自分の中で殺したい
俺はあまり口出しせず、昔から軽快な賢司と雪乃ねえちゃんのやりとりを眺めていた。口ではあれこれ言っていても、本音ではふたりとも相手が好きなのだと思う。元のとこでの好きな子ともこんな感じだったのかな、と賢司をちらりとしつつ、甘い香りのクッキーに手を伸ばして、口にしたあと満腹だったのを思い出す。
異性と接する賢司を見ると、いっそう彼がストレートなのが感じられる。俺がなぜ女に昂ぶらないのかうまく言えないように、うまく言えないけど、とにかく賢司はストレートだ。
ぽんぽんキャッチボールするふたりに、疎外感というより、別のものを感じる。それは、種が発芽しかけた土のわずかなふくらみのように見取りにくいけど、そこにいるのが雪乃ねえちゃんでなく賢司の好きな女の子だったら、今度は大木のごとく圧倒的に痛感するものなのかもしれない。つまり、感じるのは、嫉妬──。
賢司に彼女ができたらどうなるのだろう。それはすでに想定していた。結論はどうしようもなかった。九割の確率で、嫉妬する。残りの一割は、嫉妬するヒマもなく落ちこむとかそのへんだ。
嫉妬なんて女みたいだ。女、なのだろうか。何だかゲイは、外側は男で中身は女のようには言われている。俺は自分が女だとは感じない。女っぽくしたいとも思わない。女装なんて、冗談ではない。女言葉も使う気はない。
だけど、ゲイはオカマと蔑称される。女らしくて感性は繊細だ、とかいう褒め言葉のようなものも聞いたことがある。テレビでごついのに女みたいにしゃべったり動いたりするゲイだという男も見たことがある。何なんだろ、とそのへんはよく分からない。
賢司を窃視し、抱かれたいとか思うかな、と本当は直視したくなくても考える。何というか、あんまり、思わない。とはいっても、触られたらどきどきするだろうし、口づけられたらと思っても嫌じゃない。
嬉しいかもしれない。あの夏の夢みたいなことを賢司とできたら、泣いてしまうかもしれない。抱かれたいとは思わないけど、寝たい、という対等な言い方なら──最低すぎる、と最後まで思えず舌を噛んで死にたくなる。
こんなのはバカだ。全国放送に顔を出し、自分はゲイだと名乗るような奴が信じられない。俺はそんなに強くない。こんなの、できるものなら失敗作の絵画を破り捨てるようにかきけしてしまいたい。親友にこんな妄想を持つなんて、人間として間違っている。そう思う以外、これをどう受け取ればいい?
それとも、テレビで自分が誇りだと言える奴は、そういうことは考えたりしなくて純粋なのだろうか。繊細で純情で、ひと目で恋に落ちたり、その相手とどうなりたいかなんて考えないのだろうか。その相手が存在していて、出逢えただけで幸せだとか思うのだろうか。こんなのはゲイだからでなく、俺という人間がいやらしい奴だからに過ぎないのか。
賢司が好奇心で俺の部屋を覗いたあと、賢司とおばさんは車で家をあとにした。「今度は柊くんがうちに遊びにきてね」とおばさんに言われ、俺は咲っていたけど、信じられないぐらい心が痛かった。痛みがひどすぎて、神経は透けるように麻痺していて、そのおかげでふたりを笑顔で見送れたようなものだった。
部屋に戻って、窓が夕暮れを映す室内を見つめていると、本当に今初めて知ったほど、深いところから胸苦しさがこみあげてくる。恥ずかしかった。とても生きていけないような、耐えられない感情があふれてくる。
どうしてだろう。何でだろう。俺は男に惹かれることなんか、ちっとも望んでいない! なのに、どうして、あんなことをどこかでは望んでいる自分がいるのだろう。
橙色の苦い視界が粗い粉のようにざらつき、頭の中が色を失っておかしくなりかける。
ぐちゃぐちゃに叫ぶ心が、挙句には溶け、麻酔になり、汚れた感覚を空白に昏睡させていく。根なし草になったみたいだ。頭がふらふらしていく。
俺は、そんなに汚い人間なのだろうか。何でそんなことが想像できてしまうのかとは思う。親友と寝るところなんて、そんなもの、異星人の生態のように想像不可能であってしかるべきなのだ。なのに、なぜ、俺は──こんなことなら、自分で自分の首を断罪してしまいたい。
俺はきっと死刑に値する。死ななければ賢司に許されない。罰されるのが怖くて、全部黙っている。ほんの一瞬でも、想像してしまった。たとえ仮に大したことではないと言われようと、俺が許せないのだ。
本来なら賢司の親友でいる資格もない。俺は親友である絆を穢した。これ以上、自分の汚さなんて思い知りたくない。自分を嫌いになるのが怖い。だから、賢司の前を水蒸気のように消えてしまいたい。
足を引きずって、ベッドサイドにたどりつくと、腰かけて肺に溜まった息を吐き出した。でも、吐いても吐いても、肝心の靄は喉につっかえて息にならない。正面の夕陽に染まるレースカーテンに瞳を揺蕩わせ、ときどき聞こえる外の物音を見つめる。
まるで、気の抜けた精神患者だ。このまま、何も分からなくなってもいい。自分のいろんなものが操作できない。
頭も、心も、軆も、このことばかりについてこんがらかって、ちっとも休息できない。意思が通用しない感情に引っかきまわされ、疲れても疲れても、終わらない。回転車を走らさせられるハムスターみたいに、不安や嫌悪や恐怖が虚しさを苦しく空回りする。
明日もこんなふうに、最低の気分で罪悪感に切り刻まれているのだろうか。そんなふうに思うと、毎日がやってくるのが嫌になってくる。同じことをたくさん考えて、出口のないことに悩んで、次第にこの息苦しさが日常と化していくのが怖い。
このことについて悩まない日は、死ぬまでないのだろうか。やむことのない黒い酸性雨に放り出されたようだ。何かを失くしてしまった気がする。そして、余計な思索ばかりがずきずきする。すべて誰かに掠奪されて、発熱もろとも忘れてしまうことができればいいのに。
モンスターが完全変態するときいったん溶けるみたいに、ベッドにどろりと横たわる。もう考えたくない。けれど、寝ているあいだもせっせと動く心臓同様、気持ちがどんなに疲労しようと、嫌な気分はどこまでも垂れこめる。どうして俺は、こんなにタチが悪いのだろう。うまくあつかえない自分なんか、ドブ川にゴミを捨てるように投げ出してしまいたい。
もしゲイならゲイで、テレビの人みたいにしなやかに認めてしまえればいいのに。恥ずかしくなんかない──だが、俺はそう言えるほど、強くも美しくもない。賢司に対して、死ぬほど申し訳ない。せめて彼に謝ることができればいいのに、そんな勇気もない。
こんな俺が、いったいどんな理解や尊重を受けられるというのだろう。どうしても考える。拒絶されて唾を吐かれるぐらいなら、自分の中に留まるうちに殺して、流産のように消してしまいたい。
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