非常階段-30

年末年始【1】

 サンタクロースが本当にいるのなら、新作のゲームもコンポも我慢するから、記憶の血痕を消せる消毒液が欲しい。理解してくれる誰か、時間を巻き戻せるリモコンも悪くないけど、一番に欲しいのは何もかも忘れてしまえて傷なんか残らなくなることだ。
 けれど、雪乃ねえちゃんの意地悪で、物心つく前からクリスマスの朝にまくらもとにある贈り物は親が置いたものだと知っていた俺は、サンタクロースを信じていた時期はまったくなかったりする。
 今はクリスマスプレゼントは、かあさんが作った料理ととうさんが買ってきたケーキを食べたあと手渡しでもらう。雪乃ねえちゃんは昔からクリスマスが嫌いだ。これはおなじみの気取っているせいでなく、十二月三十日の誕生日を、クリスマスのせいでまともに祝ってもらえないせいだ。
 いずれにしろ現在は祝ってもらわなくて望むところなのではと思うが、幼少期からの怨みはたんぽぽの根ぐらい深いらしい。十一月にきちんとケーキもプレゼントも区別してもらえる俺に毎年ふくれている。けれど、俺は帰省しているとき誕生日が来て、俺はもらえない贈り物や小遣いを祖父母や親戚にもらえる雪乃ねえちゃんのほうがうらやましかった。
 今年もそんな例年通りの年末年始が来て、田舎のこたつで久々にのんびりしていた。あの町を離れただけで楽でいられる。肌を刺すぐらい冷たい空気が澄んだ、自然も屋根も雪に彩られたところだ。
 雪乃ねえちゃんは、こんな雪がなくてもどうせ遊び場がなくて出かけられない場所は嫌なのだそうだが、物欲でじいちゃんとばあちゃんに奉仕している。よこしまな孫だ。
 ところでここは母方の実家だけど、父方の実家も車で一時間もない隣町で、明日年が明ければ顔を出しにいく予定だ。
 たたみの匂いが懐かしい居間には、こたつや少し古い型のテレビ、神棚なんかがある。暖房ぐらいはあれ、教室で使うかんかんと音を立てるストーブが似合いそうな室内だ。
 とうさんとかあさん、そしてじいちゃんは雪がやんだ隙に盆以来の墓掃除に行った。軆の具合が良くないばあちゃんは、孫たちと家に残り、おもちゃの洗濯機みたいな機械がついた餅をひと口ずつに丸めている。掃除を手伝いにいかないならということで、俺と雪乃ねえちゃんはその形づくりを手伝っていた。
「雪ちゃんは昨日でいくつになったんだったかね」
 香ばしい湯気を柔らかに立てる、スライムみたいな餅のかたまりから、ばあちゃんは手際よく餅を一口ぶんちぎって整えている。でも、おにぎりだって調理実習でしか作ったことがない俺には、こんな熱い餅は手に包むのもひと苦労だ。「十四よ」と答える雪乃ねえちゃんは、マニキュアがはげるとかいう気取った理由で、丸めた餅に粉をかけるだけという役目をになっている。
「早いねえ。おかあさんがそれぐらいだったのも、このあいだに感じるよ」
「中学生のときのかあさんってどうだったの」
「おじいちゃんがずいぶん厳しかったしねえ」
 かあさんに兄弟はおらず、それでこの平屋は、親戚も結集していなくて静かなのだ。ひとり娘で箱入りに育てられ、それであんなに保守的なんだな、とできたてで蕩けそうな餅を指に余す俺は思う。ちなみに、とうさんは妹がふたりいる長男だ。
 どちらの祖父母にしろ、俺がゲイ──男が好きだとか知ったら、ぶっ倒れると思う。俺のような人間がいれば、花粉みたいに一気にうわさが広まり、しきたりに背いた恋でもしたように町を追われる時代を送ってきた人たちだ。
 しかし、どうせいつかばれる。そういう人たちには、うわさで聞くより俺の口から言ったほうがいいのかと悩むときもある。だけど、どんなに掘り下げても救われる対応が来るとは信じられず、コールにつながった途端受話器を置くみたいに後退ってしまう。
「柊ちゃんの誕生日はいつだったかね」
 今年六十になるばあちゃんは、病気のせいで痩せていて会うたび白髪や皺を増やしている。しばらく入院していた時期もある。
 そのとき、ひとりでは生活が大変だろうとかあさんがここを訪ねようとしたのをはねつけたとおり、じいちゃんはけっこう元気な上、頑固だ。退院したときのばあちゃん曰く、いまだにかあさんが嫁に行ったのが気にいらないらしい。そのわりに俺と雪乃ねえちゃんには甘いのだが、とうさんはいつもここに来るとき緊張している。
