enfant paisible-3

ギターの男の子

 LUCID INTERVALのフロントマンで、ヴォーカリストの雷樹らいじゅさんが、バーカウンターの中の音響さんに合図を送ると、SEが一度大きくなってふっと静かになり、店内が飲まれるように暗転した。
 カン、カン、カン、カン、とドラムスの真砂まさごさんのスティックが響くと、すぐにねじくれた穂摘ほづみさんのギター音が広がり、透由つゆきさんのベースも唸り声をあげる。音がびりびりと軆に響き、心臓にまで届く。観客も声と腕を上げて応え、一番手の盛り上がりとしては、かなり上々だった。
 ファントムリムが楽屋に引っこむと、パパはあたしの隣に来て、適当にお酒を飲んだ。いつのまにか、さっきまでのふたりはいなくなっている。
 パパはファントムリムのステージはちゃんと見守るのだけど、ほかのバンドの演奏のあいだは、露骨に意味がなさそうな顔をする。最悪、ケータイをいじりはじめる。そういうの失礼で恥ずかしいんだけどなあ、とあたしは思うものの、むろん口にしてもろくなことにはならないので、黙っている。
 スリーマンなので、たっぷり出演時間がある。LUCID INTERVALが引いたあと、ファントムリムが現れて、やっとパパもステージに目を向けた。
 光樹くんは普段は穏やかで優しいけど、ステージでは爆発みたいに叫んだり、声を詰まらせたりしながら激しく歌う。愛されているか不安な心。仲間外れにされたときの漂流した孤独。どうしようもなく「その人」を愛している自分。
 光樹くんのよく通る声に、楽器隊は寄り添うように演奏する。ファントムリムの曲は波紋みたいだ。静かだった水面に、急にひと雫が刺さって、心に音が広がる。
 やっぱり光樹くんたち好きだなあ、と思っているとファントムリムの出番も終了して、いよいよトリのXENONがステージで準備を始めた。
 その中に混じっていたひとりに、あたしは目を留めた。え、と目をこすってよく見る。でも、見間違いじゃない。そこに混じっているギターを連れた男の子は、あたしと歳が変わらないくらいに見えた。
 何であんな子供が。いや、あたしも子供だけど。背丈とかも、明らかにメンバーと釣り合っていない。「何かガキ混じってない?」とパパも怪訝そうにつぶやいた。
 準備が整うと、XENONのメンバーはいったんステージを去る。それが合図で、SEが落ちて室内が暗くなる。それから、ドラムスの葉月さん、ベースの要さん、ギターの紫苑さん、ヴォーカルの梨羽さん──の前に、例の男の子もステージに立った。
 梨羽さんがなかなか出てこなかったものの、ようやく現れると、鼓膜が割れるような悲鳴や歓声が沸き立った。それは聞こえていないように、マイクスタンドの前で、梨羽さんは集中して目を伏せる。
 ほかの四人は目配せしあうと、鮮やかに空気を引き裂き、同時に低重音がずしんと来る爆音を鳴らした。その瞬間、梨羽さんが目を開いてマイクスタンドをつかみ、怒りを覚えている野獣のような声を上げた。
 いつもはXENONを観ると、自然と梨羽さんに目が行くのだけれど、今日のあたしはギターを弾いている男の子をついつい見てしまった。紫苑さんとダブルギターを見事にこなしていて、ぶあついゆがみがここまで響いてくる。
 すごい。まだせいぜい小学生の男の子が出している音とは思えない。あの子が何でXENONのサポートに入っているかは分からないけども、それだけ危険なくらいのギターの腕は確かにあると感じた。
 XENONはアンコールをやらない。アンコールの拍手しても、ほぼ確実に出てこない。ごく稀に、要さんと葉月さんが漫才みたいな雑談をすることはあるらしい。あたしは見たことがない。
