My Happiness【1】
「あり、今日の放課後ヒマ?」
四時間目の授業が終わってお弁当を取り出していると、クラスメイトの友達がそんなことを訊いてきた。
高校生になって初めての冬、同じ出身校の子とつるむより、同じクラスになった子と過ごすほうがさすがに増えた。あたしは顔を上げて、そこにいた三人に「ヒマだよー」と首をかたむける。
「よし、これで四人だ」
「何かあるの」
「愛子のバイト先のファミレスがね、四人以上の団体でパンケーキ五十パーセントオフなの」
「それ、いくらでも女子釣れそうだけど」
「太るからって意外と集まんないんだよー」
「あー。まあいいけど」
「やったっ」
「あ、お弁当も一緒に食べよー」
三人は近くの席から椅子を引っ張ってきて、あたしのつくえや自分の膝の上に昼食を取り出す。
冬が舞い降りそうな日、みんな外でなくエアコンのある教室で昼食を取っていて、けっこう室内はざわめいている。
「ありって彼氏いなかったよね」
「B組の河本くん、ありのこと狙ってるらしいよ」
あたしは眉を寄せて、ケチャップのかかったミートボールを飲みこむ。
「あたし、そいつの顔出てこないんだけど」
「あり、けっこうモテるのにさー、何だその無頓着」
「好きな人いないの?」
「あたしもそれ、すごい気になる」
「好きな……人? 別にいないな」
三人ともやりきれないため息をつく。
「みんなはいるの?」と試しに訊いてみると、「好きになるなら勝手だしねー」とぽんぽんと男子の名前を出す。そんなもんなのか、とあたしはおにぎりをひと口大にちぎって口に含む。
「でもさ、ありちゃんが理想高くなるのは分かる気がするの」
「あたし、理想高いの?」
「だって、あんなかっこいいお兄様がいるんだもん。あれはブラコンになるしかないよっ」
「確かに……。あの兄貴はレベル高かったね」
「あり、おにいさんには彼女いないよね?」
「いないね。まあ、うん」
「あんなイケメンが家にいたら、じゅうぶん目の保養になるもんなー」
「ね。マジうらやましい」
昨夜の残りのひじきを食べながら、ゲイだけどね、と内心で続ける。もちろん、ゲイでなくたって兄貴をそういう目では見ないけれど。ブラコンは当たってるかもしんない、と口をもぐもぐ動かす。
中学の卒業式でもそうだったな、と思い返す。おとうさんとおかあさんが一緒だったから、兄貴はあたしの卒業式に来てくれて、あたしの友達に騒がれていた。
何だか困って、咲っていたっけ。それはゲイだからではなく、その直前まで何年に部屋に引きこもっていたための、外界へのとまどいだったのだろうけど。
「──どうして、おにいちゃんは自分がゲイだって気づいたの?」
夏、外の空気に慣れてきた兄貴と、一緒に愛犬のカシスの散歩に行ったときだ。夏休み中だったあたしがそう尋ねると、兄貴はちょっと考えてから、名残る蝉の声の中で「たぶん」と言った。
「ここに引っ越すとき、離れるのがすごく嫌だった友達がいたんだ。その人が切っかけ」
オレンジ色が透けるぬるい夕風に、兄貴の長い前髪が揺れた。
「好きだったの?」
「いや、『好きだ』って言われた」
「えっ」
「『もう会えないなんて嫌だ』って。『僕もだよ』って言ったら、『じゃあ、最後にお願い聞いて』って──ほんとに、軽くだけど。その……」
「キ、ス?」
「……ん、まあ」
「おにいちゃん、ファーストキス終わってるの!?」
あたしの声に、カシスが垂れた耳を揺らして振り返って一回吠えた。兄貴は、見て分かるほど頬を染める。
「こ、声大きいよ。顔離したら、彼そのまま行っちゃって。最後の挨拶にも来なかったし、連絡もなかった」
「いや、それは絶対……嫌いだからではないでしょ。今から連絡してみようとか」
「もう遅いよ」
表情を持ち直した兄貴は、少し寂しそうに咲った。そんな人がいたのか、とあたしもまばたきをしてしまった。
カシスのベージュの毛が夕射しで金色になっている。
「もし……あのとき、すぐ分かってくれたら」
どきんと兄貴を見上げる。
「会いたい人がいるから、あの町に行きたいって言うつもりだった」
