enfant paisible-7

かわいくなりたい

 悠紗はギターを背負ってあたしに駆け寄ってきて、「どっかゆっくりできるとこある?」と訊いてきた。あたしはこくんとして、「少し歩くけど」とは断り、XENONのメンバーと別れて〈POOL〉に向かった。
 夕方くらいに東区の〈POOL〉に到着すると、ミキさんがいつも通り気さくに出迎えてくれた。弓弦や紗月さんのすがたはなくて、紹介したかったのにな、とちょっと残念に思う。
 悠紗は店内を見まわし、「いいお店だね」と述べた。あたしと悠紗は窓際の席に落ち着いて、メニューを開く。「ここ、フードもいいけどデザートがおいしいの」とあたしが言うと、「ほうほう」と悠紗は素直にデザートのページをめくる。今は春だから、いちごのデザートがいっぱいだし、桜のムースやパウンドケーキもある。
 あたしはいちごのカスタードタルトに決めて、悠紗はラズベリーのチーズスフレにした。ドリンクはふたりとも紅茶。「デザートとか頼むの久々かも」と悠紗は咲った。
「そうなの?」
「基本がコンビニ弁当とかファーストフードだし、たまにファミレス行っても肉だよね。とりあえず肉」
「またここに来たら、夏とかまたメニュー違うよ」
「マジか。来たいな。またお茶できたらいいよね」
「うん。何か──あたしばっかり手紙いっぱい読んでるから、話したいことたくさんある」
「はは。いいよ、零時までにさっきのライヴハウスの駐車場に戻っとけばいいから。何でも話せるよ」
「そっか。じゃあ──あ、二月だったかな、地元のライヴあったんだよね。ファンの人が、チョコいっぱい持ってきたっていうの」
「あー、あれね。地元のライヴはさ、いつも十三日の金曜日にやるんだよね」
「十三日の金曜日」
「そう。梨羽くんはさ、悪魔に乗っ取られて歌うんだと俺は思ってるんだ。それで、ライヴ前はいつもあんなふうに苦しそうなんだよね。ステージでは、悪魔が自分の中で暴れてる状態で歌う。だから、地元でのライヴイベントは“EPILEPSY”って名前がついてるんだ」
「えぴ……れぷしー」とあたしが片言に繰り返すと、「癲癇っていう病気のことだけど」と悠紗は言う。
「語源はね、ギリシャ語で『悪魔や神が憑りついてる状態』って意味なんだ」
「梨羽さん?」
「そう。でね、EPILEPSYって金土日のスリーデイズなんだよね。三日間、同じハコとは限らないけど。だから、十四日のバレンタインに来た人は、梨羽くんに貢ぎ物とか生け贄ってことで、すっげえ大量のチョコをさしいれてきたの。まあ梨羽くん、既製品はけっこう黙々と食べてたけど」
「手作りもあるの?」
「あるよ。それは食べてないかなあ。俺たちも『これどうする?』って感じだよね……変なのあるから。爪とか髪を刻んで入れましたとか、血を混ぜておきましたとか。いや、そういう手紙ついてるなら、『はいアウトー』って破棄させてもらうけど、何も説明のない手作りは圧がすごい」
「……怖いね」
「怖いでしょ? ありがたいけど、やっぱ怖いじゃん。何か……悪いとは分かってても、しれっとホテルの冷蔵庫に忘れていくふりとかする」
「それでいいと思う」
 あたしが静かに言ったとき、ふわりといい香りがして紅茶が運ばれてきた。スティックシュガーを金のスプーンで混ぜて溶かす。悠紗もそうして口をつけ、「おいしい」と言ってくれた。
「てか、すげー話変わるけどさ」
「うん」
「この街にも、こういう普通の喫茶店ってあるんだね」
「夜には、娼婦とか男娼が来るらしいよ」
「あ、やっぱそういう感じなんだ」
「昼は普通の喫茶店だから、あたしもよく来るよ」
「そっか。じゃあ、またこの街に来たときは、毬音とここに来たいな」
 あたしが首肯すると、悠紗は嬉しそうに咲って紅茶をすすった。あたしも澄んだ香ばしさに口をつけ、ほどよい熱を飲みこむ。
 そうしているとデザートもやってきて、「わ、ふわふわだ」と嬉しそうに悠紗はピンク色のチーズスフレを頬張った。あたしもタルトに盛られたいちごとカスタードクリームをすくって、ひんやりした甘さにささやかに幸せになる。
 誰かと何かを食べながら、こんなに満たされた気持ちなのは初めてだなと思った。
 それ以来、ライヴ前には〈POOL〉で悠紗とまったりとお茶するようになっていった。その中で、弓弦や紗月さんにも悠紗のことを紹介することができた。
 季節は夏になり、その日はそれぞれ、冷たいドリンクやデザートがテーブルを彩っていた。XENONのバンド名を聞いた紗月さんは首をかしげて、「もしかして『ハンドメイド』の主題歌の?」と言う。悠紗は「別名義なのに」とびっくりしていた。「『ハンドメイド』の脚本書いた人が友達だから」と紗月さんが説明すると、悠紗はさらに驚いていた。
