君はいつも凛として【3】
さて、ここで何か送ってもいいのだろうか。お疲れ様? ありがとう? さっそく食事の場所を決めて、それを連絡するべきか。
何かいい場所ないかな、と思ったものの、いや、俺がおごる前提で行ったら露村が頑なに勘定を別にしたときに悪い。おごりたいのだけど。かっこよくおごる気満々だけど。あんまりそういうのに乗っかりそうな子じゃないのは、さすがに学習している。
まあ、ひとまず日時を決めるか。やはり仕事のあとか。まさかいきなり休日は空けてもらえないだろう。でも、ゆっくりできるように──週末か、とひとまずそこは第一候補にして、俺は会社のそばのレストラン情報もどんどん画面をスワイプしてチェックしていった。デートできるような勢いの気分でスマホをいじり、その幸福感たっぷりのまま、その日は寝落ちしてしまった。
翌日の休憩時間、露村と食事できることをあまちゃんにメッセージで報告すると、『何それおめでとう!!』とすぐ返ってきた。俺はスタンプを返してそのトークルームを閉じると、昨夜友達申請して寝ているあいだに許可されて、ついに始まった露村とのトークルームを見た。
現在、『露村です。申請ありがとうございます。』という機械的な確認事項だけで、スタンプすらもらっていないのだが。俺は今朝、さらっと『おはよう。』くらい送りたかったのだが、どうでもいい連絡がうざく思われて切られたら元も子もないなと我慢した。
でも早く連絡したいから、レストランの目星をやっと和食の居酒屋かイタリアンのダイニングバーに絞った。どちらがいいか、質問の文面を考えて考えて、昼休みに食堂に行く前にやっと送った。これで食堂で露村に会ったら何か照れるな、と思っていたら、「神野さん」と入口で声がかかって、ビビって立ち止まって振り向くと、そこには露村がいた。
「あっ、ど、どうも。えと──飯ですか」
「はい。天乃たちを待ってて」
「そうですか。あー、あのふたりは結婚してもほんと仲いいですよねー」
何気ない言葉だったが、いや、露村は俺があまちゃんが好きだと思っているのに、今の台詞は嫌味に聞こえただろうか。俺は恐る恐る露村を見たけど、さいわい勘繰るような目は来ていなくて、「そういえば、食事なんですけど」と露村は話を進めた。
「私は和食のほうがいいです」
「あ、そうですか。じゃあ、近くの居酒屋行きましょうか」
「居酒屋ってことは夜ですよね。仕事帰りでいいでしょうか」
「もちろん。週末、どうですか。今度の金曜とか」
「私は大丈夫だと思います」
「じゃあ、仕事終わったほうからメッセしておいて、ビルの前で待ち合わせましょうか」
「分かりました」
楽しみにしてます──とかは、やっぱり言わないか。言わないよな。楽しみなわけないか。愚痴られると思われているのだし。というかそのへんほんとどうしよう、といまさら焦ってくる。
とりあえず、あまちゃんにそういう感情はないと説明だけでもさせてほしい。そこをほどかないと、ただ告白しても、露村に「二番」と思われてしまう。
それはダメだ、とか思っていると、「天乃たち来ましたよ」と露村が言って、「あ、」と俺は普通にあまちゃんにも挨拶しようとしたが、ここは萌くんといるのがつらそうにしたほうがいいのかとその場を立ち去ることにした。
こんな演技、報われないどころか、あとから邪魔になってくるのに。でも、露村は俺があまちゃんが好きだと思っているから、話を聞こうと思ってくれたわけで。俺って地味に露村の厚意踏み躙ってるのかな、と気づいてちょっと唇を噛んでしまった。
そんな少し板挟みの想いを抱えながら、それでも金曜日になると一日そわそわと過ごしてしまった。そう、まずはあまちゃんに関する勘違いを訂正しよう。そう心に決めた。いつか告白もしたいけど、いろいろ下準備がどうしても必要だ。
絶対にしくじりたくない。露村を好きになったあの夜がよぎると、またあんなふうに素直に泣いてほしいと思うのだ。俺の前では、つらいなら泣いてほしい。情緒不安定なぐらい愚痴ってほしい。俺はそれを受け止めると、もう何年も前から覚悟しているのだ。
露村は憶えていなくても、一緒に頑張ろうと約束した。あの約束が、好きなのかよく分からない仕事をやる俺のことも支えてくれている。本当に、俺には露村は大切な存在なのだ。そんなこと、露村はあっさりとは信じてくれないだろうけど──
ちょうどその日は、『デッドエア』のヒロインのデフォルメフィギュアのサンプルが完成した。美由先生に連絡を入れると、チェックは週明けがありがたいとのことだったので、十七時にチャイムが鳴ったら上がることができた。
露村からメッセは来ていない。待たせることにならなくてよかった。エレベーターで『今、俺の方は上がりました。』とメッセを送って、ビルの前に出た。
五月になってかなり気温が上がってきたけれど、夕方になると抜けていく風はまだ涼しい。少しネクタイを緩めて、淡いオレンジ色のビル街の景色を眺めた。ビル街を出たら、桜が咲いていたあの一本道で、目的の居酒屋は駅前のグルメ専門ビルの三階にある。どこのビルからも、早足の帰り道の人や集団の飲みに行く人が流れ出していた。
好きな女の子と時間を過ごすなんて、何年振りだろう。高校時代にも、大学時代にも、彼女がいたことはあったけど、そんなに長続きするほど大事にできなかった。平然と浮気する子とか、男を財布としか思わない子とか。あんまり、女運はなかった。だから俺は、あの夜に惚れたなんて思っていても、いつも露村が凛としているところが──
