Again & Again【2】
結婚。まあそうだよな、と俺は唐辛子がぴりっとするパスタをもぐもぐとする。
どんな花と兄貴がいくらべったりでも、つきあったりとか、そういうことにはならないのだ。うまくいく可能性がある他人に夢中になっているより、脈はある。たぶん。
今じゃなくても、いつかチャンスは来る。どうしても花があきらめられない俺は、その機を待つしかないのだ。
とはいっても、相変わらず花とは友達のまま、俺のほうだけ片想いを引きずり、季節は巡っていった。講義やレポートや試験はいそがしくても、月に一、二回はやっぱりいつもの四人で会ってしゃべっている。三回生の冬を迎え、全員酒も堂々と飲めるようになったし、その夜は焼肉屋の座敷で忘年会だった。
何だかんだで花に会えるのが嬉しい俺は、本当に懲りない。一応、今の大学で雰囲気がそうなりかけた女の子もいるのだが、脳裏に花がよぎって、結局俺から離れる。そういうのを色に話すと、「とりあえず食えば、気も変わるかもしれないぜ」と言われるが、気を紛らすように抱くなんて女の子にも失礼だろう。
「花が大切なんだねー」と梨実にくすくす言われて、「悪かったな」とチューハイをごくっと飲んだときだった。梨実のスマホが鳴って、取り上げた梨実は画面を見て「花だ」と俺を見た。
「入口にいるみたい。コウが迎えにいけば」
俺は梨実を見る。「肉、残しとくから」と隣の色が俺を通路に押し出す。何だかんだで応援してくれるんだよなあ、と俺は手に持ったままの割り箸を置いて息をつく。
花。また兄貴ののろけだろうか。そう憂鬱になっても、やっぱり顔が見たいと思ってしまう。
「いってきます」とふたりの厚意に甘えて色と梨実に言い置くと、俺は肉が焼ける匂いが煙たい通路を抜けていった。
空席待ちのグループで、入口付近はけっこう混み合っていた。その中に淡いオレンジのニットに黒のマキシスカートを合わせた花がいて、何だかぼんやり空を眺めている。「花」と声をかけると、花は俺を瞳に映し、「あー」と声をもらした。
「コウか……」
「俺で悪かったですね」
「………、あのさ、昨日さ」
「いや、とりあえず席で話せよ。色と梨実もいるし」
「にいさんの恋人が家に来た」
「だから、……は?」
「にいさんに、彼女ができてた……」
俺はぽかんと花を見て、花は俺に目を向けると、なぜかいきなり胸倉をつかんできた──抱きつくではなく。
「何なの、ありえないっ」
「ええと、花──」
「しかも、おとうさんもおかあさんも、その女すっかり気に入ってるしっ。にいさんはあたしの面倒ばっかり見てるから心配だったとか……何で!? いつまでも兄妹で仲が良くてよかったとか言ってたじゃん、なのに、やっぱ恋人ができたらそっちなの!?」
「花、めっちゃ見られてる。すげえ視線来てる」
「にいさんは、あたしのそばにいてくれるんじゃなかったの?」
「何だよ、神が兄離れをのたまったんだろ」
「うっ……るさいなあっ! 最低っ!!」
花はぐいっと俺を引き寄せると、そのまま頬を引っぱたいてきた。そんなに強い力ではなくても、行動が意味不明過ぎて、しばたいてしまう。
「ちょ、花さん、何で俺が殴られるわけ」
「もう生きてる意味がない、にいさんに彼女できちゃったよ」
「じゃあ、俺が花とつきあうよ」
来ている周りの視線のほうがどよめいた。花は俺をしれっと見上げる。
「俺、花のこと今でも好きだよ」
花は俺を眺めて、急に冷めたように息をついて俺を突き飛ばすと、「席どこ?」と腰に手を当てた。
「いや、今、俺は頑張って三度目の正直をだな」
「コウはない」
はい、二度あることは三度あった。
三回目の告白も、あっさり振られた。さすがに承知しろよ俺、と思っても、「案内して」という花をおとなしく色と梨実がいる座敷に連れていく。花は梨実の隣に腰を下ろしてから、「コウって、まだあたしをあきらめてないんだね」と肩をすくめた。「何かあったの?」と梨実は花に取り皿を渡す。
「さらっと告ってきたよね、今」
「俺はさらっとじゃなく、頑張ったんだけどな」
「コウが花に告るの何度目?」
そう言った色は、タレに浸した肉と一緒に白飯も食っている。
「三回目」
「だだ漏れだから五回くらい告られてる気がする」
「で、花はどう答えたの?」
「俺はないって言われた」
「コウは花を幸せにすると思うぞ」
「あたしの幸せはにいさんといることだったもん……なのに、にいさんに女ができるって何。あたしからにいさん奪うって、神様的な人は何考えてるの」
「え、おにいさんに恋人できたの?」
