をつく。結婚すれば、それが義務になる。嫌いな食べ物がまだどっさり残っている食事みたいに、げんなりと気が遠くなる。
そしてつい、賢司にそれができたらすごく楽になれるんだろうなと胸を抱えこんでしまう。
子供ができたら、その子にはどんな感情を抱くだろう。その子は自分の子だと、さまざまなものとは切り離して愛せるだろうか。そんな感覚の話は聞くけれど、こんなふうに滅入っていると、そんなのは都合がいい気がしてくる。こいつはあとに引けない致命傷だ、とかじわじわ感じて、もしかして引っぱたくかもしれない。
ぞっとするけど、光があたれば影ができるように、逃れられない一理に思える。そういう大人になるかもしれない。ならないかもしれないけど、絶対ならないとも言い切れない。
これもゲイってことのせいなのかな、と考える。とっさに思う。ゲイでなければ、そんな人間に転落するかもしれないことはなかった。しかし、人が崩れる切っかけなんて無数にある。ゲイでなくても別のことで苦しみ、やっぱり壊れていたかもしれない。たぶんゲイなのは関係ない。俺が薄い氷みたいにもろい人間なのだ。
いっそゲイもろともなかったことにする、自殺という道もある。だが、そんな勇気があるなら、先に誰かに告白すべきか。
焦った迷子みたいにあちらこちら物思いをさまよううち、ぐったりへたりこんで、博打にかけてみようかという気にもなる。
時代も変わってきたし、まだ禁断の特殊人種あつかいではあれ、テレビなんかでも肯定的にあつかうようにはなった。俺の閉塞した思いこみより、わりとみんなはねつけないかもしれない──滔々と思ってみるけど、そんな気休めはすぐ引き攣ってつまずく。
しょせん、甘い考えだ。テレビなんて一般人には別世界で、そこがどんなに肯定しても、こちらにはかけはなれていてピンと来ない。俺の周りにいるのは普通の人ばかりで、そういう番組を観ても、まさか自分の周りには、という安心感がどうしてもあると思う。
みんなが同性愛をどう思っているか、それは彼らの何気ない言動でよく知っている。堀川の冗談、それに笑ったクラスメイトたち、賢司はその冗談のセンスに堀川を見直し、雪乃ねえちゃんは関わりたくないと言った、両親はもはや予想もしていない。
カミングアウトなんて爆弾だ。そう、毒ガスの爆弾だ。みんなきっと嫌悪に汚染され、虐待することに何も感じなくなる。みんなを変えてしまわないために、当然保身のために、やっぱり言えない。
みんなに黙って消えるのも考える。自殺でも公言でもなく、日常をはずれる。不良なり引きこもりなり、社会を外れてまともでなくなる。あるいは、同じ人間が溜まる排他的な世界に紛れこみ、とりあえず嘘は解放される。精神的には、それが一番建設的なのだろうか。
でも怖い。というか、想像がつかない。何というか、だって、希望としては普通でいいのだ。特別なところに行き、非日常的な空間に溶けこみ、尋常には理解しがたい行為にふけるなんて、ぜんぜん憧れない。そういうのが悪いとは言わないけど。ゲイには、何気ない毎日なんて贅沢なのだろうか。
そういうところでなければ出逢いもない、とは言える。せいぜいできる恋愛は、こんなざまの片想いだ。いや、恋と呼べるかも分からない。
だって、賢司といても楽しくないのだ。楽しむヒマがない。好きな人の顔を見てもつらい。この気持ちも、それを隠すため嘘をついているのも後ろめたくて、“好き”という気持ちより苦痛が勝っている。心臓も発熱も重い。
別に、裏切ろうとして彼に惹かれたわけではない。だけど、きっと賢司にはそんなのは詭弁だ。自分の気持ちに自信がない。相手が賢司だからだろう。ストレートだから。
相手がゲイだったら、応えてくれる相手だったら、愛情はさまざまなものに対して何よりもの勇気になっていた。そしてそういう相手は、こんな毎日にいてはとうてい見つからない。
理想とは遊離した現実の未来に、考えれば考えるほど激しい憂鬱に憑りつかれて耐えられなくなる。要するに、極端な方向しかないのだ。嘘にこもるか、脇に外れるか。
こうして、ベッドサイドに腰かけているひとりのとき、自分が虚ろな精神病者になった気になる。イカれて何にも分かんなくなったら楽だろうな──そんなのを思って、かすれた笑いを喉に乾涸びさせても、どこかではそんな自己憐憫を外側から見て軽蔑している。高望みを持つ限り、俺はこんなふうにずっとひとりなのだろう。
いったい、どうしたらいいのだろう。もう何も考えたくない。自分の頭の中がうるさい。
どうすれば俺は、この出しっぱなしの水みたいに垂れ流れていく思考を忘れることができるのだろう。
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