enfant paisible-2

ライヴの夜

 あたしのことを勝手に生んだママのことが、パパはよほど嫌いだったらしい。いつもパパの暴力はすさまじくて、ママのことはもちろん、あたしのこともよく滅多打ちにした。
 パパはこの天鈴町で男娼をやっていて、容姿は淑やかながら色気のある細身の綺麗な人だ。いっけん、暴力というイメージではない。でも、切れたら瞳孔を開いて暴言を怒鳴って、痣でどろどろになるほど殴ってくる。そんなパパが、あたしは死ぬほど嫌いだった。
 ママも嫌いだった。あたしをかばうなんてなかったし、むしろパパに殴られたやつあたりで、ママもまた、あたしを床に引きずって殴ってきた。
 ママも娼婦で軆を売っていた。パパは売春を気高い職業だと思っていたようだけど、ママは泥水をすする仕事だと思っていて、よく死にたいとか何とか言っていた。
 パパのことは嫌悪しているように見えて、実際はかなり執着していた。あたしを生めば、パパを自分のものにできると思ったくらいには。
 やがて、ようやくママはパパからの愛をあきらめた。客の男に見受けされ、子供がいることは旦那に隠したまま、あたしには顔も見せずにいなくなった。
 パパには挨拶に来たみたいだ。パパは「あいつが結婚とか笑うしかないね」と身をよじらせて笑って、「まあ、これですっきりしたな」とまだ含み笑うまま煙草を吸っていた。
 それから、確かにパパの暴力は減った。なくならなかったけど、痣に痣を上塗りされる頻度ではなくなった。
 パパはあたしを連れて、ときおり出かけることもあった。たいていは、パパの幼なじみである光樹みつぎくんのライヴだった。
 光樹くんは、ファントムリムというバンドのヴォーカルをやっている。パパと同じように、遊郭である天鈴町南区の陽桜で生まれたものの、おかあさんが好きな人のために娼妓から足を洗ったことで、一度街の外に出ていった。バンド活動のためにこの街に仲間と戻ってきて、今はライヴハウスやクラブが多い北区の彩雪に暮らしている。
「来週、光樹のライヴあるけど行く?」
 コンビニの幕の内弁当をあたしに渡しながら、仕事から帰ってきたパパがそう言った。このとき、あたしは十歳になっていて、パパは二十五歳だった。
 パパは「もう年齢的に」とみずから男娼の仕事は辞めていたけど、売り専エステで働きつつ、その店の特別な会員のみ通れる部屋で、指名が入れば本番もやらせているらしい。何が違うのかあたしにはよく分からなかったけど、パパ曰く「箱って安全だけど不自由だよなあ」だそうだ。
 受け取ったお弁当のテープを剥がしながら、あたしが「行く」と答えると、「いい加減、チケ代稼ぐようになれよな」とぼやいて、パパは自分は塩からあげ弁当を食べはじめる。
 慣れているけど、やっぱりからあげのほうがおいしそうだから、あたしのぶんは幕の内なのが悔しい。でも、パパに養われている限り、どうしても文句は言えないし、言ったって殴られるのは学習している。
 そんなわけで、翌週の週末の夜、あたしはパパと彩雪におもむいた。パパはそのへんにあった自転車の鍵を壊し、荷台にあたしを乗せてペダルを漕いだ。
 あたしの腰までの長い髪と、パパの香水の匂いが、夏の風になびいて空を流れる。パパは昔からこの香水を愛用していて、あたしの中ではそれはパパの匂いだ。その香り自体はいいものだと思うけど、嗅ぐと吐きそうなくらいに心身の血だまりがよみがえる。
 初めて光樹くんのライヴを見たのは四歳のときで、今では月に一度くらいは遊びにいくようになった。パパが来ないときはチケットがないけど、光樹くんが特別に通してくれる。
「ひとりで出歩けるようになってきたね」
 そう褒めてくれる光樹くんは優しくて、こんな人がパパだったらいいのにと思う。ちょっとくすんだオレンジの髪、黒曜石のピアス、あれこれとシルバーアクセ。そんなファッションに初めはすくんでしまうけど、瞳の色は豊かで温かい。
 自転車は、あたしとパパが暮らす夕町を北上して、彩雪に突入する。