「神様的な人は賢明だな」
「色、黙れ。職場の先輩の女の人だって」
「年上かー」と俺は箸を持ち直して、網の上で香ばしいミディアムの肉をさらう。
「確かになよっとしてるから年上受けよさそうだな、花の兄貴」
「なよっとって喧嘩売ってんの、コウ」
「いやー、嫉妬ですかね」
「嬉しくない……にいさん以外の男から嫉妬されても全部嬉しくない……」
「でも、それならそろそろコウと試しにつきあってみれば?」
「えー……」
「デートくらいしてあげなよ。コウが不憫だよ」
「梨実、何かそれ言い方微妙」
「とりあえず、今夜はふたりでこのあとどっか飲みに行けばいいんじゃね。今は四人で食うぞ」
「えっ、やだよ。ここ終わったら帰るよ」
「でも花、あんまり家にも帰りたくなかったりするんじゃない?」
梨実が頬杖から花を覗きこむと、花はちょっと口ごもる。
「そういうとき、コウが都合いいことくらい認めてあげれば? コウもふたりきりになったら襲ってくる奴じゃないでしょ。色だと分かんないけど」
「俺は花とかないけどな」
「愚痴は聞くぞ、俺。花が兄貴の話すんのかなりしんどいけど、はけ口になるなら」
花は正面の俺を見た。それから、視線を躊躇わせて、「コウがおごるなら」とぼそぼそと言った。俺は少し噴き出してしまう。
それは、ずうずうしいようだけれど、ぜんぜんその逆で、花が切羽詰まっているサインだとは分かった。出逢って五年以上経つが、俺と花はふたりきりになった機会がほとんどない。それは彼女なりの警戒だったと思うから、俺とふたりで飲むという判断はかなり弱っている。
「で、兄貴の彼女ってどんなだったんだよ」
色は次々と炭火に肉を投下していく。じゅうじゅうと煙が舞い上がる。無神経がまかりとおる仲に花はむくれながらも、「いい人そうではあったけど」とため息を吐く。
「まだよく分かんない。でも、あれが嫁に来ると思うと、おとうさんもおかあさんも嬉しいのかなあ」
「親の反応まで今から考えるのかよ」
「親に紹介するためにその女をにいさんが家に連れてきたから、あたしも知ったんだし」
「マジかよ。もうそれ、結婚を前提にしてんじゃん」
「あのね、花。どのみちおにいさんとは、兄妹である限り結ばれなかったんだから。そろそろ、おにいさんの幸せ考えなよ」
「でもお……」
「おにいさんも花をかわいがってるなら、まだ花の気持ちも自由だったよ。でも、おにいさんがほかの人と幸せになるのを邪魔するのはダメ」
「あたしのそばにいるって言ったのに」
「時効でしょ。二十歳も過ぎたんだよ、花は」
花は梨実にふくれっ面になったものの、反論はせずに黙々と肉を食いはじめる。「コウからも、そのへんはきっちり言いなよね」と梨実は甘そうな色のカクテルに口をつける。
「自分のために人の幸せを邪魔するのは、もうエゴだから」
「梨実がいつになく厳しい」と色が口の中を飲みこむ。
「そうでもないよ。兄妹のことだから、そんなに口出せなかっただけ。でも、おにいさんははっきりしたわけじゃん、好きな人ができたってことは」
「ま、花はただの妹だったってことではあるよなー」
俺は花を見つめた。ちょっと目が赤い。泣きそうに見える。「花」とつい優しく声をかけると、花はもぐもぐしながら俺を上目で見る。
「色と梨実は、俺を応援してくれてるだけだから。別に、花に意地悪を言ってるんじゃないんだ」
「……ん」
「ちゃんと、花の思ってることとか、聞くよ。だから、このあと──おごるから」
花は伏し目になったものの小さくうなずくと、ぱっと梨実の取り皿からとうもろこしを奪ってかぶりつく。梨実は花の頭を軽く小突き、「肉追加するかなー」と色はどんどんカルビもロースも胃に消化していく。
そんないつもの雰囲気のうちに、花もちょっとずつ調子を取り戻してきた。俺はそれに混ざりながらも、このへんで飲むならどこがいいかな、と頭の中にマップを広げて考えていた。
食べ放題九十分間制限だったから、そんなに遅くならないうちに俺たちは店を出て駅まで歩いた。十二月、夜はもうすっかり冷えこむようになった。指先が冷たく硬くなるので無意識にコートのポケットに突っこむ。
クリスマスが近くて、イルミネーションもどこからかのBGMもきらきらしていた。雑踏の中の手をつないだ恋人同士のすがたに、全員独り身の俺たちは舌打ちする。そして、色と梨実をそれぞれの路線へと見送ると、俺は花と顔を合わせた。
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