非常階段-44

病気かもしれない

 一階に気軽に降りれなくなり、ゲームのハードはつくえの脇のサイドボードで、布をかぶって長いこと眠っている。
 俺は雨で遊びに出かけられない子供みたいに、鬱々とベッドやつくえに伏せって陰気なメリーゴーラウンドに乗っている。考えるだけで、いっさい行動はともなっていないのに、一応、吐きそうに疲れる。
 そういうとき、気分転換になるものが必要かと多少前向きなことを思いつく。前までそんなときの相手はゲームだったのだけど、俺は部屋にテレビがあるような家の子ではない。
 こんなに天気がいい昼下がりなのだし、電車やバスでどこか行けばいいのに、闇を好むコウモリのように自分の部屋に潜んでいる。同級生に遭うのが怖いし、外出に慣れたら最後、見る見る道をはずしそうで怖い。気分転換程度に、制御できる自信がないのだ。
 外で遊びまわる味を知ってしまえば、突きつめるところ終わる。不良。家出。下水道のドブネズミ。そんなのにハマるなら、初めから何もないほうがいいと、引きこもりの真似事に徹する。
 部屋でやれる気分転換もあるはずで、五日前のまま小遣いを広げっぱなしのつくえに腰かける。スポーツはだいたい外に出るし、動物や植物を飼う金はない。やはり音楽や本だろうか。そういえば、カミングアウトするアーティストもいるとか聞いたことがある。漫画や小説、映画にも同性愛を好意的にあつかった作品はありそうだ。しかし、俺はそういうのはあさりたくない。
 同じ同性愛者なら単純に共感できる、とは思わない。そしてそれ以上に、希望的に同性愛を擁護しているものなんてもう信じられない。この底なし沼に転落した原因は、すべてあの日にある。
 本屋で同性愛に関する本を立ち読みしていたら、同級生たちに見られた、あの日だ。いまだに悔しくてたまらない。あのとき気のきいた行動さえしていれば、何も始まっていなかったのもありえたのに。
 お告げを無視して災難にあったような、バカげた自分がどうしても許せない。あの日のせいで俺はとりとめのない日常を失い、あの本やさまざまな肯定とは正反対の、恥辱をすりこまれる地獄を見ている。
 同性愛を弁護するものを、金に換える空き缶みたいにかきあつめようとは思わない。そういうのを見るのはつらい。どんな肯定も白々しくて、白々しく感じる自分も苦痛だ。諭されなくても自分がゲイなのは認めているし、いくらいい解釈を訴えられても、鞭のような現実をじゅうぶん教わっている。
 理解される同性愛者もいるだろう。俺はそうじゃない。少なくとも俺はゴキブリあつかいされている。
 散らばる金にぐったり顔を伏せると、ひやりと頬に触れた硬貨の金属のにおいがした。気分転換。できたらいいけど、できるわけがない。
 だって、気分転換に集中することができない。何かに紛れる重たさではないのだ。俺の気持ちなんかばらばらに疲れていて、一番やりたいことは、何かすることでなく何もしないことだ。
 考えごとをやめたい。何も考えたくない。つきまとう記憶も未来も、この気持ちのように粉々にくたばらせてやりたい。それって死ぬことだよな、と蜃気楼のようにぼんやり思い、急にふくれあがった虚しさにきつく目をつぶる。
 気分転換するなら、同性愛とは離れたほうがいい。仮にそう思っても、俺をつまずかせる小石なんて無数に散らばっている。恋愛のことばかりの歌や本は、当然のように異性愛を描がく。友情や家族だって、俺の味方をすれば自分も変態になるから近づかない。息切れておぼつかない俺は砂利道で転び、膝と手のひらを真っ赤に擦りむき、顔を上げて誰もいない真っ暗を見る。でも、不意に背中に大きな影がかかって──。
 俺は病気なんかじゃない。でも、もしかすると病気なのかもしれない。
 同性愛を病気だとは思わない。ただ、こんな孤立状態で俺の精神状態はかなり蝕まれているのではないか。感覚や思考がまともじゃない。地下への螺旋階段を下るように滅入って、感情をコントロールできなくて、分かっているのに悪い方向へと近づいて、顔面に泥を投げつけられて──何でだろう、と切実に考える。
 ゲイであることは、別に憎くない。何で、とはすごく思う。うまくみんなに分かってもらえない自分に対してか、分かろうとしてくれないみんなや社会に対してか。本当に、何でだろう。ストレートが異性しか求めないように、同性しか求めないだけだ。
 男女のカップルは必ず子供を残す、残せるとは限らないし、夜な夜な行きずりの相手を捜す奴はストレートにもいる。何で、同性相手だと罪になるのだろう。
 とはいえ、俺も自分がストレートだったら、ゲイを受け入れていたかは分からない。要するに、みんな気持ち悪いのだろう。何が気持ち悪いのかは分からないが、とにかく気持ち悪いのだ。手でぬぐえば消えてしまいそうな霧がなかなか消えないみたいに、そういう偏った感覚は簡単に追いはらえそうでつきまとう。
 みんなに強さを求めるのも都合のいい話だ。開き直ってそういうふうに思うと、家庭や学校と和解するのは無理なのかと限界も感じる。同性愛者と異性愛者が互いのためにできるせめてもの尊重は、分離なのかもしれない。
 俺は間違っていないけど、非常階段を降りないのは間違っているのかもしれない。やっぱり、同じ人間が集まる場所に消えるべきなのだろうか。
 嫌悪されて軽蔑されて、バカにされておもしろがられて、学校なんかやめたほうがいいのかもしれない。この家も捨て身で出ていったほうがいいのかもしれない。
 俺自身、そうしたほうが幸せになるのではないか。ここにいても、気分転換もできない。このままこんな生活を続けていたって、二度と日常に日常を見つけることはできないのかもしれない。

第四十五章へ

error: