それでも君に恋をする-2

彼と彼女のあいだで【2】

神野かんの、おはよう」
 そんな女の子の声がして、振り返ると、俺のクラスメイトの鈴田すずたがいた。今、教室で席が近くて、ときおりしゃべる奴だ。「おう」と俺が返すと、鈴田は前髪に大きなヘアクリップをさした無造作な毛先のセミロングを揺らして駆け寄ってくる。
「今日も藍香あいかくんと一緒なんだね」
「夢生と俺は仲良しこよしですから」
「そっか。じゃあ、まとめて、藍香くんにも聞いてもらったほうがいいかな……」
 俺は夢生と顔を合わせた。「何?」と俺が鈴田を見ると、鈴田は俺をまっすぐ見つめて言った。
「その、えっと……ね」
「何だよ」
「……何というか、」
 言いよどむ鈴田に、俺が眉を寄せていると、ふと隣で夢生が噴き出した。
「俺、聞かずに先行ってもいいよ?」
 鈴田は、悪戯っぽく咲う夢生を見る。それから、ちょっと視線を彷徨わせて、とまどう俺に一歩近づいて口を開いた。
「その、好きなんだけど」
「は?」
「つきあってくれない、かな」
 俺は、思わず顔を取り落として無表情になった。頬を真っ赤にした鈴田は、その場で俺の答えを待つのがこらえられないように、「返事待ってる!」と脇を駆け抜けて行ってしまった。俺は制服の波にも構わず突っ立って、そこに硬直した。
 何?
 好き?
 俺が?
「遅刻するよ」
 夢生が俺の腕を引っ張る。俺は夢生と目を合わせた。夢生は含み笑って首をかたむける。
「おめでと?」
「………、え、えと──俺に?」
「俺ではなさそうだったね」
「好き、って、え?」
「よかったじゃん。なかなかかわいかったし」
「俺……とか。いや、俺とか」
「とりあえず歩いて。遅刻するよ。つか通行の邪魔」
 夢生に背中を押されて、何とか足をまた動かす。俺はちょっと挙動不審なほど狼狽えて、やっと鼓動がせりあげてくるのを感じる。
 鈴田が俺のことを好き。つきあってほしい。
 マジか、と徐々に実感が湧いてくると、なぜかにやけてしまう。
「クラスの子?」
 夢生はそう言って、鈴田が紛れこんだ前方に視線を投げる。
「ん、まあ。今、席が近いからけっこう話す」
「仲いい子なんだ」
「そこそこ。え、俺でいいのか?」
「俺に訊かないでよ」
「あいつならもっと、いけそうじゃないか?」
「まあね。じゃ、振るの?」
 アスファルトを踏むスニーカーを見た。
 振る? いや、話とかはずむ、普通にかわいい女子だぞ。なぜ振る?
 そうだよな、と深呼吸などしてしまってから、夢生を見た。
「か、彼女ができます」
「おめでとうございます」
 俺が思わず笑うと、夢生も笑って頭を小突いてきた。
 彼女。彼女ができる。マジか、とまだ疑っても、マジだ。やった、と思わず空を見上げると、その青さはやけにまぶしく映った。
 夢生と別れて、窓が換気する教室に到着すると、鈴田は席に突っ伏していた。友達につつかれている。俺はとりあえず自分の席に荷物を置いて、鈴田の席に歩み寄った。鈴田の友達は、意味深に咲って、おとなしく引いていく。
「鈴田」
 伏せった肩が揺れて、鈴田はのろのろと顔を上げた。睫毛越しに上目遣いが来て、俺は息をつく。
「後悔してんのかよ」
「……そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、返事だけど──」
「えっ。もう? 何それ、ちょっと待ってよ。考えてくれたっていいじゃない」
「別に考えなくても、」
「そんなに、あたしに興味ないわけ?」
 俺は変な顔をした。鈴田の目はちょっと泣きそうだ。俺は首をかたむけてから、「考えなくてもいいだろ」と鈴田の頭に手を置いた。
「つきあっていいですよ」
「へっ」
「つか、お前こそ俺でいいのかよ。何つーか、俺だぞ」
「………、」
「取り消すならまだ間に──」
「つきあっていいって、ほんと?」
「うん、俺のほうはいいんだけど、お前のほうが──」
「マユコ、アヤ、やった! OK!!」
 鈴田は振り返って、さっきいじってきていた友達に叫んだ。クラスじゅうが注目してきて、俺のほうが恥ずかしくなる。