 ネオンがまばゆく踊りはじめ、夜闇なんか吹っ飛んでしまう。髪を派手に染めた人、ピアッシングやタトゥーをまとう人、そんな人たちでにぎわって、どこからか聴こえる音楽も騒々しい。ライヴハウスやクラブが入ったビルが立ち並び、テイクアウトのフードショップらただよう匂いにお腹が空く。
 あたしは荷台に乗っているだけなのに、それでも暑くて汗をかいてきた。
 目的地に到着すると、パパは自転車を路地に置いて、ビルの入口手前の階段を降りていく。あたしはパパのあとをついていく。
 地下にはライヴハウスがあって、ぶあつい扉を開けると大きめのSEが流れていて、笑い声や話し声が混ざっていた。パパは「ファントムリムで」と取り置きの名前を名乗り、チケ代をあたしのぶんまではらうと、ドリンクチケットは渡してきてホールに踏みこむ。
「あ、碧織あおりと毬音ちゃん。来てくれた」
 すぐこちらに気づいた光樹くんだけでなく、ファントムリムのメンバー四人のすがたがあった。
 たおやかだけど爆音のギターを弾く美静よしずさん、メッシュやピアスが少し軽そうなベースの七夏ななつさん、実はすでに二児のおとうさんでもあるドラムスの拓音たくとさん。
 パパはホールを見まわし、「何かすでに客多いね」と言った。
「今夜はスリーマンだからねー。僕たちと、ルシッドと、XENON」
「XENONのリハが死ぬほどかっこよかった」と七夏さんが沁み入るようにつぶやき、「ギターのあの子もすごかったよなー」と拓音さんがうなずく。「あの子?」とパパが首をかしげると、「今、XENONはサポートギターが入って五人体制なんだ」と美静さんが言った。「ふうん……」とパパはあまり興味がなさそうだったけど、XENONの名前とステージを憶えていたあたしは「あの四人に入れる人がいるの?」とみんなを見上げた。
「ね。それ、僕たちもびっくりしたよ」
 光樹くんがうなずいて、「毬音ちゃん、XENON憶えてくれたかー」と七夏さんが嬉しそうに言う。
 XENONは全国のライヴハウスを飛びまわっている、アンダーグラウンドでは名の通ったバンドだ。バンド活動だけでなく、物販CDを流通させるインディーズレーベルも起こしていて、光樹くんたちファントムリムもそこからCDを出している。確か、今日の一番手であるLUCID INTERVALのCDもそうだったはずだ。
果樹かじゅさんと拓音んとこの子とは、今日来てないんだね」とパパが言うと、「今日はモッシュもすごそうだしな」とまだまだ入ってくるお客さんを見やる。「毬音ちゃんも気をつけてね」と美静さんが気遣ってくれて、あたしはこくんとすると、ホールを見まわした。
 照明の落ちたステージ、大きなスピーカー、オールスタンディングなので椅子やテーブルはない。広々したライヴハウスではないけど、物販スペースは取られて、ドリンクを受け取れるバーカウンターもある。
 空いているスツールがひとつあったので、あたしはそこに駆け寄ってよじのぼった。よし。最後列にはなってしまうけど、ここはちょっと床が高くなっているから、あたしでもステージを見渡せる。
 隣の席では、男の人ふたりが何だか親密そうに話している。つきあってるのかな、とか思いながら、あたしはドリンクチケットをカルピスに交換した。
 暑くて喉が渇いていたから、本当はごくんと一気に飲み干して潤いたかったけど、二杯目のドリンクなんてパパが買ってくれるわけがない。仕方なく大切に飲み、見る見るうちに氷が溶けて味が薄くなるのを感じていると、ステージにLUCID INTERVALの面々が現れた。
 LUCID INTERVALも四人編成で、詳しくは知らないけど、過去にいろいろあったらしい。ファントムリムもそうだけど、XENONをとても崇めているバンドだ。
 XENONのステージは、檻の中で猛獣たちが暴れるような狂暴さがある。特にヴォーカルの梨羽さんは、喉を掻っ切って声を血で染めるみたいに歌う。
 あたしが一番応援しているバンドは、やっぱりファントムリムだけど、すごいな、と思うのはXENONだ。だから、そのサポートギターとやらは気になった。

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