「てことは、友達が──えーと、天海芽留さん……でしたっけ」
「そう。芽留がXENONに依頼してたような気がするけど」
「そうそう! えーっ、すげえ。まさかこんなつながりが」
「曲、よかったよね。“Diamond Azalea”だったっけ」
 悠紗は紅茶を飲んだあと、ややまじめな面持ちになって、「あんまり、勝手に話すことじゃないけど」と抑えた声で前置きした。
「XENONの友達っていう俺の家族、性被害に遭ってたことがあって」
「えっ」
「それをXENONは知ってるから、あの映画の主題歌も引き受けたんだと思います。じゃなかったら、あくまで自分たちはアングラだって断ってたかなって」
「そう、なんだ。ええと……変な質問かもしれないけど、被害は、女の人?」
「男です」
 紗月さんと弓弦は顔を合わせた。そののち、紗月さんは再び悠紗と向かい合って、「『ハンドメイド』は、もちろん芽留の創作なんだけど」と静かに告げる。
「背景には、僕の体験を使ってもらってるんだ」
「えっ──」
「……僕もね、されてたんだ。男にね」
 悠紗はまじろいで、あたしも初耳だったので紗月さんを見つめてしまう。
「昔は、男にあんなことされたのに、男にどきどきする自分が嫌いだった」
「弓弦さんのことは……」
「弓弦が僕を変えてくれた。僕が男に恋をするのは、あのことを認めるってことじゃなくて、乗り越えるってことだって」
 紗月さんは弓弦を見、弓弦は柔らかいまなざしで紗月さんの頭を撫でる。それを見た悠紗は、ほっとしたように咲う。
「俺もそう思います。俺の家族も、今は女の人とうまくいってるみたいで。ずっと大変だったけど、今、やっと幸せそうなんです」
「そっか。そういう人にも『ハンドメイド』が届いたなら、僕も嬉しい」
 紗月さんが優しく微笑むと、悠紗はうなずいて「あの映画はほんとにすごいです」とミルクセーキのアイスをすくって口にふくんだ。「あたし、その映画観たことない」とあたしが言葉を挟むと、「あれはレイディングあったから、十五まで観れないんじゃね」と弓弦は肩をすくめてコーヒーをすすった。
「悠は観たんでしょ?」
「完成前のラッシュはね。映画館では観てない」
「……観たいなあ」
 あたしが言うと、「観れるようになったら、一緒に観よ」と悠紗はくすりとしてくれた。
 そんな感じで、悠紗は弓弦と紗月さんともすぐになじんでくれた。真夏日の後日、〈POOL〉で悠紗の話を聞いた芽留さんは、「僕も話してみたかったなー」と言っていた。
 そして、一緒にやってきた芽留さんの幼なじみの杏里さんは、「男と会ってるなら、そろそろ化粧とか覚えてもいいかもね」と化粧なんてしたことのないあたしの顔を覗きこんできた。
 化粧。「やり方分かんない」とつぶやくと、「教えてあげなよー」と芽留さんが言って、「今度、化粧品見にいく?」と杏里さんは誘ってくれる。化粧なんて始めたら、間違いなくパパの睥睨が来るだろうけど──悠紗の前で少しでもかわいくなれるならと思うと、あたしはうなずいていた。
 高い化粧品は買えないので、プチプラのお店に連れていってもらった。そこにお菓子みたいにたくさんある、さまざまな色の化粧品に、思わず目がきらきらしてしまった。化粧水が肌に合うことは確かめて、それからファンデやチーク、アイラインやルージュを選ぶ。
「毬音は髪も肌も色素薄いから、柔らかい色がいいかな」
 杏里さんもそう見立ててくれて、ひと通り買うと、〈POOL〉で手伝ってもらいながら初めて化粧を施した。気の強そうな顔立ちが、ずいぶんやわらいだ気がする。「今度それで例の子に会ってみなよ」と杏里さんににやりとされて、何か恥ずかしいなあと思ったけれど、次に悠紗が来たときは化粧をして会いにいった。
 悠紗はじいっとあたしを見て、ひるみそうになっていると、「化粧してる」と言った。「変かな」とうつむきそうになると、悠紗は首を横に振って「かわいいよ」と褒めてくれた。とはいえ、結局恥ずかしくて顔を覆うと、悠紗はころころ笑ってあたしの頭をくしゃっとした。
 会わないあいだに、悠紗の身長はどんどん伸びていっている。「俺もかっこよくギター弾かなきゃ」と悠紗は言って、「悠はいつもかっこいいよ」とあたしが返すと、悠紗ははにかんだ笑みを見せて「もっとかっこよくなるから、見ててね」と言った。
 あたしはこくんとして、あたしももっとかわいくなって、悠紗の隣にいて相応しい女の子になりたいと思った。

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