 鈴田は俺を見上げると、これまで見たことがない幸せいっぱいの笑顔を向けてきた。一瞬臆しそうになったものの、苦笑してその頭をぽんぽんとして手を引いた。
「神野──下の名前は何だっけ」
「音」
「オト」
「光と書いてミツ、色と書いてシキ、という兄貴がいる」
「なかなか愉快な。あたしは百乃ももの
「モモノ」
「名前呼び、いい?」
「構いませんが」
「えと……じゃあ、音」
「うん」
「よろしく」
 よろしく、と俺も返す前に、クラスが一気にはやし立ててきて、我に返った百乃がそれを必死に抑えようと声を上げる。
 俺は空中を見上げて、夢生の言葉を思い出した。おめでとう。ひとりうなずくと、こんな日も来るよな、と静かに納得した。
 その日の放課後、夢生に改めて百乃を紹介しようと思った。でも、夢生はもう帰ってしまっていた。いつも一緒に帰るのに。あいつのことだから、気を遣ったのだとは思うけど。
 百乃と並んで、学校を出た。駅までの道のりで、不意に指先が触れて、自然に絡んで、手がつながる。百乃は俺を見上げて、嬉しそうに咲った。
 何か、こいつ、俺のことがそんなに好きだったのか。いつからだろう。二年で初めて同じクラスになって、出席番号順の席もそこそこに、四月半ばに席替えをした。それからよく話すようになって、今は連休が終わった五月で、そんなに年季の入った恋心ではないだろう。ぜんぜん気づかなかった。
 もちろん悪い気はしないし、だからつきあうことにしたのだけど。ただ、ふと話しかけようとすると、その頭の低い位置にまごつく。
 俺の隣にいつもいたのは、あまり変わらない身長の夢生だったから。
 その週の日曜日、俺と百乃は初めて学校の外で会った。こういう場合やっぱ男が待つんだよな、と約束の三十分前に到着してしまった。
『今からもものとデート』と夢生にメッセしたけど、返信はなかった。日曜の昼前だし寝てるよな、とSNSを巡っていると、名前を呼ばれて顔を上げる。百乃は鎖骨の出る白と黒のボーダーチュニックに、デニムのパンツを合わせていた。
「制服じゃないなー」
「いや、制服で来たら何かのプレイだし」
 俺は笑って、スマホをショルダーバックにしまい、「やっぱ映画とか行くもんなのか?」と頭をかく。
「さあ。つきあうとかしたことないもん」
「俺もねえよ」
「まあ、漫画じゃ映画よく行ってるよね」
「漫画って。あ、あと漫画は水族館多くね?」
「ないよ、近くに。まあ、別に、お茶しながらしゃべればいいんじゃないの」
「それ、教室と変わらんぞ」
「でも、あたしは音とのそういう時間が好き」
 にっこりとした百乃に、俺のほうがなぜか照れてあたりを見まわす。
「……じゃ、そこのカフェ入るか」
「うん!」
 そんなわけで、俺たちは目についたカフェに入った。朝食を食ったばかりだから、カフェラテだけにしておく。百乃はロイヤルミルクティーとショコラケーキを注文していた。バイトなどしていない俺は、かっこよく「おごるから」が言えなかった。
 初めはやや緊張していても、もともと話が合って仲良くしていた奴だ。いつのまにか時間も忘れて、学校のこと、家族のこと、趣味のことを話していた。
 夢生とでもこんなに盛り上がらないかもしれない。そう思って、トイレに立ったときにスマホをチェックしたけど、いくつか着信はあっても夢生のものはなかった。何だよ、とちょっとおもしろくなくなっても、百乃との席に戻ったら笑顔になっていた。
 三時間ぐらいあっという間にしゃべり倒して、十五時近くになって俺たちは席を立った。カフェで話しているあいだに、俺も百乃も読んでいる漫画の映画化作品が、今公開されていることを思い出した。「実写いらねー」とふたりして言いながらも、電車に乗って冷やかしにいくことにした。
 市内の映画館で、ネットの評判は良くないくせにけっこう座席は埋まっていた。映画はやっぱり豪華キャスティングも空回りでカスだったけど、あまりにもくだらなくて顔を合わせ、途中から何度もキスをしてしまうことの役には立った。

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