兄貴の横顔を見つめる。「ごめん」としゅんとなって言うと、兄貴は綱を持たないほうの手であたしの頭を撫でた。
「いいんだよ。会いたいのは女の子だってごまかすことだってできたのに、正直に言っちゃったのは僕だから」
「言ってよかったんだよ。塩沢だってそう言ってくれてるでしょ」
「うん。ありがとう」
あたしは──あたしと両親は、初め、兄貴を分かってあげられなかった。ゲイだと告白されて、それを否定してしまった。
もともと芯の細かった兄貴には、その拒絶は折れてしまうにじゅうぶんだった。部屋にこもりがちになって、あっという間にぜんぜん顔も見せない引きこもりになった。
何年、そんなふうにあたしの家庭は凍っていただろう。溶かしてくれたのは、あたしが中三で同じクラスになった男の子だった。
塩沢柊。彼もゲイだった。そして、中学時代をひどいイジメを受けながら過ごしていた。
登校拒否してもおかしくないのに、引きこもっておかしくないのに、塩沢は周囲に負けず、学校もやめなかった。そんな彼を見ていて、この人なら兄貴の心を開いてくれるかもしれないと感じた。
塩沢のことを、同じく後悔して思いつめていた両親に伝えた。するとふたりは、中学の校長に直談判して、あたしと塩沢が同じクラスになるように頼みこんだ。それを、のちに中三で担任となった香野先生が見かけ、事情を聞いて担任は自分が引き受けると推してくれた。
当時、学校側はイジメを持て余していた。
「塩沢くん側にも問題があるわけですからねえ……」
校長も教頭も、大半の教師も、そんなことを言っている始末だった。それは違うと香野先生は強く言い切っていた。
胡散臭そうにされていたけれど、結局、面倒を押しつけられると思ったのか、香野先生が担任の上で、あたしは塩沢とクラスメイトになれた。
それでも、いざとなるとなかなか話しかけられなかった。引きこもりの家族を救ってほしいなんて、いくら同性愛者という共通点はあっても、塩沢にはやはり関係のない重い話だろう。
けれど、香野先生も小さな切っかけを発してくれて、塩沢とやっと話すことができた。塩沢は親身になって──本人は自分のためだなんて言っていたけど、すごく熱心になってくれて、兄貴の部屋の前に通って、ドア越しに話しかけてくれた。
何ヶ月もかけて、塩沢は兄貴に語りかけるのを続け、ついに閉ざされたそのドアを開けてくれた。こじあけることなく、とても自然に。兄貴が塩沢と話したと聞いただけで、あたしは泣いてしまった。自分が会えたわけではなくても、心からほっとして、あきらめかけていただけに嬉しくて──
なのに、このとき兄貴は、さらに頑張ってくれた。それからほとんどあいだを置かず、あたしと両親に会いに一階に降りてきてくれたのだ。久々に見る兄貴は、記憶の中よりもっと痩せて、壊れそうに視線を彷徨わせていた。
でも、「亜里紗」とあたしを呼んだ優しい声は変わらなかった。家族四人で、たくさん泣いた夜だった。
それから、兄貴はちょっとずつ部屋を出て、外出して、来年からは通信制の高校に進もうとしている。
──友達との昼食を終えると、ぼんやり来る眠たさと戦う五時間目と六時間目をはさんで、さっきの子たちと学校をあとにした。
日に日に、空は凍てついて冷えこみが厳しくなる。みんなマフラーをしたり手ぶくろをしたり、カラフルなもこもこで防寒していた。
クリスマスも近づいて、道を歩いていると、にぎやかに飾りつけられたツリーとよくすれちがう。あっという間に指先の感覚も奪われ、風を断ち切る駅に入ると、どこからかクリスマスソングがかかっていた。
このメンバーとは限らず、目的地のファミレスには行ったことがある。市内に出た駅の中にあるファミレスで、いつもかなりいそがしそうだ。
暖房がかかる電車に四人で乗りこみ、制服すがたを車内に多く見かけながらその駅に移る。定期券で改札を抜け、「何のパンケーキ食べよっかなー」とか相談しながらファミレスに向かって歩いていると、突然駅のざわめきの中から「ハーレムか、あれは」という聞き憶えのある声がした。
【第四章へ】
