それでも君に恋をする-21

もし結ばれるなら【1】

 高校二年生のとき、女として、ダメージの大きな失恋をした。ほかに好きな人がいる。その言葉だけならまだしも、彼の言うその好きな相手は、彼の親友──男だった。
 でも、あたしだってバカじゃない。彼に切り出される前から、親友の男の子が彼を想っていると、何となく感じ取っていた。好きな人がかぶった相手に感じる、あの匂い。
 そして結局、彼も親友への想いを自覚し、あたしを振った。切り出されたときは涙が止まらなかった。どうにか引き止めようとしたけど、「ごめん」と彼はあたしを置いていった。それから絶賛、あたしは男性不信になっている。
 元カレの神野音。その親友で現恋人の藍香夢生くん。ふたりは関係を特に公にはしていなくても、雰囲気で間柄が分かるくらい仲がいい。音はさりげなく夢生くんの髪を撫で、夢生くんはじっと音を見つめ、至近距離で微笑みあって、きっとあとで人目がなくなったらキスをする。
 あたしとつきあっていた頃より、音は真剣で一途で、夢生くんしか見えていないのがよく分かる。
「えー……と、百乃には、言っておいたほうがいいと思うんだけど」
 期末考査も終わり、高二の夏休みに入る直前、音に声をかけられた。振られてから、初めて口をきいた。
 雲もなく直射日光が飛び散る外では、蝉が狂おしく鳴いている。
 あたしは音をちらりと見上げて、「何?」と平静を演じて通学かばんを肩にかけた。
「あのさ、俺、その、好きな奴がいるって言っただろ」
「藍香くんでしょ」
「はっ?」
「違うの?」
「え、し、知ってる……」
「見てたら分かる」
 音はやってしまったような顔をしてから、「うわさとかなってないよな」と声をひそめる。
「あたしが勝手にひとりで気づいただけ」
「そ、そうか。いや、言い触らすとかはできればやめてほしいんだけど」
「しないよ、そんなこと。で、うまくいったの?」
「ああ。その、つきあうことになりました、と。百乃にはご報告をだな」
「うん」
「それで……何と、いうか。百乃には、よかったら夢生とのこと理解してほしいんだ。百乃とつきあったのも、どうでもよかったってわけじゃない。ちゃんと好きだった。告られて嬉しかったよ」
「……そっか」
「だから、これからも友達でいたい……のですが」
「藍香くんが嫌がらない?」
「そんなことないって。夢生とも、もう一回話してみろよ。あいつほんといい奴だぞ。ちょっとかわいいぞ」
「のろけだなあ。まあ、藍香くんが嫌じゃなければ、今度お茶でもしよう」
「おうっ。ほんとに──ありがとう、百乃。何というか、お前のこと、何でもないわけじゃないんだ。大事な友達だから」
 あたしは咲った。残酷だなあ、と思った。友達なんて言われたら、一番傷つくよ。
 でも、それが音の精一杯のあたしへの親しい距離感なのだろう。お茶しよう、なんてあたしの綺麗ごとも甚だだ。口先だって察しろよな、と小さく息をつくと、「じゃあまたね」と音とすれちがってクーラーの切られた教室を出て、ざわめく廊下に混じっていった。
 そうしてすぐに夏休みに入り、あたしは音と夢生くんと三人でお茶をした。音とあたしがつきあっていたとき、夢生くんはこちらに虚ろな目を投げかけてくることがあった。音は気づいていなかったけど。でも、もちろんもうそんなことはない。
 改めて、音と夢生くんが並んで座っているのを眺める。そうしてみると、視線とか、肩の近さとか、交わす笑みとか、お似合いだなあ、と思うしかなかった。
 何だかんだで、あたしは悔しかったのだ。彼氏を男に取られた。しょうもないギャグか。
 でも、仕方ない。このふたり、一緒にいてすごく幸せそう。あたしが割りこんで壊す資格なんてない。応援してあげないとな、と思った。あんたたちはそれでいいじゃんと理解して、味方ぐらいにはならなきゃ。
 それで音への気持ちがあっさり綺麗に消えるわけではなかったけれど、その心を音に押しつけるのは、もはや間違いだ。音と夢生くんは、そうやって結ばれるのが一番自然に見えた。
 とはいえ、あたしの恋愛意欲は低下したままだった。高校時代、結局、音以降彼氏はできなかった。おねえちゃんの友達で、しかも音のおにいさんだった色さんに家庭教師をしてもらって、大学には無事合格した。けれども、キャンパスで男の子とすれちがっても誰にも何にも感じない。気づいたら大学一年生の冬になり、クリスマスが近づいていた。
