Warming Family【1】
雪乃は妹の友達だった。来年大学生になる予定で、俺と同じ大学に進むと言って聞かない。
「わりとうちはむずかしいぞ」と言っても、「透悟さんがいるところに進みたい」と雪乃は粘り強く言うばかりだ。そんなわけで、最近のデートは図書館で俺が雪乃に勉強を教えることが多い。
それでもやっぱり、友達は「女子高生とつきあってんのかよ!」とうらやましがる。
俺の妹である麻紀美は、ぶっちゃけあんまり頭が良くない。通う女子高のレベルも、高いわけではない。だから、同じ高校の雪乃の学力も期待できないかもと思っていたけれど、思いのほか、雪乃は俺が教えたコツを飲みこんで、問題を与えるとどんどん正解を出した。
「中三のとき、合格できるって言われてた本命に落ちたの」
このあいだ、雪乃はひと息ついた休憩室でミルクティーを飲みながら、そんなことを告白してきた。
「手抜きしたのか?」
俺がコーヒーを飲みながらにやりとすると、「しないわよ」と雪乃はちょっとふくれる。でもすぐに睫毛の角度に影を落とし、ミルクティーの缶を握りしめる。
「あの頃、ずいぶん混乱してたから」
「混乱」
「……弟のことで」
「ああ、……そうだよな」
「あの子自身が、周りにされてたことには及ばないんだろうけど。やっぱり、あたしまで変な陰口たたかれたし、友達の本音が見えなくて不安にもなってたわ」
「話聞く感じ、いい子そうだけどなあ。弟くん」
「そうね。でも、あの頃あたしがあの子を許せなかったのは、透悟さんは知ってるでしょ」
「説教したから憶えてる」
苦笑しながら肩をすくめると、「あたしにお説教できる人なんて透悟さんだけよね」と雪乃も咲う。
「ま、もう弟くんに怨みはないだろ?」
「そのつもり」
雪乃はほのかに甘い香りのミルクティーを飲む。俺は雪乃の頭を抱えて撫でて、「弟くんも、雪乃が今度は志望校に受かったら喜ぶよな」とつぶやいた。「あたしが今の高校に行ってるの、どこかでは気にしてると思うわ」と雪乃は俺にもたれる。
「じゃあ、弟くんのためにも合格しないとな」
「そうしたい」
「ちゃんと教えていくよ。学校のレベルじゃなくて、俺が教えてるレベルを維持すれば今度は合格できる」
雪乃はこくんとした。そういうことなら、俺もいっそう協力してやらなくてはならない。
だから、今日のデートも図書館に行く予定だ。俺の通う大学のそばにある図書館だから、受験対策の参考書もここが一番豊富だ。
日が橙色にかたむくと、風がひんやりするのに気づくようになった。九月がもうすぐ終わる。
夏休み気分も抜けてきた学生でにぎわう駅で、雪乃を待ちながら友達から来たメールに返事を返す。雪乃が同じ大学に来るのを目指していると知った友人共は、「絶対見せろよ」とうるさい。
雪乃は堅いところがあるから、ほかの奴に揺れるということはなさそうだが、逆に煩わしそうにするのはありうる。雪乃は、絶対俺にしか甘えない猫みたいだから。
俺と雪乃は、前述の成績不良の俺の妹、麻紀美のお節介でつきあうようになった。たぶん、先に惹かれたのは俺のほうだと思う。家に遊びにきた雪乃を見て、なかなかの美人だと思った。つんとした印象もあるけれど、彼氏の前では咲うんだろうなと思うと何だか萌えた。
「あの子ってやっぱ彼氏いんの?」と麻紀美に訊くと、兄貴に対して「あんたには関係ないじゃん」と妹は吐き捨て、初めはかなりうざったそうにされた。「あんたはねえだろ」と麻紀美をはたきつつ、ひとまずのところ、雪乃に彼氏がいないことはやがて聞き出せた。
いないのか、と俺が神妙に腕組みをしているのを胡散臭そうに見ていた我が妹だったが、ある日突然、なぜか雪乃の情報をよく流してくれるようになった。俺はそれに調子に乗って、年上はどうだとか、好きな奴はいるかとか、ぶっちゃけ俺はありかとか、いろいろ麻紀美を通して雪乃に訊いてみて、雪乃は麻紀美に答えを伝えておいてくれた。
「年上のほうがいいって言ってた。弟いるから、年下は絶対嫌なんだって」
