ずっと、いつも、【1】
これまで生きてきて、本気で誰かを好きになったことがあるだろうか?
そう考えると、いまいち浮かぶ相手がいない。女の子とつきあったことはあるけど、セフレと何が違ったのか分からない。恋愛したいなあと思う、人並みに。でも、がっついて見つけようとも思わない。適当に抜ける相手がいれば、恋は二の次でいいかと甘んじてしまう。
だから、もうかれこれ七年くらいひとりの相手に片想いをしている親友の紅葉は、すごいなと思う。
「花もよくコウに落ちないよなあ」
八月が終わっても、残暑がまだまだ厳しく焼きついてくる。高校時代から仲のいい四人で溜まる、いつものファミレスに一番に到着して、ドリンクバーのカルピスソーダを飲んでいると、次に来たのは梨実だった。梨実もまずはドリンクバーを注文して、アイスティーを持ってくるとストローから喉を潤す。
店内は夏休みのあいだは学生がうるさかったけど、二学期が始まって、もうあの気違いじみた笑い声は渦巻いていない。俺が何の気なしにそうつぶやくと、「遅かれ早かれでしょ」と梨実はくすりとした。
「女って、あんなふうに想われても平気なもん?」
「男は違うの?」
「んー、どうだろ。女があの執念だと怖くないか?」
「執念って言い方はやめてあげようよ」
「振っても振っても『好きだ』って言われるって……いや、コウがいい奴なのは分かってるぜ」
「性格じゃない? 花には合ってると思うよ、コウ」
「それは俺も思う」
「色だったら絶対ダメ。女の子を大切にしないもん」
「そっ……んなことは、ない、と思われ」
「思われ」
「……まあ、俺なら一度振られたらあきらめるなあ。コウはすげえわ」
「色は昔から女の子と続かないもんね」
俺がむくれてカルピスソーダを飲み干すと、「そういえば」と梨実はメニューを取って広げる。
「色、せめてバイトぐらい始めたの?」
「親みたいなことを。梨実も就職じゃなくてバイトだろ」
「バイトでも、働いてるからいいでしょ」
「そうなのかなあ。もうホストでもやろうかなあと考えるときが」
「なれの果てでホスト選んでも売れないと思う」
「梨実さん厳しい」
言いながら、俺は自分の茶髪をつまんで引っ張る。やはり、バイトをするには一時的にでも黒に戻すべきか。
「色って、仕事に関して今かなり情けないからね。コウと花は就職したんだよ」
「花はどっかの社員だから分かるけど、コウは実家の獣医を継ぐんだろ。就職なのか?」
「無職ではないね」
「兄貴がさー、就活のとき目が死んでたんだよ。ああなるのが怖い」
「色のおにいさんって花のおにいさんと同じ会社だっけ」
「そうなんだよなー。世間狭いよな。百乃ちゃんと音のこともそうだけどさ。百乃ちゃん元気?」
「普通に大学行ってるよ。音くんは?」
「あいつはユメがいれば心配ない」
梨実はメニューをめくる手を止め、「やっぱり音くんとその親友くんはそういうことなの?」と俺をちらりとする。
「さあ。たぶんそうだけど、確認はしてない」
「そろそろ確認してあげればいいのに」
「弟が女の子振って男に走るって複雑だわー」
俺がテーブルに突っ伏したとき、「色が死んでる」と花の声が降ってきた。ついで、「やっとバイトでも始めたのか?」と紅葉の声も続き、「一緒に来たの?」と俺の代わりに梨実が訊く。「駅で会った」と花は梨実の隣に座り、紅葉は俺を奥に押しこんで俺の隣に座る。
「色が働くって想像つかないなあ」
花がずけずけとそう言って、「確かに働いてねえな」と俺は身を起こす。
「えー、働きなよ。もう大学卒業して半年だよ」
「面接に受からないので紹介してください」
「紹介あれば働くのか?」
「採用されてたらとっくに働いてるわ、さすがの俺も」
「受かってもすぐ辞めてんのかと思った」
「花の毒舌が刺さる」
「花の会社でバイトあつかいとかにはできないのか?」
「あたしにそんな権限ないよ。コウのがあるでしょ、息子だし」
「俺のところは小さい犬猫だしなあ。従業員という余裕はないぞ」
「梨実のとこは?」
「常にバイト募集の張り紙はある」
「それブラックの印って聞いたことあるぜ」
