非常階段-78

家庭訪問

 五月といえば家庭訪問がある。一年生でも二年生でもあったが、一年生のときは俺の内面以外では何も起きていなかった。二年生のときは榎本とかあさん、お互い話したいことは分かっていたけど触れずに気まずく終わった。
 今年は違いそうだ。五月六日に会ったとき、桐島は対応したかあさんについてこう言った。
「『柊くんいますか』って訊いたら沈黙してさ。『あの子の何なんですか』って訊かれた」
 金がないと言いつつ、千円ぐらい持参してきた俺たちは、学校の通りの坂道を下って駅に向かっていた。行楽を見守る青空の元、車が盛んに行き交っている。
 桐島を見ると、俺は冬だったら真っ白そうな息をついた。
「だろうな」
「意味深な答えですね」
「電話持ってきたとき、かあさん変な顔してたし」
「クラスメイトって言っといたぜ」
「うん──。でも、恋人と思われたかも」
 迷彩柄のリュックを肩にかける桐島は、俺を見てふんと鼻で咲った。
「恋人ね」
「そっちこそ意味深な笑い」
「理解されてないんだ」
 無感覚な殺しのように率直に言った桐島に、びくんと足を止めた。桐島は数歩進んだところで、軆ごと振り向く。
 滑りこんだ暖かい風に、桐島の髪も俺の髪も揺れた。
「違うのか」
「………、ごめん」
 俺の答えは、桐島には意外だったようだ。彼は上に羽織るフェードブルーのシャツを風にふくらませてこちらに来た。
「何で謝るんだよ」
「鬱陶しいだろ」
「何が」
「家の中のそんな、ごちゃごちゃしたことなんて」
「別に。分かってたし」
 桐島の無頓着な顔に目を開く。
「知ってた、じゃないからな」
 桐島はするりと身を返して歩き出す。俺はいったんうつむき、右肩のベージュのリュックをかけなおすと、彼に並んだ。
「俺、そんな、何というか、暗い?」
「家族に理解されてたら、もっと強かっただろ。今でも塩沢が弱いとは思わないぜ。誰も分かってくれなくても折れない」
「………、そんなことないよ。折れそうだよ。死にたいとか思ったの数えきれないし。自分のこと、ぜんぜん好きじゃない」
 桐島の淡々とした目に、もう少しつけくわえる。
「ゲイってことが、じゃないんだ。ゲイってことをネガティヴにしか受け取れない自分が嫌なんだ」
 桐島はくすりとすると、風にはためいたシャツの裾をはらった。
「強いじゃん。弱い奴は手っ取り早くゲイってことを嫌悪するぜ。どうにもできないことをな」
 桐島の笑みを含んだ目に、俺はうわてになれない。すれちがいざまの自転車をよけると、しばらくスニーカーの動きを見つめていた。
「家族は俺が嫌いなんだ」
 頬にひと粒落ちた雨みたいにぽつんとつぶやくと、そのまま降り出すように俺は家庭内についてしゃべっていた。両親の失望、邪慳や疎遠、極めつけの雪乃ねえちゃんの受験失敗──坂道を下りきって、狭い道路の商店街に入る頃、俺はこう締めくくった。
「みんな、俺と血がつながってるのが耐えられないんだ」
 そしてふと見た桐島の横顔に、俺は言葉にほぐしきっていた舌を止めた。彼の目はどこか遠く、古い神殿の壁のようにざらついていた。その近寄りがたい雰囲気に、やっぱりまずい告白だったかと臆病になる。
 桐島はようやく俺の話が終わっているのに気づくと、こちらを向いた。
「家族に嫌われるのって、そんなにつらい?」
 それでも、一応聞いてはいたらしい。俺はすぐに答えた。
「つらいに決まってるだろ」
「……そうか」
 桐島はまた正面を見つめて、押し黙った。その頬や口元は硬くも冷たくもないが、眼つきで何となく俺は立ち入れない。
 商店街の地元的な喧騒の先に、電車が線路を行く音がした。
「……桐島?」