弟がいるのか。あの子と同じ家で暮らしてるとか、うらやましいなこの野郎。
「好きな人はいないって」
いない。よしっ、と思うのと同時に、俺もまた目に入っていないのが分かってちょっとへこむ。
「おにいちゃんがありかだけどね。それは今度の日曜、おにいちゃんが雪乃に会って、直接聞いたほうがいいと思うんだ」
「は?」とぽかんとすると、麻紀美はケータイを取り出し、日時と場所が記されたメールを俺のケータイに送ってきた。「直接って」と俺がキョドっても、麻紀美はにやにやするばかりだった。
そんなわけで、ある秋晴れの日曜日、俺は雪乃とデートした。街路樹が紅葉しはじめていたのを憶えている。とりあえず手堅く映画に行って、そのそばのレストランで食事をした。
すぐ近くで見ても、雪乃は綺麗な女の子だった。一度女の子とつきあったことはあったけれど、もっと軽い感じの女だったから、雪乃の若干冷ややかさも感じる堅さには緊張してしまった。
「雪乃ちゃんは──」
ほかほかと香ばしいポテトグラタンを食べていた雪乃は、俺に顔を上げた。
「彼氏欲しい、とか思うことある?」
雪乃はまばたいてから、「気になった人となら」と答えた。デミグラスソースのかかったハンバーグを食べていた俺は、「そっか」と言ってから、いやここははっきり言わなくては、と思い直してフォークとナイフを置いた。
「雪乃ちゃん」
「はい」
「その、お……俺とか、どうかな」
「……は?」
「いやっ、断るなら断っていいんだよ。友達の兄貴とか、気持ち悪いというか、気まずいとかあるかもしれないし。でも、えと──俺は、雪乃ちゃんが彼女だったらすごい自慢なんだけど」
雪乃は目を開いて、少し視線をうつむけた。ダメかな、とちらりと思った。雪乃は再び俺に顔を上げて、わずかに頬を染めながら言った。
「麻紀美に、何か言われたんですか」
「麻紀美、は──まあ、今日のこと計らってくれたみたいだけど。俺が雪乃ちゃんのこといつも訊いてたからかな」
「そう、ですか。あたしもけっこう、訊いてたのもあるのかも」
「えっ」
「だって、麻紀美がおにいさんの話いろいろしてくれたから。気になってくる……し」
俺の話をしていただと。麻紀美。かわいくない妹だと思ってきたが、今なら小遣いやってもいいぞ。
「でも、大学生なんですよね」
「ん、まあ」
「あたしとか、こ……子供じゃないですか?」
「そんなことないよっ。雪乃ちゃん大人っぽいし、俺のが年齢よりガキかもしれない。だから、その……ちょうどいいよ。たぶん」
「そう……ですか」
変な沈黙が流れた。止まった食事の湯気がテーブルから匂い立っていく。ここはどうすべきか。たたみかけるべきか。待ったほうがいいのか。
考えてから、俺はゆっくり雪乃の名前を呼んだ。雪乃はうつむきがちの上目遣いで俺を見た。俺は深呼吸し、その濡れて震える瞳を見据えて伝えた。
「俺たち、つきあおうか」
雪乃は俺を見つめている。これだけじゃ微妙か、と自分でも思ったので、もうひと押し伝えた。
「俺は、雪乃ちゃんが好きだよ」
雪乃はまばたきをした。それから──小さくうなずいて、「あたしも好きになりました」とおもはゆそうに言った。
瞬間、流れでつきあって別れただけの、初カノのときとは較べ物にならない喜びが駆け抜けた。本気で叫びたかったけど、何とかこらえて笑みにとどめた。すると雪乃も微笑んで、「ほんとに子供みたい」と俺の笑顔を見つめた。
それから、ちょうど二年になるわけだ。九月の下旬、あの日と同じ日まであと一ヶ月くらいだ。去年のその日の夜はもちろんふたりで過ごして、俺は雪乃にシルバーのシンプルな指輪を贈った。今年はどうしようか。プロポーズは早いよな、とか思っていると、「透悟さん」とふと名前を呼ばれてはっとした。気づくと、ケータイをいじる手も止めて考えこんでいた。
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