家族だから
家の中では、見捨てられていると感じていた。
誰も目を向けない。声や存在を気にかけない。社会ではそういう試練はずぶとさで慣れていかなくてはならない無感覚なのだろうが、家庭内でそんなものを感じるのは思う以上に苦痛だ。
招かれない客として、いたたまれない。みんな俺を嫌っている。消えればいいと願っている。そんな窮屈は心を血まみれに切り刻んでいくと同時に、自分自身が刃物になったようにも感じさせた。
俺の存在は、みんなにそうもさせるほど残酷なのか。俺がゲイで、とうさんやかあさんはそんなにまで傷ついているのか。自分がゲイであることを怨みたくはないけれど、そんな切迫は、点滅信号のようにしつこく自刃を考えさせた。
桐島や香野と接して、俺の精神は多少軽やかになっていた。そのせいだと思う。昨日の風呂上がり、湯気の名残といい匂いをひいて二階に上がろうとしていた。
すると、背後の玄関で物音がし、湿った髪を揺らして振り返ると、背広すがたのとうさんがいた。いつもなら頬をこわばらせてとっとと二階に上がるところが、その日はピエロみたいな間抜けな笑みを作り、言ってしまった。
「……あ、おかえり」
とうさんはわずかに眉を動かしただけで、何とも答えなかった。靴を脱いでリビングに入ると、「おかえりなさーい」と億劫そうな雪乃ねえちゃんの声がする。とうさんはそれには、「ただいま」と答えた。
「ねえ、お風呂で音してた?」
「さあな」
「あいつ、まだ入ってるのかしら」
「おかえりなさい」
かあさんの声にも、「ああ」ととうさんは応じる。俺は茫然と麻痺し、打ちのめされた五感に息もできなかった。胸の奥にだけ痛覚が鮮烈に切りこみ、腕を捻じり上げられるような強烈な痛みが血走る。
「かあさん、お風呂見てきてよ」
「自分で行きなさい」
「あいつの顔見ると、気分悪くなるのよ」
その言葉も銃のようにショックだったが、続いた両親の咎めもしないため息が、心臓を粉々に砕いた。
何で。どうして。搏動が乱れて、脳髄がずきずき脈打ちはじめる。容赦なく痛む生々しい感情は、平然と抑えるなんてさせない。
俺は、無視しておけば消えると見られているのか。家族にとって、そんなにどうしようもない、取り合いたくもない存在なのか。俺のこの感情は、無視しても何とも感じないと思われているのか。
バカなことをしてしまった。恥ずかしい。よく分かっていた。家族は理解しない。何で声なんかかけてしまったのだろう。いつもみたいに、こちらこそ黙殺しておけばよかった。
何を期待したのだ。相手が分かってくれないのは承知していた。いまだに、俺はどこかでは家族を信じているのか。情けない。なぜ毅然とできず、いつまでも甘ったるいのだろう。
もっと残虐にならないといけない。信じてもしょうがないものは信じない。そして適当に済ませるようにならないと、勝手に怒って、傷ついて、疲れるのは俺だ。
とうさんもかあさんもねえちゃんも、よその、俺を迫害する人間と同じだ。俺は、家族に対しても強くならなければならない。
部屋に行っても、瞳は乾上がった水の痕のようにぱさぱさだった。明かりもつけずにベッドに突っ伏すと、ぎしっとベッドがきしむ。毛布を被って自分の匂いに包まれてみたけど、嫌悪されている恐怖が、水糊のように忌まわしくつきまとって涙はほどけない。呼吸だけ震えて、ひりついていく喉に暗いめまいが燻っていた。
一階にぼんやり聞こえる話し声が怖い。俺をののしっているのだろう。そうだ。俺のせいでみんな人生を台無しにした。嫌われて当然だ。自業自得だ。何も抗議してはいけない。耐えて、そのうち消えて、互いに忘れるしか解決策はない。
俺は見捨てられた。鬱陶しい奴だと憎まれておいて、再び溶け合うなんて、どちらかが心を複雑骨折したって厳しい。
そういうのを、今日、昼食時に桐島に話した。場所は窓際側、前から三番目の、今月の桐島の席だ。彼が椅子に座り、俺はつくえに寄りかかっている。
俺も彼も開襟シャツの夏服だ。空では雲もない水色がすうっと突き抜け、出かける生徒が多くて教室は落ち着いている。