 今日もアンコールはなくて、「あー、やっぱ最高だわ」「梨羽が神すぎる」とかざわめきながら、お客さんは物販に並んだり出口に向かったりする。
 飲み干したカルピスのグラスをカウンター内のオーナーさんに渡していると、「あ、光樹」と隣のパパが声を出したので、あたしは振り返った。パパの声が聞こえたようで、光樹くんは混雑を縫ってあたしたちのところに来てくれる。
 パパと光樹くんで話しているから、あたしが割りこんでいいのかうずうずしたけど、やっぱり訊いておきたくて「光樹くん」とあたしは声を発した。
「うん? あ、毬音ちゃんも今日はありがとね」
「光樹くんたちが言ってた『あの子』って、あの男の子のこと?」
「あ、そうだよ。悠紗くんっていうんだけど、すごいでしょ?」
「すごかった」
「毬音ちゃんと歳変わらないんじゃないかな。九月に十一歳って言ってた」
「一個上だ」
「話してみる?」
「えっ」
「今、楽屋にいると思うけど」
「……え、と。ううん。いいや」
「そう?」
「歳が近いって、逆に何話せばいいか分かんない」
「そっか。まあ、向こうも男の子だし、女の子は照れるかな」
 光樹くんはそう言って咲い、あたしはちろりとパパの横顔を見た。本当は、ちょっと、しゃべってみたかったけど。外の人だから、パパが嫌がるかもしれない。外の臭いつけやがってとか、あとで文句を言われるのは面倒だ。
 お客さんが引いたあと、あたしとパパは特別に打ち上げに参加させてもらえた。打ち上げといっても、ホールの真ん中でみんなで輪になって、乾杯するくらいだけど。その一杯を飲んだら、さすがに関係者以外ははけていく。
「帰るか」とパパも言ったので、あたしはこくりとしてその背中を追いかけた。すると、「毬音ちゃん」と光樹くんの声に呼び止められたので、扉のところで立ち止まってかえりみた。
「ごめん、帰るとこに」
「ううん。なあに」
 光樹くんなので、パパも機嫌を損ねたりはせず、おとなしくケータイを見る。
「悠紗くんが、毬音ちゃんと話してみたかったって言ってたよ」
「えっ」
「同い年くらいの観客って、悠紗くんにとってもめずらしいらしくて、気になったんだって」
「そ、そう……なんだ」
「だから、またXENONがここに来たときは話してみなよ。おもしろい子だよ」
 あたしは少しうつむいたものの、「うん」とうなずいておいた。光樹くんはにっこりして、「じゃあ、碧織も仕事頑張ってね」とパパに言う。「適当に頑張るよ」と答えたパパは、光樹くんには柔らかい微笑を見せて、それからドアを抜けて階段をのぼりはじめた。あたしも追いかける。
 地上はますます狂乱の騒ぎで、路地を覗いたパパは舌打ちした。自転車がなくなってしまっていた。「歩いて帰るかあ」とパパは仕方なさそうに歩き出して、あたしはその隣に並ぶ。
「パパ」
「ん?」
「いいと思う?」
「は? 何が?」
「あのギターの男の子と話すの」
 パパは眉を寄せてあたしを眺めたあと、「ガキ同士の会話も覚えとけば」と言った。
 ガキ同士。まあそうだけど。あたしはともかく、あんなに立派にステージに立っていたあの子はガキではない気がして、ほんのちょっぴりむっとした。
 色彩と喧騒が入り乱れ、ひどい混雑なので、パパは億劫そうにあたしの手を取った。あたしはそれを握り返し、今度会ったらあの子と話そうと思った。
 汗ばむほどの蒸した空気の中で混ざり合う、いろんな匂い。あたしの髪にも、すっかりライヴハウスで燻っていた煙草の匂いがついてしまっていた。
 あたしとパパはろくに会話することもなく、ただ人とぶつかるのはよけて、部屋への道のりをたどった。

第四章へ

error: