それでも君に恋をする-4

彼と彼女のあいだで【4】

 その日の昼休み、スマホの着信を見たら夢生のメールが来ていた。急いで開くと、『中間の勉強、今回はほかの友達とやるからパス。』とだけあった。俺は真っ暗になって、つくえに伏せた。完全に避けられている。
 見せつけられるのがきつい。そんなに夢生の前でも百乃とべたべたしていただろうか。というか、夢生と百乃がそんなに親しくなろうとしないから、むしろ三人で過ごすことはあまりなかったのだけど。
「音」と百乃が俺の後頭部を軽くたたいてくる。俺はのろのろと顔を上げた。
「どうしたの」
「夢生が何か怒ってる」
「藍香くん」
「何だよ……わけ分かんねえんだけど。俺が悪いのか。俺と百乃って、そんな……」
「あたしたちのこと、何か言ってきたの?」
「見せつけんなって」
「………、あの人も、彼女作ればいいんじゃないの」
「それは俺も言ったけどなー。いいのがいないってえり好みしてた」
「ふうん」
「つか、中間の勉強パスって俺が困るんだけど。俺の文系どうなるんだよ」
「一緒に勉強しないの?」
「お断りのメールが来てました。週末ひとりでヤマ当てかよ」
「じゃあ、あたしと勉強する?」
 俺は百乃を見上げた。「文系得意?」と訊くと、「理数よりは」と返ってくる。
「マジか。じゃあ、百乃と勉強しようかな」
「音も数学とか教えてよね」
「了解」と返しながら、やっと周りが弁当を食っているのに気づく。百乃も弁当を連れている。「弁当食いますか」と言うと、百乃は笑顔でうなずいて、俺の前の席が空席だったので椅子を借り、同じつくえで昼食を始めた。
 そんなわけで、週末は百乃と図書館で勉強会を開いた。夢生以外とこんなふうに勉強するのは初めてだ。というか、ここのところ夢生とふたりで遊んだりもしていなかった。そのへんを怒ってんのかもな、と思いつつ百乃に国語やら英語を教わる。
 夢生は俺はどこが分かっていないのかつかむのがうまかった。だから楽に理解できたものだ。百乃は夢生ほど要領よくなかったものの、一応俺は要点はのみこんだ。今度は俺が教えながら、このまま夢生って俺から遠ざかっていくのかなあ、と何とも言えない不安を覚えた。
 おめでとう、って言ったじゃないか。気に入らないなら、あのとき祝福なんてしてくれなければ。そしたら、俺は……
 ひと通り勉強すると、荷物は駅のロッカーに預けて、少し街をデートした。日はゆっくり長くなっていて、街は橙々色に染まる。来週は中間考査で、すぐ六月になる。空気は蒸していて暑かった。
 土曜日の夕方で街はにぎわっていて、はぐれないように百乃は俺の手をぎゅっとつかむ。百乃のいつものシャンプーの匂いがたまに鼻腔をかすめた。
「明日は日曜だよね」
「そうだなー」
「何か用事ある?」
「ん、別に。勉強かな」
「また一緒にする?」
「それでもいいけど」
「じゃあ、今夜泊まっていこうよ」
「大胆ですなー」
「だって」
「まあ、俺はいいけど。百乃は親に何か言われないか」
「勉強だったって言っておけば」
「俺はにいちゃんたちに『どうせ彼女だろ』ってまた殴られそうだな」
「じゃあ無理?」
「いや、構わな──」
 そこまで言いかけて、俺は人混みの中に見えた人影に立ち止まった。え、と振り返ると、夕風に栗色の髪が揺れる背中がある。俺は思わず、その名前を呼んでいた。
「夢生!」
 その背中が立ち止まり、振り返ってきた。大きな瞳。夕映えが溶ける白い肌。華奢な首。
「音──」
 俺は無意識に百乃との手を離して、夢生に駆け寄った。そして、気づいた。
 夢生の隣に女がいる。明るい茶髪で、小麦色の肌の、活発そうな女だ。同じ高校生ぐらいだが、たぶん、学校では見かけたことがない女だ。
「誰?」