「神野さん。すみません、お待たせして」
俺は振り返って、そうか、と納得しつつ、ちょっとまばたきしてしまった。すっかり露村の制服すがたに見慣れたけど、もうプライベートだから私服なのだ。あの夜以来に見る。白のニットにワインのカーディガンを羽織り、ベージュのコーデュロイスカートを合わせていた。
「意外とあったかい色着るんですね」
「え」
「制服、ピンクなのにいつも紺色羽織ってるから」
「……ピンクはあまり似合わないので」
「そんなことないですよ」
露村は俺を見上げて、なぜかちょっとだけ笑って、「席空いてるうちに行きましょう」と歩き出した。
「あ、予約してあるんで、大丈夫ですよ。てか、今、何か一瞬笑いましたよね?」
「予約までしたんですか」
「いや、まあ……席空いてなかったら悪いかなと」
露村はまた笑い、「まあいいですけど」とつぶやいた。
「私のこと天乃だと思って、好きなだけかっこつけてください」
俺は隣を歩く露村を見た。
今、は。今は、その勘違いに甘えさせてもらおうかな。大丈夫、すぐにこのあとほどくから。
そう思って、「じゃあ」と俺は手を伸ばした。
「手をつないでもいいですか?」
露村は俺を見上げて、何も言わずに俺が伸ばした手に細い手をつなげてくれた。心臓が、急速にふくらんで、血管に突き刺さって、どくどくとあふれてくる。
やばい。軆が熱くなってくる。でも体温が伝わったら何だか恥ずかしい。熱に頭までくらくらしかけて、泣きそうだ。何でだよ。何でこの娘は、俺をこんなに揺さぶるんだ。
露村の横顔を盗み見る。でも、そしたら、いつも凛としている露村の横顔が、少しだけ苦しげだった。それに俺は何だかはっとして、乱暴に手を離してしまった。
露村がまた俺を見る。「ごめん」と口走ってから、「甘えすぎました」と継ぎ足した。露村はやっぱり何も言わず、ただその手をひとりできゅっと握りしめたのが視界の端に映った。
到着した居酒屋で予約しておいた掘りごたつの席に通されると、メニューをめくり、俺は鯵のたたき丼とチューハイ、露村は手毬寿司と梅酒ということになった。「今日は俺がおごりますね」と注文の前に露村に言っておいた。露村は案の定何か言おうとしたものの、俺はちょうど通りかかった店員にさっさと注文を伝えた。
割り勘の中高生がいる店でもないし、店員は何も訊かずに会計を一緒にしてくれた。「すみません」とちょっと恐縮した露村に俺は首を振り、「俺がつきあってもらってるほうですから」と微笑んだ。露村は俺を見つめて、「そういうの」とつぶやいた。
「天乃にも一応したことあるんですか?」
「はっ? な、ないですよ」
「ほんとに、見てるだけの片想いですか? あ、すみません、話はよくしてますね」
「いや、つうか、飲みに行ったことはあっても、会計別というか」
「えっ。じゃあ私、」
「いいんですよ、とりあえず今日はおごらせてください」
「でも、あとから──」
「ほんとに、いいんです。今日、こうして飯食ってもらえるだけでもすげえ嬉しいんで」
露村は俺を見て、よく分からないようでも「そうですか」とうなずいた。そしてお冷やを飲んでから、「それだけ天乃とは気心は知れてますもんね」とつぶやく。
「それに、萌くんがいるのに、ほかの人におごらせるなんて天乃はしませんよね」
「ん、まあ」
「私、ちょっと神野さんのこと心配だったんです」
「え」
「天乃と萌くんの結婚式にも普通に来てましたし、どれだけ自分の気持ち殺すのかなって。萌くんより早く天乃に出逢ってたわけですし、もしかしたら、可能性もあったのに」
「………、」
「つらくないのかな、って。自分が感情とか殺す人間だからかもしれませんけど」
「……殺すんですか?」
「昔からそうですよ。両親が厳格なので──特に父が厳しくて。あんまり思いっきり笑うような人間ではなかったです。あ、今はひとり暮らしができていて、だいぶ気楽ですよ。すみません」
「ひとり暮らしなんですか?」
「はい」
「じゃあ──危ないし、遅くなれませんね。いや、もし遅くなったら送りますよ。ちゃんと、何にもしないし」
露村は咲ってうなずいて、「私に何かしたい男性はいませんよ」とさらっと自虐を述べた。そんなこと、と言いかけて、言っていいのか躊躇ってしまう。
言っちゃいけない台詞ではない。が、それはあまちゃんとのことの誤解を解いてからだ。そう、まずそれを──
「……天乃が好きなのに。私じゃ代わりにもなりませんね」
「えっ?」
「私も、神野さんを見習わないといけません。不相応な気持ちは殺さないと……」
俺は露村を見つめた。
え。……え?
違う。そんな。それはちょっと思い上がっている。
でも、気持ちって。殺すって。何の気持ち? どうして殺す?
露村の心が見えたような、やっぱり見えないような。何だよ。はっきりしてくれよ。期待だけはさせないでくれ。俺は君が本当に好きだから。変な期待をして、それを裏切られたら、憎みそうなほど好きだから──
「露村、あの、」
俺がそこまで言ったとき、「お待たせいたしました」とドリンクが来た。
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