終わりの先で
「妹みたいな感じでかわいいよ」
十七歳になる六月、あたしの誕生日があるからと悠紗は街に滞在していた。誕生日の夜には、悠紗のバンドがよくたむろするようになっているバーにいた。カウンターとテーブル席が数席置かれただけの小さなバーだ。
地下一階にライヴハウスがあり、そこのオーナーの知人がこのバーのオーナーで、イベントのときには、バーからライヴハウスへ軽いフードを提携したりしている。
カウンターで悠紗と隣り合って、烏龍茶を飲むあたしが結音のことをそう言うと、悠紗は「毬音にも母性があったんだなあ」なんてしみじみとした。
「さすがに娘とは思わないけど」
「弓弦さんと紗月さんが両親って、最強だよな」
「あたしもそう思う」
「俺のとうさんと兄貴も最高だけどね?」
いつも通りの自慢にあたしが小さく咲うと、「毬音は家どう?」と悠紗は首をかたむける。
「家庭内別居みたいかな」
「夫婦かよ」
「違うけど。ルームシェアかもしれない」
「仲いいのか悪いのか分かんないね」
「仲は悪いよ。口きかないし、食事もばらばら」
「まだ部屋出ないの?」
「そろそろ出ると思う。お金は貯まったし。街のどのへんに住もうかなって悩む」
「ひとり暮らしだよね」
「うん」
「危なくない?」
「そう?」
「そうだよ。毬音、かわいいもん」
「………、でも、家出るために働いてきたんだし」
「それは知ってる。てか、それを勧めたの俺だし」
悠紗はカルピスソーダを飲んで、何やら深呼吸したあと、「毬音」と真剣な声であたしの名前を呼んだ。
「うん?」
「俺さ、この街で暮らしていこうと思うんだ」
「えっ」
「夏椰たちもここにいるし、バンド活動のためにもそのほうが絶対いい。この街で、まずキャリアを積んでいきたいんだ」
「……そっか」
「それに、毬音のそばにもいたいし」
あたしが悠紗を見ると、「だから」と悠紗は言葉をつないだ。
「俺たち、一緒に暮らそうよ」
ぎょっと悠紗を見直した。悠紗はまじめにあたしを見つめ、「そしたら、毬音もひとり暮らししなくていいだろ」と続ける。
「俺もそのほうが安心だし。この街だとか関係なくて、女の子がひとり暮らしするのはやっぱ危ない。心配」
「……あたしなんか、別に、心配されるような──」
「それダメって言っただろ」と悠紗はあたしの頬を軽くつねった。
「『なんか』じゃないの。毬音は『なんか』とは違う。俺の大事な彼女なんだ」
悠紗を見つめた。なぜか泣きそうになったので睫毛を伏せてから、あたしは素直にこくんとした。すると、悠紗はあたしの頭をぽんぽんとして、「一緒に暮らせば、お互い助かるとこがいっぱいあると思うし」と柔らかく微笑する。
「一緒に暮らそう。俺は毬音と一緒に飯も食うよ」
あたしと悠紗が見つめあっていると、「悠紗くん、そろそろ出す?」と何やらカウンター内のオーナーがそわそわと声をかけてきた。「うん!」と悠紗が答え、あたしがきょとんとしていると、オーナーが冷蔵庫からホールのケーキを取り出してきた。
「誕生日はケーキでしょ」と悠紗は悪戯っぽく微笑んできて、あたしもつい咲ってしまいながら、この人の彼女で幸せだなあと改めて感じた。
そして、悠紗の活動とあたしの職場を考慮して、あたしたちは彩雪寄りの朝町に部屋を借りることにした。方角でいうと街の北東で、これまでパパで暮らしてきた周辺とは真逆になる。
弓弦も紗月さんも、あたしが悠紗と同棲していくことに「おめでとう」と言ってくれた。
この頃には、いろんなことがあって、結音はようやく弓弦にも心を許すようになっていた。最初、悠紗と暮らすことを聞いた結音は、あたしが街を出ていくと思って泣きそうにしたけれど、悠紗のほうがこの街に飛びこんで、あたしは変わらずこの街に暮らすことを話すとほっとしていた。
部屋を出ていく前に、あたしは久々にパパと話した。明け方、パパはかったるそうにベランダで煙草を吸っていて、あたしはその背中に、ここを出て男の子と暮らしていくことを告げた。ふーっと煙草を吹かして、「それ、外の男なんだろ」とパパは言った。「そうだけど」と答えると、パパは鼻で嗤って「やっぱ生ゴミの臭いだ」とつぶやく。それから、こちらを振り返りもせずに「もう帰ってくるなよ」と苦い口調で吐き捨てた。
「マジで生ゴミみたいな臭いがするから、そんな臭いつけてくるなら、もうここには来るな」
そう言いながら、パパがどんな顔をしているのかは分からなかった。けど、おおかたしれっとしていたのだろう。
あたし、ほんとにこの人に愛されなかった。最後まで愛してもらえなかった。とうの昔から、愛してほしいなんて欠片も願ってはいなかったけれど──ただ、あたしとパパは、結局何だったのだろうと思った。
光樹くんにも悠紗と暮らしていくことは報告したら、「毬音ちゃん、悠紗くんとつきあってたの!?」とそこにびっくりされてしまった。そういえば、伝えていなかった気がする。それでも、光樹くんは咲って「バンドマンの彼女は苦労するからねー」なんて言いつつ祝福してくれた。
パパの最後の態度については苦笑いして、「もしあとから寂しがってたら、僕がなぐさめとくよ」と言っていた。
「毬音ちゃんは、もう碧織から解放されていいんだよ。自分で食べて、生きていける。だから、おめでとう」
あたしは、光樹くんの言葉にこくりとした。そういえば、パパに昔、こんなことを言われたことがある。
『今お前は、僕たちに食わせてもらわずにすむようになるのをずっと先に感じてるだろうけど、そんなことない。大人なんてすぐ来て、人生まで追いこして、あっという間に死ぬんだ』
やっとあたしは、自分で食べていけるところまで来た。あの頃は、この日が来るのを本当に永遠より先に感じていた。けれど、ついにあたしは自立するのだ。
『お前が死にたいのは知ってるよ。そんなもん、どうせこっちが突っ込まなくても来るんだ。生きてるってのは、不治の病と同じだよ。発病したなら、生まれたなら、さっさと肯定して死ぬまで好きなようにやっといたほうがいい』
死にたいとかも思わない。パパに蹴られて、ママに殴られて、幼い頃は死にたい──というか、死んだほうがマシだと思っていた。
今、あたしは生きていこうと思える。だって、隣に悠紗がいる。あたしは悠紗と過ごすことを、めいっぱい吸いこんで生きていきたい。
八月、あたしと悠紗が出逢って七年。悠紗もこの街での仕事を見つけて、本格的に同棲が始まった。部屋に入居して少し経った日、悠紗のバンドメンバーが押しかけてきたので、すき焼きにしていろんな意味のお祝いをした。大人数で鍋を囲むなんて、あたしは初めてだった。
「そういえば、バンド名ってもう決まったの?」
ふとあたしが尋ねると、「毬ちゃん、よくぞ訊いてくれた」と初生くんがもったいぶってうなずいた。「日本語か英語かすげー迷って、フランス語になったんだけど」と悠紗は笑う。「“enfant terrible”っていいかなと思って」と言った夏椰くんに「“恐るべき子供たち”って意味」と漣くんが補足する。
「“恐るべき子供たち”……」
あたしが反芻すると、「俺たち、みんな未成年だし」と悠紗はたっぷりと肉を溶きたまごに浸す。
「音楽の方向性も、大人の脅威になって、顰蹙買っていきたいよなって思うから」
「みんな成人したら、バンド名どうするの?」
「馴染んでたら変えないよね」
夏椰くんの言葉に、初生くんがうなずいて言葉を継ぐ。
「おっさんになっても、ガキを名乗ってる奴らなどいくらでもいるしな」
「辞書で見つけた言葉だけど、もともとはフランスの詩小説のタイトルなんだよ」
漣くんの解説に「その本、読んだの?」とあたしが質問すると、四人は顔を合わせた。「……読まないとやばいのか」と初生くんがつぶやいたことで、まあ察することはできた。
恐るべき子供たち。確かに、将来性は化け物みたいな四人だと思うから、いいのかなと思った。
そろそろ初ライヴやりたいとか何とか盛り上がる四人を眺め、あたしは悠紗のことも、悠紗の仲間のことも見守っていきたいと思った。
バンドマンの彼女は苦労する。光樹くんも言っていたし、よく聞く言葉だ。でも、あたしは悠紗を応援したい。彼のステージを初めて見たときから、そのすがたに惹かれていた。
七年前のあの日から、ずっとずっと悠紗が好きだった。
だからあたしは、悠紗の夢を一緒に見たい。そして、悠紗にもあたしの夢を見てほしい。あたしたちなら、きっとそれができる。
「毬音も肉食べなよ」と悠紗があたしの溶きたまごにほくほくと匂い立つお肉を入れてくれる。あたしはそれを頬張って、おいしい、と思った。悠紗と一緒に食事するときは、いつもこんなふうに味覚が薔薇色になる。
だから、あたしは悠紗が好きなんだ。この人となら温かい食卓を築いていける。そんな未来を、信じることができるから──。
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