 彼氏とクリスマスを過ごしたことさえない。おねえちゃんは、あたしの家庭教師当時は友達だった色さんと、先月からつきあいはじめたらしい。両親はあたしを大学合格に導いた色さんを気に入っていたから、おねえちゃんがついに色さんを射止めたときは喜びまくって、「百乃には彼氏いないの?」と最近いじる対象をこちらにシフトさせつつある。「いませーん」とあたしはそれをかわすと、冷えこむ夜だったので入浴剤でゆっくりお風呂に入って、ぽかぽかしながらルームウェアに着替えた。
「百乃、お風呂空いた?」
 ドライヤーの熱風で髪を乾かしていると、ふとそんな声がかかった。見ると、化粧したままのおねえちゃんだった。あたしは時計を一瞥して、二十二時前を確認する。
「空いてるよ。遅かったね」
「今日夜番で入ったから」
「色さんとデートじゃないの?」
「ごはんは一緒に食べてきた」
 言いながら、おねえちゃんは洗面所に踏みこんできて、さっさと服を脱ぎはじめる。
「色さんとは順調?」
「友達のときと調子変わんないけどね。浮気はしてないみたい」
「ほんとに色さん、浮気とかするの?」
「学生時代は、あれで女たらしだったんだから」
「ふうん。今年のクリスマスは色さんとなの?」
「うん。というか、花とコウも一緒だけど」
 花さんとコウさんは、おねえちゃんの高校時代からの友達だ。そのふたりはふたりでつきあっているらしい。
 みんなリア充ですね、と勝手にふくれてドライヤーのスイッチを入れ直そうとすると、「百乃」と下着すがたになったおねえちゃんが声をかけてくる。
「百乃はクリスマスどうするの?」
「おとうさんとおかあさんの相手は、あたしがやっときます」
「むしろ、あんたも留守でふたりで過ごさせたら」
「あの歳で!?」
「変な意味はないけど。というか、百乃ってほんと彼氏作らないよね」
「そんなぱっとした出逢いもないしなあ」
「まだ音くん引きずってるの?」
「それはないけど」とあたしはやや気まずく視線をそらす。鏡の中で、髪がまだしっとりしている。
「じゃあ、男の子でも紹介しようか」
「えっ。いいよ、そんなの」
「ひとつね、いい話があるの」
「いや、」
「花の弟なんだけど、何かその子も恋愛もせずぼーっとしてるらしくて」
「……モテないの?」
「遊んでたような時期もあれば、ひとりと長くつきあってた時期もあるらしいよ」
「はあ」と気乗りせずに生返事になっていると、「会うだけ会ってみない?」とおねえちゃんはあたしを覗きこんでくる。
「えー、と。花さんの弟ってことは……あたしと、歳は変わらないの」
「今、二十一歳。大学三回生」
「ふたつ上かあ。んー、別に無理に彼氏作らなくてもいいしなあ」
「百乃はそろそろ無理にでも作ったほうがいい」
「何で。いいじゃん、フリーでも」
「音くんをほんとに吹っ切ってるならねえ」
 う、と口ごもったあたしを、鏡の中からおねえちゃんはにやにやと見つめる。
「そろそろ思い切って、次を考えなさい。花に連絡しとくねっ」
「え、ちょ──」
 おねえちゃんはあたしの背中をたたくと、浴室に入ってガラス戸を閉めてしまった。そんなのいいのに、とそう言うために追いかけたくても、まだ半乾きの髪が寒くてとりあえずドライヤーにスイッチを入れる。熱風がシャンプーの香る髪を舞い上げる。
 鏡の中の自分を見つめた。男の子。そんなのまだ考えられない。音のことはあきらめたけど、だからってさくっと次なんて。
 でも──紹介ならゼロからの出逢いより安心なのだろうか。女の子とつきあう人ではあるんだよね、と思って、何でそんなことから心配しなきゃいけないんだろうと憂鬱になる。これはまだ音の痛手が消えていないということなのだろうか。
 いろいろ考えてみて、やっぱりおねえちゃんには断りを入れるつもりだった。けれどあたしは大学、おねえちゃんはバイト、なかなか落ち着いて話せない。
 メッセしてもちゃんと返ってこないから、嫌な予感はしていた。そうしたら、やはりそのあいだに事は進行してしまっていた。あっという間に一週間経った週末の午後、やっとおねえちゃんからその件で着信がついて、『明日、十二時にこのファミレスの前で会っておいで!』とファミレスのマップと共にメッセージが送られてきた。
 会っておいでって……明日!? いや、確かに大学は日曜日で休みだけど。
 おねえちゃんに文句を言おうと思って部屋に行ってみたら、例によって、いない。バイトか。デートか。どっちか分からないけど、どのみち帰宅は夜だ。それから断りを伝えても、たぶんもう遅い。
「何なのー……」
 そうつぶやいて部屋に戻ると、姿見で自分を見た。服、考えておいたほうがいいのかな。時計を見ると十四時で、ショップを見にいく時間はあるけど、別に気合いを入れる用事でもない。どうせ盛り上がらずに帰るし。手持ちでそれなりに見せればいい。

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