食欲もなく、気鬱に息を吐く俺を見つめ、購買のあぶらっこそうなハムエッグをかじる桐島は頬杖をついた。
「深刻なんだな」
「……まあな」
「ミートボール、いらないならくれ」
気だるく苦笑すると、香辛料の匂いが強いソースにまみれたミートボールを、ハムエッグに乗せる。
「ほんとに、みんなそう思ってるのか」
「思ってるよ。気分悪くなるって言ってたんだぜ。無視だし。失望した、とか初めに言われたもんな」
「それでも、あきらめるのってむずかしい?」
「あきらめる」
「こいつら、どうでもいいやって」
「なろうって、一年のときから思ってきたはずなんだよな」
「優しいんだな」
桐島は頬杖をといて、ミートボールを口に転がす。顔をあおがせた所作に合わせて、陽射しに彼の前髪が金色に透けた。俺は色彩を残すままの弁当に首を垂らす。
「優しいなんて、バカみたいだ」
「まあね」
達人に挑んだようにあっさり切り返され、自分で言ったくせにちょっと傷つく。「でも」と続いた桐島の声に顔を向ける。
「失くせばいいってものでもないよ。そういう、残酷になりきれないお前が好きだって奴、いると思うし。俺とかね」
にっとした桐島に、わずかに咲える。桐島はミートボールのソースがついたたまごにぱくついた。
「世の中のが変なんだぜ。人を傷つけるようなことしても、何とも感じない。塩沢のが元を正せば普通なんだよ」
「普通」
「相手の気持ちを考えて、気を遣う。ほんとは当たり前のことなんだよな。ちなみに俺はできません。そんなん疲れるもん」
「俺も疲れるよ」
「でも、投げ出さないんだろ。俺ならとうに順応してすれてるね。そっちがそうならこっちも信じてやらねえ、と」
桐島は口の端についたたまごを舐める。俺は弁当箱を見下ろしたものの、胃にたっぷり泥水が溜まっている。
あのいつもの吐き気が、とりわけ今日は激しい。
「俺もそうなりたいや」
「なれるならとっくになってるだろ」
横目で簡単に言ってしまう桐島の言葉は、残酷なのになぜかすがすがしい。
「桐島はそんなに冷たく感じないな」
「そうか? ならそれは、俺とお前が合ってるってことだな」
「合ってる」
「俺は塩沢の気持ちを汲み取って発言したことはないぜ。いつだって、自分の意見だ」
桐島は俺と瞳を重ねると咲い、俺はその瞳にじっと吸いこまれる。そして、吐息と共に生徒の少ない教室を見やった。
「そういう相手って、死ぬまでに何人見つかるんだろ」
教室に残る生徒たちは、自分たちの輪の中で咲っている。昔に見た光景の中に再び立つように、胸が締めつけられる。
「桐島に逢うのも、すごく長かった」
しばらく根深い沈黙が流れた。かさ、と背中にビニールのふくろを広げる音が聞こえる。
「贅沢は言えるもんじゃないさ。そういう相手持てるだけでもいいじゃん。一生いない奴もいる。出逢えなかったり、気づかなかったり」
それでも俺は、振り向かずに陽射しの暖かい明るさを見つめている。手の中で弁当も箸も動かない。腕も足元も金属に浸かったように重苦しい。
「家族もそういう相手にならないんだな」
そうつぶやいてようやく目線を落とすと、箸の先でたまご焼きをちぎった。
「無条件に入ってるように思うけど、違うんだ」
桐島は何も言わない。食べる音もしない。俺はいつもの匂いと味のたまご焼きをよく噛んで、やっと飲みこんだ。
「そうだな」
ふと聞こえた桐島の声に、俺は右肩越しに首を捻じる。
「家族だからって分かりあえるとは限らない。血はときどき、通じ合わせるより拒絶させる。結局、家族とだって精神的なものが必要なんだ」
こちらを見ない桐島の瞳には、あのざらつきがあった。口の中にたまご焼きの後味が染みついている。俺はその味の唾を飲みこむと、静かに訊いてみた。
「桐島は、家族と分かりあってる?」
桐島は俺を見上げた。その顔は刹那無表情だった。けれど、すぐに口元は皮肉っぽく咲い、瞳の中は悪戯に光る。
「家族とは、な」
【第八十章へ】