 女は怪訝そうに夢生を見上げた。夢生は何か言おうとしたものの、口ごもってから、小さく「さあ」と言った。それにかちんときた俺は夢生の腕をつかむ。
「何だよ、何してんだよ」
「……関係ないだろ」
「関係ないって、俺は夢生の──」
 俺は夢生の……親友、だよな。なのに、何でこんなに焦ってるんだ。どうして泣きそうなんだ。自分だって彼女とデートしていたところだ。そのくせ、こんなにも夢生を責めたくなっている。
 こわばる俺を眺めていた女が夢生の名前を呼んで、夢生は肩をすくめた。
「何か痛い奴みたい。行こ」
「いいの?」
「どうでもいい」
 そう言って、夢生は女の肩を抱いて歩き出した。ふとふたりが曲がった通りは、ホテル街につながる道だった。
 俺は突っ立って、たまに人にぶつかられても、百乃に名前を呼ばれても動けなかった。
 記憶がまたたいた。つきあってみたい女子っているか? 俺はいない。そんなの興味はない。なのに夢生は川原がいいかななんて言った。何で。どうして。夢生は俺と一緒にいるのに。俺は夢生といたいのに。女なんか、いらないじゃないか──
 夢生の隣にいるのが、何であんな女なのだ。
 どうして俺じゃないんだ。
 俺の隣にいるのは──
「ねえ、音?」
 俺はその声をたどって百乃に首を曲げた。不安そうに俺を見上げている。俺は静かに息をついて、情けなく咲った。百乃は俺をじっと見る。俺は、慎重に口を開いた。
 ──あの女と泊まってくるかもしれないとは思ったけれど、俺は地元の駅の改札で夢生を待った。終電を過ぎたらいったん帰って、始発からまた待とうと思っていた。
 いつも朝、夢生が俺を待っていた壁にもたれて、充電がなくなっていくスマホを見ていた。電車が停まって人が改札を流れるたび、夢生のすがたを探すけど、なかなか見つからない。見落としてもう帰宅してるってないよな、という不安も感じつつ、停車時以外は静かな構内でじっと待っていた。
 二十時。二十一時。二十二時。どんどん時間が過ぎていく。立ち疲れてその場に座りこんでしまい、うなだれていた。声がかかって、半分寝ていた自分に気づいた。
 夢生、と思って顔を上げた。が、そこにいたのは制服を着た年配の駅員さんだった。
「大丈夫ですか?」
「あ──はい。ちょっと、人待ってて。たぶん終電までには降りてくるはずなんで」
「今、終電は行ってしまったんですが」
「えっ」
 まばらな人を見渡し、嘘だろ、と俺は手の中のスマホで時刻を確認した。零時をまわっていた。「あー……」と俺は曖昧な声をもらし、何とか立ち上がりながら駅員さんには苦笑した。
「じゃ、じゃあ……もしかしたら、明日だったのかも」
「そうですか。じゃあ、気をつけて帰ってくださいね」
「はい、どうも……何かすみません」
 俺は頭を下げ、寝落ちかよ、といろいろ自分が恥ずかしくなりながら、その場を離れた。
 もしかしたら、寝ているあいだに夢生は通ったかもしれない。どうしよう。もう夢生は俺をこの駅で待っていてくれないだろうし。学校でまた強引に話すか。かえって嫌がられそうだが、このまますれちがってしまうよりは──
「音」
 駅を出て、ロータリーのやけに明るいコンビニの前を横切ったときだった。不意に名前を呼ばれて、はっと俺は顔を上げた。どこもシャッターが下りた商店街の入口の柱に、夢生がもたれて俺を見ていた。思わずたたずみそうになったけど、急いで駆け寄って夢生の前に立つ。
 夢生が俺の目の前にいてくれている。すごく久々な気がした。何だかそれだけで足元が痺れて泣きそうになる。夢生も俺を見て、「寝てたね」と脚に体重を戻した。
「……気づいてたのかよ」
「酔っ払いに見えた」
「ずっと待ってたから」
「俺のこと?」
