そして子供たちは
仕事を始めるにあたって、今ではケータイがないと何かと不便なので、弓弦が用意してくれた。
ちょうどそれが九月だったので、あたしは悠紗の十四歳の誕生日に、『おめでとう』というメールを電話番号を載せて送ることができた。すると、メールでなく電話がかかってきて、『毬音? ケータイ持ったの?』と言われ、あたしは仕事が決まったことからケータイを持った流れを説明した。
相槌を打ちながら聞いてくれた悠紗は、『そっかあ』と嬉しそうに声を弾ませた。
『〈POOL〉なら俺も知ってるから、何か安心だ』
「うん。あたしも」
『あ、でも、夜になったら娼婦さんとか来るんだっけ?』
「客との待ち合わせに使われるみたい。客があさりにくるようなことはないから、大丈夫ってミキさん言ってた」
『なら、よかった。けど、一応気をつけて』
「十六まではホール出ないし、裏で調理だから平気だよ」
『そっか。というか、これからはこうやって話せるっていいね。メールもあるし』
「うん。まあ、電話代には気をつけなきゃいけないけど」
『はは、俺もだ。はらってくれてるのは、とうさんだしね』
「あたしは、お金貯めて家を出る資金にしたい」
『うん。頑張れ。応援してるよ』
悠紗の声が耳元で聞こえるのは、くすぐったくても嬉しかった。『別にそっち行けることなくても、連絡していいよね?』と確認されて、「うん。あたしからも連絡する」と約束も交わす。
電話を切るタイミングがむずかしかったけど、『またそっちでライヴもやるね』と悠紗が言って、ようやく電話を終わらせることができた。
光樹くんの連絡先を訊くついでに、パパに〈POOL〉で働くことを伝えた。「あの喫茶店?」とパパは案の定渋い顔をしたものの、やめておけとかそんなことは興味がないようで言わなかった。その代わり、あくび混じりに「ださい仕事だね」と飽きもせず毒は吐いてきた。あたしはそれには反応せず、「光樹くんの連絡先教えて」と急かす。
パパはかったるそうにケータイを手に取り、光樹くんの連絡先を表示させて「ん」と見せてきた。あたしは素早く電話番号とメールアドレスをメモして、パパの連絡先は訊かずに話を切り上げた。パパのほうも、あたしの連絡先を訊くなんて思いつきもしてないみたいだった。
そして、光樹くんにもメールで電話番号を送っておいた。翌日に連絡が来て、『ケータイ、碧織が買ってくれたの?』とびっくりしていたので、あたしは仕事や弓弦のことを話した。すると、『毬音ちゃん、自分で頑張ったねえ』と光樹くんは感慨深そうに褒めてくれて、やっぱりこの人がパパだったらよかったのにと思う。
あたしはいつか部屋を出たい展望も語り、「それでパパと縁が切れても、光樹くんのライヴには行ってもいい?」と訊いた。『もちろん』と光樹くんは咲って、『碧織が来る予定の奴は、こっそり教えるから会わずにすむようにするよ』とも察してくれた。
十月が来ると、あたしは〈POOL〉の深夜勤のキッチンスタッフとして働きはじめた。上下関係が厳しいとか面倒なことはなかったし、みんなそれぞれ事情がある人が多く、やたら慣れ合うこともしなくてよかった。
そのぶん、子供だからと甘やかされることもなく、スタッフとして遠慮なく使われた。初めはひたすら皿洗いだったけど、割らないように丁重にしていたら遅いし、素早く仕上げようとしたら汚れが残ってしまうし、単純作業ながら大変だった。それでもクビになるわけにはいかない意地で頑張った。
シフトを上がるのは午前四時で、お店でまかないを食べたあと、道行く人も虚脱して朝へと微睡む街を抜け、部屋に帰る。パパが帰宅してくるのも同じくらいだ。けれど、いちいち会話することもなく、それぞれふとんに入って、毎日さっさと寝てしまった。
弓弦の行きつけだけあって、〈POOL〉には弓弦を訪ねてやってくる人が時間帯関係なく現れた。不穏な用事であることは少なく、基本的に気軽に挨拶を交わしたり近況を訊いたりしている。弓弦が不在だったら、ミキさんが言伝を預かるのだけど、ミキさんは零時にはお店をあがってしまうため、朝まではバイトでお店はまわすことになっていた。
そのあいだ、弓弦への連絡を受け取る人はお店にいて、それは翼くんというまだ幼い男の子だった。ちょくちょく弓弦を追っかけている男の子がいるなあとは思っていたけど、いつのまにか、使ってもらえるようになってきたらしい。くせっぽい黒髪と栄養が足りていない軆、不愛想で笑顔がない男の子だけど、弓弦に懐いているのは感じられる。
ときどきノートを開いて熱心に読みこんでいると思ったら、それは弓弦のスケジュールを書き取ったものらしく、幼いなりに弓弦の側近になるのは本気みたいだった。
あたしが懸命に働いて、お金を貯めていく中で、悠紗も頑張っていた。XENONと別行動を取ってこの街を訪れるようになり、ライヴを観戦したり、スタジオを借りたりしている。
十六歳になる悠紗は、いよいよ自分のバンド活動を始めていきたいと考えているようだった。悠紗はXENONの何年もサポーターをやってきたから、悠紗から物色せずとも、かけてもらえる声は多い様子だ。
その中で、Bazillusというメジャーバンドと縁があるふたりと出逢った。ヴォーカルの夏椰くん。ドラムスの漣くん。セッションしてみると、かなり波長がよかったようで、すぐ「ベースを探そう!」ということになった。募集をかけて、ついに発掘されたベースが、fetiageというバンドのギタリストの弟である初生くんだった。
XENON、Bazillus、fetiageはそれぞれ毛色は違ったけれど、ロックというジャンルは同じだった。自分たちを育てたバンドからの影響を受けた四人が、スタジオで初めて音を合わせたとき、悠紗は遠かったXENONの背中が見えた気がしたそうだ。
「四人でバンド始めるの?」とあたしが問うと、「俺はやりたいと思った」と悠紗はきっぱり答えて、「じゃあ、伝えてみなきゃ」と励ましたあたしに、悠紗はうなずいた。
夏椰くんも、漣くんも、初生くんも同じ気持ちだった。このメンバーで音楽をやりたい。まず、自分たちがその音を聴いてみたい。そして、ライヴハウスで大音量で演奏したい。かくして、悠紗はついにこの四人でバンドをやっていくことを決めた。
悠紗がそんなふうに動く中、あたしの周りにも変化があった。四月から〈POOL〉のホールスタッフとしても働きはじめた矢先、弓弦と紗月さんが娘として引き取った女の子が現れたのだ。結音というその女の子は、まだ四歳で、たまにませた知識を帯びた発言が飛び出すこともあったけど、純真な子だった。
ひどい親だったらしいのに、実の父親のことを話して「パパに会いたい」と恋しがったりする。あたしは四歳のときには、とっくにすれて、パパなんか見捨てていた気がする。結音の両親がどうしているのか、あたしは知らなかったけど、結音はたぶんもうそのふたりに会えないらしいことは察せた。
あたしは、昔、紗月さんにしてもらったように、結音に字の読み書きなどを簡単な勉強を教えた。そのせいか、結音はあたしにはすぐ懐いた。紗月さんにもよくくっついている。けれど、なぜか弓弦には不信感のこもった牙を剥いていた。
翼くんがよく結音と行動を共にする役目になったけど、翼くんにもなかなか気を許していないようだった。結音はよくあたしと悠紗のことを聞きたがって、あたしも結音に悠紗との話を語って聞かせた。
【第十章へ】
