それでも君に恋をする-18

ずっと、いつも、【2】

 その後、俺は無事ケーキハウスに採用してもらえた。採った女の子がすぐ辞めるエロジジイ、という例の情報にやや構えていたが、マスターは五十代くらいのふつうのおじさんで、セクハラとかそういうものがあるわけではないようだった。
 若い女の子は好きだけど、だから採るのも女の子が多いけど、雇われた女の子が意外と楽ではない飲食業に簡単に音を上げるらしい。「ケーキの名前を正確に憶えて、言えるようになってねって時点でけっこう辞めるんだよ」とマスターは嘆き、「俺は一度食えば憶えますよ」と言うと、「じゃあ小手調べに採用してみようかねえ」ということになった。
 そんな啖呵を切ったおかげで、採用されて三日くらいは予想以上の種類が並ぶプチケーキを黙々と食べることになった。ひたすら口の中で甘みが続く中、名前をメモ帳に書き取る。
 そうしていると、「大学生ですか?」と女子高生から声がかかってくることがあった。「違うけど、今度からここで働くからまた来てね」と言うと、「来ます、絶対!」と女の子たちははしゃいで笑う。俺は昔から、頭の軽そうな女の子にモテる。だから俺も軽くなるのかな、と思っていると、「はい、これでうちのメニューの最後」と女の子たちが去ってから新しい皿が置かれた。
「クレームダンジュ」
 持ってきたのは梨実で、俺は乗せられたベリーが血みたいに染みこむガーゼに包まれた、白いケーキを引き寄せる。
「ガーゼ? これガーゼ?」
「いいから食べて、早く戦力になって」
「ガーゼごと食うのか?」
「はがしていいよ。レアチーズケーキのひとつね」
「ふうん」と俺は全体を絞るガーゼを剥がして、ふわふわした中身にフォークをさしこむ。ひと口食べると、確かにチーズの味がベリーの酸味を包みこんだ。俺はうなずきながら、メモ帳に『クレームダンジュ』と書きこんだ。
「そんなんで憶えられてるの、ほんとに」
「まあ大体。チョコ濃かったのがザッハトルテだろ、カスタードはみ出るのがミルフィーユだろ、ふわっふわした輪っかがシフォンケーキだろ」
「憶え方が失礼なのもあるけど、まあ合ってるか。じゃあ明日から、色目当ての女の子も作ったことだし、頑張れ」
「ほんとに話しかけられてビビった。女子高生、どんだけ飢えてんだよ」
「女子高の子たちだからねー」
 梨実が肩をすくめていると、「すみませーん」と声がかかって、梨実は俺の肩をたたくとそちらに向かう。
 俺はクレームダンジュを平らげると、皿を重ねてカウンターのマスターのところに持っていった。「勉強になりました」と言うと、マスターはうんうんとうなずいてから、「神野くん、頑張ってくれそうだから、ヒントをあげよう」とメモが走る紙切れをさしだされた。見ると、謎のカタカナ語の隣に果物の名前が並んでいる。
「うちは季節の果物のケーキもよく作るから、そのとき役に立てなさい」
「果物か。ん、ミルティーユがブルーベリー? これはミルフィーユではなく?」
「うん。フランス語だね。春にタルト・フレジェが出てきたら、それ見るとすぐ分かるよ」
「フレジェ──あ、あった。いちご? いちごのタルト?」
「正解」
「日本語でもいいのでは」
「フランス語にしておくと、女の子がよく食べてくれるからね」
「はは。お洒落感はありますね。ありがとうございます、参考にします」
「うん。あ、サロンエプロン届いてるから渡しておこうか。白いシャツと黒いパンツはあったかな?」
「はい。梨実が着てるのと似た感じでいいんですよね」
「そう。ちょっと待ってて、持ってくるよ」
 マスターを見送り、果物情報はメモ帳にはさんでひとまずポケットにしまっておく。
 梨実のすがたを探すと、持ち帰りにもできるよう店の入口にあるショーケースからケーキを取り出し、客席に運んでいる。ちなみに梨実は女だからエプロンの色はえんじだが、男の俺は黒だと聞いている。とりあえず、なるべく一気に皿を持つ練習らしいが。
 ここからが辞めないように頑張るところだよなあ、としみじみしていると、マスターがエプロンを持ってきて渡してくれた。「お皿運べるようになる前から、お席に案内したり、注文聞いたりはしてもらうけどいいかな」と言われて、「今からできることはやっていきます」と言うと、マスターはまたうんうんとうなずいた。
「さすが、梨実ちゃんの彼氏だねえ」
「はい?」
「しっかりした女の子は、やっぱりしっかりした男の子を選ぶんだねえ」
 いや、俺は梨実の彼氏ではないのですが。俺が彼氏だとか言われたら、あいつは俺を殴ってきそうなのですが。が、うまくそれを言う機会をつかめなくて、あやふやに咲ってしまった。
 それから、やっと本格的に研修期間に入って、十月に入るのと同時に正式にホールデビューした。女子高生の客は、本当に多かった。というか、男の客が基本的にいない。デートで女の子と来る男さえ稀だ。たいていは、放課後に立ち寄ってくれる制服すがたの女の子たちで、ケーキの甘い香りの中で歓談する声がまばゆい。
 そんな女子高生は、俺の名札を素早く盗み見て、名前を憶えてちょくちょく話しかけてきた。話しこんだら仕事にならないので、さらっとかわしてテーブルを片づけたり、注文したそうな客がいないか見渡したりするけど。
 高校時代は声をかけられたらわりと軽く応じて、及んだりしていた。やっぱ職場だとああいう態度は取れないな、と思う。それでも梨実に厳しく「昔みたいに女の子に手出ししないでよね」と言われているが。
 高校も大学も、女の子とは適当に遊ぶだけだった。大学を卒業してからは、学生時代に連絡先を交換していた相手とたまに会って、そういうことになったりする。その子たちは俺とつきあう気なんかないし、俺もないし、女の子とのつきあいは、そういう軽薄なものに慣れてしまった。
 いまさら女の子と深くつきあおうとしても、やり方がぜんぜん分からない。好きだと伝えるとか。会話を交わすとか。デートをするとか。何だ、そのまどろっこしいやりとり。とっととホテルでやることやって、あとは朝まで寝ておけばいいじゃないか。
 もちろん、本気で女の子とつきあってみたら、その感覚も狂って俺もまじめに相手を見るのかもしれない。けれど今のところ、そう思わせてくれる女の子との出逢いはない。
「色、このあと時間ある?」
 梨実と昼から夜へのシフトが重なった日、バックヤードでエプロンを外してロッカーの中にたたんでいると、梨実にそんなことを訊かれた。授業員が持ち寄るお菓子やらで、ごちゃっとしたテーブルに頬杖をつく梨実は、スマホを見ている。
「何で?」
 リュックを引っ張り出しながら問い返すと、「花からメール来てない?」と梨実はスマホを伏せる。俺はリュックの中からスマホを取り出し、着信のランプに気づきながら画面を起こしてみる。確かに花からメッセージが来ていて、トークルームを開いてみる。
『今日、りみと一緒に会える?
 話あるんだけど。』
 俺は梨実のほうに顔を向けた。
「話って何?」
「さあ。コウも来るのかな」
「訊くか」
「とりあえず、色も行ける?」
「うん」
「じゃあ、コウ誘ってるかは、花に確認してからにしよう」
「何で? ハブ?」
「あんた、ほんと真剣な恋愛ににぶいな」
「え?」
「いいの、あたしから連絡しとく。たぶんいつものファミレスでしょ」
 言いながら、梨実はすぐ返信をフリック入力して送信する。俺は首をかしげながらリュックを背負い、スマホは上着のポケットに入れる。
 十月の半ばを過ぎて、やっと気候は軽くなって夜風は涼しくなった。いい匂いがただようキッチンを「お疲れ様です」と横切って、路地裏の従業員専用のドアから外に出る。
 時刻は二十時をまわっていて、表通りに出るとイルミネーションが降りそそいでいる。並ぶ店はブランドのファッションやスイーツのテイクアウトが多くて、時間帯的に制服すがたは減り、仕事帰りらしいOLが目立つ。
 ざわざわと人に流されていると、駅はすぐに着いて、俺と梨実は高校時代の最寄り駅に向かい、いつもファミレスに到着した。自分も接客業を始めたせいか、案内されながら今まで気にならなかった店員の丁寧さ、あるいは雑さに気づいたりする。
 花は先に到着してミルクレープを食べていて、コウはいなかった。俺たちに気づいて顔を上げた花に、「コウはまだなのか?」と俺が訊くと、なぜか梨実に肘鉄を入れられた。
「色は別に呼ばなくてもよかったんじゃないの」
 そう言いながら梨実は椅子に腰かけ、俺はその隣に座る。花は俺を見て、「あとからまた説明すんのめんどい」とフォークを置いた。
「てかさ、コウ呼んでない時点で察してよ」
「ほんとだよ」
「え、分かんねえ」
「梨実は分かるよね?」
「コウに告ろうって相談でしょ」
「は!?」と俺が声を上げると、「ほんとに分かってなかったし」と花が面倒そうに息をつく。

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