 夢生は首をかたむけて俺を覗きこむ。その親密な角度が、近い瞳が懐かしい。ほの暗い中で、俺は夢生の肩に手を置いた。心臓がどくどくと脈打ってくる。
「百乃と別れた」
「えっ」
「すげー泣かれたけど」
「………、」
「どうしても好きな奴がいるって言った」
「……好きな奴」
「好きな奴、っつーか……そばにいてほしい、と思う奴がいるって」
 俺は夢生の肩を引き寄せた。ぱたん、と夢生は俺の軆に倒れこむ。いざ抱いてみるとやっぱり女の子とは違う、それなりに筋肉が分かる軆を抱きしめる。
「夢生じゃなきゃ、やっぱダメだ」
「音……」
「俺の隣にいるのは、夢生なんだ。そのためなら、彼女だって俺はいらない」
「……バカか」
「そばにいてほしいのは、夢生なんだ。ずっと前から、ガキの頃から、そうなんだよ」
 言ってしまったあとで、心臓がざわざわと暴れる。どうしよう。言ってしまった。素直な気持ちだけど。伏せていたほうがよかった気持ちかもしれない。でも、やっぱり俺は夢生を選びたいのだ。
 ずっと夢生だった。百乃とつきあって、女の子と近づいて、それが普通だって思ったけど。俺は満たされるどころか、欠けていくばかりだった。夢生がどんどん遠ざかっていく。変かもしれない。親友。男。それでも、親友と恋人のあいだで揺れて──やっぱり、夢生とのほうが必要だと思った。
 ふと、腕の中で夢生が震えた。俺は慌てて覗きこんだ。夢生の瞳から、ぽろぽろと雫が落ちている。俺はすくんでしまい、謝って軆を離そうとした。すると、夢生はぎゅっと俺にしがみついてくる。薄いTシャツだけのほてった軆がじかにぶつかる。
「音のバカ野郎……」
 言いながら、夢生は俺の服を握りしめる。
「そんなの、……期待させるの、やめろよ」
「え……」
「お前の気持ちなんか、どうせ友達の延長線なんだろ。俺は違うんだ」
「ち、違うって」
「俺だって、音が好きだよ。そばにいてほしいよ。音がそばにいるなら、ほかには何にもいらないんだ」
 夢生のかすれた声の告白に、え、と生唾を飲みこむ。
 何。何だ。じゃあ、夢生も──
「でも、俺の気持ちは友情じゃないから」
「え」
「ずっと、ずっと前から、音が恋愛で好きだから」
 俺は夢生を見た。夢生は俺の肩に顔を伏せて泣いている。「ごめん」と夢生が壊れそうな声で言う。
「ごめん、気持ち悪くて」
「夢生……」
「でも、ほんとに音が好きなんだ……」
 俺はちょっと躊躇したものの、夢生をぎゅっと抱きしめた。夢生が嗚咽をこらえながら少し顔を上げる。
「昔、俺が川原って女子をイジメたの憶えてるか」
「え……、ああ。……うん」
「夢生が川原とつきあいたい奴だとか言ったからだよ。夢生は……俺と結婚すると思ってたから」
「えっ」
「あのときから、俺は夢生と結婚したいと思ってる」
「音……」
「そのくらい、夢生が好きだから」
 夢生は俺に抱きついて、泣き出した。いつもどこか澄ましている奴だった。でも、それは甘えて気持ちに気づかれないためだったのかもしれない。
 ずっと、そうやって夢生は我慢していたのだ。俺に嫌われないために。嫌いになんてなるわけないのに。夢生の涙が愛おしくて、俺は栗色の髪に指を通し、その頭を撫でる。
 ずっと夢生が俺の一番だった。友情が恋愛になったって、それは変わらない。誓いになるだけだ。俺は夢生のそばにいる。
「彼」と「彼女」、境界線で迷ってみたけれど、俺の心はやっぱり夢生に奪われる。今でこそ、“結婚”はそう簡単にできないのは分かるけども。それでも俺は夢生の隣にいたい。
 俺が一生大事にしたい相手は夢生だ。自分のそんな運命を、俺はもう迷わず、信じることができる。

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