それでも君に恋をする-3

彼と彼女のあいだで【3】

 気の合うかわいい女の子とつきあえて。一緒に帰宅して手をつないで。休日をおいしいお茶と過ごして咲い合って。暗闇でキスを繰り返して。もちろん俺たちは、ほどなくして軆も重ねた。百乃はめちゃくちゃ痛がって泣いたほどだったけど、終わったら俺にくっついて「幸せ」とささやいた。俺はうなずいて、百乃の柔らかい白い軆をぎゅっと抱いた。
 百乃と結ばれた翌朝、朝帰りするとにいちゃんにはたかれまくった。俺はそれをよけてばたばたと支度して、朝食は抜いて駅に急いだ。
 夢生は相変わらずスマホをいじっている。「おはよっ」と声をかけると、夢生はいつものように顔を上げ、「おはよ」とスマホをポケットにしまった。
「昨日の俺のメール見た?」
「童貞卒業したそうで」
 夢生は俺の目を見ずにICカードを手を取り、すぐかたわらの改札を抜けていく。俺も慌ててカードケースを取り出して続く。前を歩く夢生の髪が、歩調に合わせてさらさら揺れるのを見つめた。
「夢生」
「んー」
「怒ってる?」
 階段を降りてから夢生は振り返り、「何で怒んの?」と首をかしげる。そう言われると分からないので、「何となく」とか言う。
「別に怒ってないよ」
「……そっか」
 何だろう。夢生は、百乃とのことは祝福してくれている。なのに、なぜか最近微妙に気まずい。夢生を放置しているつもりはないのだけど。
 朝は一緒だし。弁当は元から別々だし。帰りは百乃と帰るときもある。三人のときもあって、夢生と百乃がしゃべるときもある。でも、どこか一歩越えない感じだ。
 今日も電車は暑苦しく、すし詰めだった。停車のたび奥に押しこまれて、よろけそうになった夢生を支える。「つかまってろよ」と言うと、夢生は躊躇ってから俺の腕をつかんだ。
 電車が動いて、揺れるたびに夢生の華奢な軆を支える。夢生はやっぱり、俺と視線を合わせない。だから俺は、ちょっと強引に夢生の顔を覗きこんだ。
「夢生」
 目を伏せていた夢生は、上目で俺を見る。かすかに泣きそうに濡れている気がした。
「何」
「………、夢生は、彼女とか作らないのか」
「何で」
「いや、俺より夢生のほうがモテるのにさ」
「俺、モテるの?」
「けっこう人気だぞ」
「ふうん」
「告られたりしない?」
「……いいのがいないんだよ」
 やっぱ一応告られてんのかよ、と思ったとき電車が大きく揺れた。夢生を支えるはずが俺まで足元が揺らつきかけて、覗きこんでいた顔がぐっと近づく。あ、と思ったときには唇がぶつかりかけて、慌てて体勢を正した。
「ごめ──」
「……バカ」
 そっぽを向く夢生を見つめた。心臓から熱い血がどきどきとあふれる。夢生の白い肌も微熱に色づいているのは、気のせいだろうか。
 何だか、百乃とキスしたときよりぜんぜん鼓動が速い。夢生がぎゅっと俺の腕をつかむ。今密着したら心臓ばれる、と焦っていたけど、さいわいその日はそれ以上は人に押されず、乗り換えで降りた。
 授業は中間対策で慌ただしい。夢生とまだ勉強してないな、と思った。いつも文系は夢生に頼っている。時間調整しなきゃ、と週末の予定を考えながら、黒板の数式を書き取っていく。
「音。帰ろ」
 放課後になると、百乃がそう言って俺の席にやってくる。「おう」とスマホをいじっていた俺は顔を上げる。
「メッセ?」
「夢生に。週末、中間の勉強しようって」
「藍香くんってけっこう成績いいよね」
「実は理系苦手だぞ、あいつ」
「そうなの?」
「俺が三回ほど説明して、やっと飲みこんでる」
「そうなんだ。意外」
「代わりに俺は文系教わってる」
「貼り出し上位に音の名前は見たことないな」
「るせえな。帰ろうぜ」
 俺が立ち上がると、百乃は自然に腕に腕を絡ませる。「暑くね?」と笑うと、「いいのー」と百乃は俺の肩に寄り添う。もう俺たちはクラスの公認なので、確かに人の目を気にすることはない。
 そのまま廊下に出て、靴箱まで向かう。靴を履き替えるときはさすがに離れて、昇降口を降りながら今度は手をつなぐ。
「百乃は中間自信あるのか?」
「平均点取れればいいでしょ」
「試験終わったらまたデートできますかね」
「してくれなきゃ怒る」
「はは。何かバイトもしたいよなー」
「えー。一緒にいられないじゃん」
「百乃におごるとかぜんぜんしてやれないしさ」
「いいよ、そんなの気にしなくて」
「いや、気になるんだよ」
 校門を抜けて、顔を近づけてひそひそと話していると、ふと、「何あれー」という俺たちを追い抜いていく女子の笑いが聞こえた。ん、と何気なく振り返った俺は、はっと立ち止まる。百乃も一緒に振り向き、俺とつなぐ手に力をこめた。