 心配になって眉を曇らせると、桐島はこちらを見て、俺の顔つきにちょっと咲った。そして、吹っ切った息と共に、いつものやんちゃな笑顔も取り戻す。
「俺こそごめん。あんまりしゃべったりしたくなかったよな」
「え、いや、聞いてくれるなら、誰かに言いたかったけど」
「そっか。ま、これで家のこと、俺には取り繕わなくていいだろ」
 にっとした桐島に、俺も咲ってうなずけた。
 こぢんまりした駅に着くと、電車に乗る。空いた車内でシートに腰かけると、停車のあいだ、開けっぱなしの扉に外のざわめきや鋼の匂いが混じりこんできた。
「そういや、香野はそういうの知ってるのか」
「え」
「担任。明日から家庭訪問だろ」
「あ……」
「あいつには、どうせばれるぜ。先に言っとくのも、狼狽えさせないかも」
 桐島と顔を合わせ、そのとき甲高く笛が鳴った。扉が息苦しそうに閉まり、揺れた反動が軆にかかって、やがて窓の景色が流れはじめる。「うん」と答えたきり、俺は静かな車内に合わせて黙りこんでいた。
 俺の家庭訪問は、二日目の十五時だった。結局は、当日の四時間目の国語の授業のあと、香野を呼び止めて話しておきたいことがあると言った。放課後ゆっくりしているヒマはないわけで、弁当を連れて生徒指導室を借りる。
 俺の家庭内状況に、香野はいささか面食らったあと、渋そうな表情になった。
「そうか。家の人も──」
「桐島が、言ってくれて。免疫作っといたほうがいいかもって」
「……そうだな。それなら俺も、考えて話したほうがよさそうだな」
 俺は箸に刺したあぶらっぽいミニハンバーグを口にした。香野の昼食も手作り弁当だ。聞いたことはないが、彼は既婚者だと思う。
「何か俺に言ってほしいことはあるか」
「何言っても分かってくれませんよ。俺が病気だと思ってるし」
「病気……か」
 香野は古傷が痛んだように眉を顰めて、顔を伏せる。
「かあさんのほうが触れてこないなら、いっそ話さないほうがいいかも」
 俺の思い切った意見に、香野は顔を上げる。
「あんまり言うと、先生が俺のそういうの増長させるとか思って、何かするかもしれないし。その、俺は先生に担任でいてほしいから」
 ちょっと決まり悪い俺の言葉に、香野は笑みをやわらげる。
「そう言ってくれると嬉しいよ。まあ、そうだな。そんなに深刻なら、他人の口出しとしか取ってもらえないだろう。しかし、ぜんぜん触れないのもむずかしいな」
「そりゃ、気まずいだろうけど」
「というより、知らないふりをしてるっていうのも信用されないだろ」
「別にされなくてもいいんじゃないですか。俺は違うし」
 香野はむずかしそうに息をついて、背もたれに寄りかかる。俺はひと口にちぎった塩味のおにぎりを口に押しこんだ。
 いつも通りホコリっぽい室内には、窓の五月晴れの陽射しが広がっている。いくつも廊下に物音が通りかかり、ずいぶん考えたあと、香野は方針を決めた。
「お前をかばう発言はひかえておこう。でも、俺は受け止めていきたいっていうのは伝えるよ」
 ちょうど硬めのマカロニサラダを噛んでいた俺は、飲みこむと、香野がそう決めたのなら反論せずに言った。
「怪我しない程度に」
 かくして、家庭訪問はわりあい穏健に過ぎ去った。俺も同席していた。
 ゆいいつ目に止まったのは、「柊くんのことは尊重したいと思います」という香野の発言に、かあさんが喘息をこらえるように息を止め、頬をかすかに蒼ざめさせていたことだ。どういう意味だったのかは、分からない。
 香野が帰ると、かあさんはダイニングのテーブルで考えこんでいた。俺はその様子をじっと無言で見つめたあと、感情も物音も殺して二階に上がった。

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