俺の無駄知識に、梨実は「そうなのかなあ」と唸って腕組みをする。全開の冷房に軽く涼んだ紅葉と花は、メニューを覗きはじめる。
「うちはたぶん、マスターに見る目がないんだよねえ。若い女の子ならわりと採るんだけど、すぐ辞めてく」
「俺、女の子じゃねえんだけど」
「色は女の子の客寄せになると言えば雇ってもらえそう」
「マスターはエロジジイなのか」
「どうなんだかね。まあ正直、あたしもひとりでこれ以上勤めつづけるべきか迷ってた」
「色行ってあげなよ。梨実を守ると思って。というか、梨実と色はもうごはん頼んだの?」
「まだだけどパエリアにする」と梨実は言って、「あたしボロネーゼ」と花はこちらにメニューを渡す。紅葉はあさりのボンゴレパスタにして、俺はカレードリアにした。それと、紅葉と花もドリンクバー。ベルで店員を呼ぶと、会計はあとで計算することにしてひとつの伝票で注文する。
「梨実のバイトって茶店だったよな」と俺は梨実を見て、「まあね」と梨実はうなずく。
「純喫茶というよりケーキハウスだから、お客さんに女の子は多い。そばに女子高あるし」
「よし、そこで働く」
「色もエロいおにいさんじゃん」
「高校時代みたいに女の子とトラブルは起こすなよ?」
「努力はする」
「努力って。まあ、それならマスターに話しておく。飲食だから、清潔感持って来てね」
「面接のアポはいいのか?」
「あたしから話しておくからいいでしょ。別に毎日予定はないよね?」
「ないな」
「即答なのが哀しいなあ」
「いいから、花はコウとドリンク取ってこいよ」
「はいはい」と花は席を立ち、一緒に立ち上がった紅葉とドリンクバーに行ってしまう。俺も二杯目を取りにいきたいが、まあふたりが帰ってきてからでいいだろう。
花がグラスを取り、紅葉がそれに氷を入れてやっている。「もうあれカップルでいいだろ」と俺がつぶやくと、「急かさなくても大丈夫だよ」と梨実はストローに口をつけた。
「俺の仕事は急かされるんですね」
「急かさないと色はやりそうにないからね」
「親の視線も痛かった今日この頃だから、受かるように頑張るわ」
「まあ、マスターも悪い人ではないし、パティシエさんたちはまじめな人だし。気に入ってもらえたら、悪い職場じゃないと思うよ」
「ん」と俺がうなずいたところで、花と紅葉が戻ってきたので俺はドリンクバーに二杯目を取りにいく。機械の前で少し迷ってから、マスカットスカッシュにして席に戻った。
そこでは花が義理の姉貴のことを話していて、兄貴に彼女ができたときはあんなに絶望していたくせになあと苦笑しそうになる。
花の兄貴は去年、職場の先輩と結婚した。花はかなりのブラコンだったから、結婚前に恋人が発覚したときにはそれはおどろおどろしかった。
でも、そんな花の混乱を支えたのも紅葉だったみたいだ。兄貴が結婚式を挙げる頃には、花は義理の姉貴をちゃんと受け入れていた。
紅葉と花、ふたりはあとは花が素直になるだけの気がする。もう紅葉がほかの女になびくこともないだろう。そこまでひとりの相手にのめりこめるってやっぱすごいよなあ、と俺はストローで甘い炭酸を口の中に吸いこんで、ぱちぱちとはじけさせた。
翌日の夕方、梨実から電話が来て、俺は金曜日の十六時からそのケーキハウスの面接を受けることになった。そのことを夕飯時に家族に報告して、「ちょっと褒めてほしいから一本もらうわ」と弟の音のエビフライをさらってさくっとかぶりつく。「何で俺のを取ることになるのか分かんねえんだけど」と音が眉を寄せた隙に、「俺も今度のサンプルの出来を褒めてもらいたい」と光兄は音のイカフライを取り去っていく。
「もう、あんたたちはいつもいつも音からっ」とかあさんが自分のエビフライを音に分けて、「褒めてもらうのは、光も色も面接やサンプルが通ってからだろう」ととうさんが息をつく。俺と光兄は知りませんといった表情で音の取り分をもぐもぐと食べて、「俺は大学卒業したら家出るからな」と音はむくれて言って、そしてユメと暮らすのかなあ、とは少なくとも俺と光兄は思ったみたいで、一瞬変な沈黙が流れた。
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