 同じ制服の中に、夢生がいた。それだけだったら、笑顔で手招きをするけれど。たたずむ夢生は、なぜか、片目から雫を落としていた。
「夢生──」
 夢生は俺を見て、すぐ顔を背けるとつかつかと歩き出して、俺と百乃を追い抜いていった。俺は無意識に追いかけようとしたが、百乃にぎゅっと手をつかまれて止められる。
「おい、」
「音は、あたしとつきあってる、よね?」
「そうだよ。何だよ、それより夢生が」
「じゃあ、彼女からのお願い」
 眉を寄せて、百乃を見つめた。そんなのより、今は夢生を追いかけたいのだが。
 泣いていた。夢生は滅多と泣く奴じゃない。しかもこんな人が往来する中で。何かあったのは分かるから、すぐ話を聞いてあげないと──
「藍香くんのこと、忘れてよ」
「は?」
「あたしのことを見てよ」
「見てるよ、ちゃんと。でも夢生は親友で、」
「ほんとに親友?」
 笑いそうになってしまった。ほんとに親友、って。決まっているではないか。ほかに何がある? 俺と夢生は、ずっと親友だった。ずっと、一緒の、そばにいる──……
 心臓がざわついた。朝の電車での搏動がよみがえった。近づいた顔、瞳、唇。すごくどきどきした。百乃にもないほど、息が苦しくなった。
 俺は一瞬、視線を下げたけど、百乃に瞳を戻して、「夢生は親友だよ」とかすれそうな声で言って手をつなぎなおした。百乃は俺を見上げる。俺は彼女に咲いかけて、「今は百乃といるんだもんな」と言った。百乃はうなずいた。「じゃあ、夢生のことはあとでもいいか」と言った。百乃はまたうなずく。
 だから俺たちは、夢生を追わずにふたりで駅まで歩いた。
 その夜になってから、夢生に電話もメッセもしたけど、応答はなかった。泣いていた。何でだろう。クラスで何かあったのか。あるいは──。
 百乃の妙な邪推が絡みついて考え過ぎそうになり、頭を振る。明日。明日の朝、駅で会える。そのとき聞こう。そう思って、無理やり眠りについた。
 でも、翌朝、駅に急いで向かうと、夢生のすがたはなかった。いつも先に来て俺を待っているのに。スマホには何の連絡もない。何か用事があって早く行くときは、必ず連絡がある。
 何で。昨夜から、スマホに何を送っても返事はない。避けられているのか。夢生の涙が脳裏から離れない。
 俺は改札を抜けて、学校に急いだ。自分の教室でなく、夢生の教室に直行した。いなかったら、と思ったが、夢生は席でぼんやり頬杖をついていた。
「夢生」
 教室に踏みこんで席に近づき、声をかけると夢生ははっとこちらを見た。そして、ちょっと気まずいような顔になったが、顔を背けてうつむく。
「何?」
「『何?』って。今日、用事でもあったのかよ」
「別に」
「何でだよ。心配するだろ。いつもいるのに、何の連絡もなく突然いないとか」
 夢生は顔を伏せていたけど、思わしくない眼つきで俺を見上げる。
「もう、鈴田と登校しろよ」
「え」
「見せつけられるの、けっこうきつい」
 夢生を見つめて、俺は首をかたむけた。
「嫉妬?」
「バカかっ」
 言い返しながらも、夢生の瞳がまた湿っているように見えた。何だよ。どうしてそんな顔をするのだ。夢生にそんな顔をされたら、俺は──。
 やや躊躇ったものの、「ちょっと」と強引に夢生の腕をつかんだ。
「何、」
「少し話す」
 俺が本気で引っ張れば、夢生の細腕は敵わない。俺は騒がしい廊下を進んで、夢生は前のめりになりながらついてくる。廊下の突き当たりで止まって、夢生を覗きこんだ。
 夢生はいつだって凛と冷静な奴なのに、なぜかやっぱり泣きそうな顔をしている。俺はそれを見つめて、「何で」と小さく言いながら綺麗な栗色の髪に触れた。夢生はちょっと肩を揺らして、長い睫毛を伏せる。夢生の髪はさらさらしていて、指先をしたたる。
 ふと、このまま夢生を抱きしめたらどうなるのだろうと思った。人目があるから、もちろんしないけど。でも、もし、今夢生とふたりきりだったら、俺は──
 予鈴が鳴った。ざわめいていた生徒たちが教室に吸いこまれていく。「行かなきゃ」と夢生は俺の力が緩んでいた手をはらった。
「夢生、俺──」
「こういうのは、鈴田とやってろ」
 夢生は俺をすりぬけ、廊下を歩いて行ってしまう。
 なぜ、その背中がこんなにつらいのだろう。いつも隣にいて、背中なんか見慣れていないせいだろうか。夢生が遠のいていく。それがやたら胸を締めつけて、俺まで泣きそうになる。

第四章へ

error: