enfant paisible-11

安らかな光

 午前四時をまわって、朝番の子たちに引き継ぎをしてシフトを上がり、スマホをチェックすると悠紗からメッセが届いていた。スタジオを出たので迎えにいく、一緒に帰ろうという内容だった。
『分かった』と送信したらすぐに既読がついて、『今着いたから、店の前にいるよ』と返ってきた。あたしは急いで着替えると、「お疲れ様です」と帰る前にテーブルでひと息ついている同僚に挨拶して、裏からお店を出る。
 路地に面した入口の脇に、ギターを背負った悠紗のすがたがあった。「悠」と声をかけながら駆け寄ると、悠紗はこちらを振り向いて「毬音」とにっこりする。
「お疲れ」
「うん。悠も」
「眠いね。腹も減ったけど」
「何か食べてく?」
「毬音、連勤だよね。惣菜で手抜きしますか」
「作れるよ、軽くなら」
「そお? じゃあ、カレーかハヤシ食べたい」
「トマトあったからハヤシかな」
「よっしゃー。帰ろ」
 悠紗はあたしの手を取って、通りに出て歩きはじめる。あたしは隣に並び、悠紗こそいそがしそうだからなあ、と彼を盗み見る。
 おにいさんたちの結婚式に出席するために、けっこう休みを取ったので、そのぶん今はシフトがきつそうだ。職場にそうされているわけでなく、悠紗自身が、今月の収入を減らして生活に皺寄せは出したくないみたいだ。
「そういえばさ」
「うん」
「萌梨くんに、プロポーズの言葉を訊いたんだよね」
「萌梨くん」
「兄貴ね。それが──何だったかな、『帰るところが同じになるといいね』って」
 朝の気配に人が減りはじめ、黎明の蒼さに浸っている街並みを眺めながら、「いい言葉だね」とあたしが言うと、「うん」と悠紗はうなずく。
「何か、俺と毬音もそうだなあって思った。今もそうだけど。同じ家に帰るっていうか」
 アスファルトに足音を残して歩きつつ、あたしは少し微笑む。
『家』なんて、あたしにはずっと悪夢だった。暴力と無関心しかないパパと、消えるようにいなくなったママ。大嫌いだった。どんなに逃げたくても、その場所にいるしかない無力な自分が、生きたくなくなるくらい悔しかった。
 けれど、今、あたしにとって『家』は安らかな居場所だ。出逢ったときから、悠紗との時間はいつも穏やかで。そんな人と一緒に暮らして、やっと、『家』を愛せるようになった。ずっとここにいたい、と願えるほど。
「悠」
「んー?」
「ありがとう」
「えっ」
「あたしの家族になってくれて」
「………、え、できた?」
「それはまだだけど」
「ちょっとびっくりした。でも──いつか欲しいね」
「そう思う?」
「もちろん!」
 即答の悠紗に、あたしはくすりと咲ってから、そんな日もいずれ来ることを楽しみに想う。
 きっとあたしたちは、その子に愛情をいっぱいそそいで育てることができる。そのことに、確かな安心を感じられる。悠紗となら、あたしは愛を紡いでいける。夢に見た温かい家庭を作れる。
 だからどうか、あたしたちの未来に、安らかな愛がありますように。
 そう願いながら、ビルの隙間から緩やかにこぼれてくる朝の光を見つめる。太陽に蒸される前の、涼しい風が優しく頬や髪をすべっていく。
 蒼白い早朝が、金色のまばゆい朝へと切り開かれる。そしてあたしは、今日も、明日も、明後日も、ずっと先まで──一日が始まるたび、こんなふうに健やかな深呼吸をして、安らぎに満たされるんだ。

 FIN

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