ドライフラワー【1】
俺のほうが、兄貴よりモテる人生を送ってきたと思う。中一で初めて彼女ができて、中二で童貞は捨てて、中三から高二までは長くつきあったりして。今は大学一回生で、受験から解放されて適当に遊んでいる。
「果はモテるな」なんて咲う四つ年上の兄貴は、大学を卒業して会社員として大変そうにやっていた。恋愛なんてあんまり興味がないのかもしれない。そう思って、ちょっとだけ変な優越感を得たりしていた。
そんな兄貴が、初めて恋人として家に連れてきた女の人が天乃さんだった。しっとりしつつ穏やかそうなその笑顔を見て、俺はとっさに悟った。
あ、俺、兄貴に負けてた。
「じゃあ、初めは天乃さんが萌の教育係をしてくださっていたのね」
ダイニングのテーブルで、兄貴と天乃さんは、俺たちの両親と向かい合っている。雰囲気はなごやかで、お袋がそう言うと、天乃さんはうなずいて微笑んだ。親父もお袋もひと目で天乃さんが気に入った様子だった。
「ふふ、萌さんすぐ仕事覚えちゃうから、私の出番は少なかったんですけど」
くすりとした天乃さんに、親父は快活に笑って「それは天乃さんの教え方がうまかったんだろう」なんて持ち上げる。
「なあ、萌」
「そうだよ、天乃さん。とうさんの言う通り」
眼鏡の奥で照れ咲いする兄貴を横目に、大学から帰ってきたところである俺は、四人が話しているダイニングを抜けた。そして冷蔵庫からコーラの缶をつかむと、またダイニングを横切ってリビングに行く。
姉貴が死んだみたいに肢体を垂らして、ソファに倒れていた。俺を一瞥すると、「おかえり」とぶっきらぼうに言う。ブラコン気味だった姉貴には、天乃さんの登場はおもしろくないようだ。
「萌にいちゃん取られるな」
「うるさい。女たらし」
「処女がえらそうにすんなよ」
俺の言葉に、「最っ低……」と姉貴は眉をしかめる。
「ほんと、にいさんと正反対だよね」
「花ねえちゃん、あの人に挨拶しないの?」
「頭下げたからいいでしょ。あんたこそ荷物置いてきてあのテーブルに混ざってあたしのことはほっといて」
「文脈がすごい」
文学部の俺はそう言うと、「かばん置いてくる」とダイニングにはそう言い置いて、二階に上がった。
十二月に入って数日、フローリングは足元が冷える。部屋に入ると、明かりもつけずに荷物を床に放った。そして、虚脱してベッドに仰向けに倒れる。一階の談笑がおぼろげに聞こえる。
天乃さんのひとつにくくられた艶やかな髪や、清らかそうな顔立ちや、背筋の伸びた華奢な軆がよぎる。
兄貴が、あんなに綺麗な人を捕まえてくるなんて。ぶっちゃけ、あんまり男として冴えてないぞ、兄貴は。なのにいいのか、あの人。俺のほうが絶対にいいじゃないか──そこまで思って我に返り、ぼふっとシーツの匂いに顔を伏せる。
何考えてるんだ。今のはひどかった。反省。
時刻は二十時になろうとしている。夕飯に間に合うように帰ってきたのだが、ダイニングのテーブルには何も用意されていなかった。
客人である天乃さんもいるし、外食になるのかもしれない。だったら、俺がおごることになっても適当に女の子と食べてこればよかった。俺を打ち負かした兄貴とも、口説ける相手でもない天乃さんとも、そんなふたりを喜ぶ両親とも、正直、同じ食卓を囲むのはきつい。
とはいえ、ただでさえ姉貴がふてくされているのに、俺まで不自然に天乃さんの登場にそっけなくするわけにもいかない。仕方なく一階に降りると、やはり近所のダイニングバーまで外食に行くことになっていた。姉貴は「ダイエット中」と言っていたけど、「花も行こう」と兄貴に言われてしぶしぶ立ち上がっている。
「妹さん、萌さんがすごく好きなんですね」
親父は車を出しにいき、お袋はばたばた支度をして、ダイニングのテーブルにもたれる俺の隣に来た天乃さんが、リビングの兄貴と姉貴を見ながらそう言った。
「まあ、花ねえちゃんはブラコンですね」
「萌くんが、あんなふうにしっかりしてるのは少し不思議な感じ」
「職場では頼りないんですか」
「あ、そうじゃないんですけど、私のほうが年上ですし。わりと甘えてくれるんです」
この人に甘えてるのか、兄貴。それはそれで、くっそうらやましいな。
「天乃さんが年上なんですね」
「私がふたつ上です」
「ふうん……」
「果くんにはおばさんですね、二十五なんて」
「えっ、いや、……そんなことは」
天乃さんは咲って、「弟には曲がり角だなって言われるんで、今度萌さん紹介して、見返すつもりです」と悪戯に言った。
「弟、いるんですか」
「はい。昔は仲良かったんですけど、あの子が中学生くらいになったら、ぜんぜんうまくいかなくて」
「喧嘩ですか」
「冷戦ですね」
「はは」
「大学出たら家でくつろいでばっかりの子だから、『少しはちゃんとしなさい』ってつい言っちゃうけど、『うるせえ』ばっかり」
「それは──ニート? 引きこもりですかね」
「本人はそういうふうに言われると怒ります。来年から本気出すから自分は違うって」
思わず噴き出してしまう。
「来年からって、言い訳のテンプレじゃないですか」
「ほんとに。果くんは、まだ大学生でしたっけ」
「大学は入学したら楽とか、都市伝説でしたね。レポートも試験範囲も鬼ですよ」
「分かる」と天乃さんは咲うと、「果くんとは仲良くできそうでよかった」と柔らかい笑顔を向けてきた。その笑顔にぽかんと見蕩れそうになり、慌ててリビングに顔を向ける。
やばい。
どうしよう。
すごく綺麗だ。
この人を物にしたい──
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