「先月だよ。十一月」
 言いながら俺は、かたちがまとまった餅を片栗粉をまいたプラスチックの板に並べる。すると、向かいの雪乃ねえちゃんが、ここに来るとき高速道路で見た雪のような粉をそれに降らせる。
「十三歳になった」
「そういえば、柊ちゃんも中学生になったんだったね。学校はどうだい」
 俺はぎくりと餅をちぎる手を引きつらせ、雪乃ねえちゃんは機会を狙う犯人みたいに、ちらりと睫毛の隙間で俺を盗み見る。首をかしげるばあちゃんに、「うん」と俺はうなずき、ゴムをねじるような今にも戻ってかたちを崩しそうな笑みを作る。
「楽しいよ。友達もいるしね」
「そう。良かったよ。柊ちゃんは昔ずいぶん内気だったから、何だかいつまでも心配でねえ」
「内気から救い出した奴と再会して、今同じクラスなのよ。賢司って奴」
 ばあちゃんはそちらを向き、俺はほやほやの餅を手の中にちぎる。そして内心くたびれた息をつき、ばあちゃんにも申し訳なくなる。
 どうも俺は、嘘に慣れない。ばれずに偽り続けていたほうがどんなに楽だったか。最近すごく思うけれど、実際こうして、なお偽る機会に出遭うと、大して変わりないかと思い直す。ばあちゃんと話す雪乃ねえちゃんを上目に盗み、賢司だって俺を見捨ててるのは感づいてるんだろうなあ、と上滑りの陰でたぶん思い浮かべられている醜態に、頬を熱くする。
 ところで、話題の通り十一月二十一日に十三歳になっていた俺は、泥沼の気分で誕生日を迎えていた。当時は黙殺状態が続いていて、三日後あの悪趣味な洗礼をほどこされた。おかげで、俺はあの日を誕生日を目安にしっかり憶えている。
 十一月二十四日。あの日の心象を俺は死ぬまで忘れられないのだろう。あの日、俺は死人のようにどんな仕打ちにも何も言えないことになった。思い出すたび塞いだ神経に毒を放つ。そして、そのいっそ切れてしまいたい白光に飲まれないため、切実に消毒液を必要とする。
 夜にはそばに漫画を数冊持ってきて、手足をちぢめた亀みたいに頭だけこたつから出してそれを読んだ。かあさんとばあちゃんは台所に立ち、雪乃ねえちゃんは客間でケータイで友達と話す。かくて、俺の頭上でさしむかうのはとうさんとじいちゃんだが、とうさんが緊張するほど厳めしい空気はない。
 酒を交わしつつ年末番組を観ていて、いまどきめずらしいぐらい普通だよな、と俺はやがて本をまくらにして微睡み、かあさんに雪乃ねえちゃんのいる客間に連れていかれた。
「柊は寝るんだから、そろそろ話は切り上げなさいね」
 かあさんは雪乃ねえちゃんにそう言い残すと、まだ用事があるのか、早足にふすまを閉めていった。
 電気ストーブに暖まるこの部屋もたたみで、ふすまと向き合って障子のかかる縁側がある。物はそんなに見あたらなくも、あんまり広くない通り、ここで寝るのは俺と雪乃ねえちゃんだけだ。蛇を避ける蛙みたいに、なるべく避けてきたこの人とふたりきりという状況に、昨日はあの林間学校の夜にも通じる異様な緊迫にろくに眠れなかった。
「まだ十一時よ」
「餅に粉かけるだけだった人は、そりゃ疲れてないだろうな」
 毛虫の伸縮みたいに眉を癇に障らせ、仕方なく電話を切った雪乃ねえちゃんは、今度はメールに移った。よくやる。
 俺は勝手が違ってまごつく入浴やトイレを済ますと、押し入れの匂いがする重たいふとんを敷く。雪乃ねえちゃんの話し声がなくなり、風にがたつく雨戸の音がしていた。
「電気消していい?」
「ダメよ」
「俺、寝るんだぜ」
「どうせ昨日も寝てなかったじゃない」
 むっと口をこわばらせても、しぶしぶ白い光のもとで冷たいふとんにもぐりこむ。眠たい目には、この明かりはまるで手術台を照らすライトだ。
 かちかち、とボタンを押しつづける音と吹雪く声が続く。そばがらいりでしっくり来ないまくらを何度も寝返り、携帯用に詰めてきたいつもと同じシャンプーの匂いに触れていると、ふと奇妙な胸苦しさを覚えて半眼になった。

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