紅染めの糸-3

春を迎えて

 風はまだ冷たくても、陽射しがほんのり肌を温めるようになった。
 桜の花びらがひるがえり、アスファルトに積もっていく。
 たんぽぽやシロツメクサが生える通学路でざわめく制服すがたの奴らは、夏休みや冬休み明けほどぼんやりしていない。春休みは、うたたねしていたあいだのようにすぐ終わった。
 今日から、俺は中学二年生になる。
 校門を抜けて、チューリップやパンジーが鮮やかな花壇を横目に、まずは体育館の壁に貼り出された新しいクラスの発表を見にいく。天智香凪。最後の七組に、やっと自分の名前を見つけていたら、予鈴が鳴って、慌てて旧学年の教室に向かった。
 せっかく慣れたのに、ばらばらになるクラスを惜しむ間もなく、本鈴が鳴る。出席番号順の列になって、元担任の引率で体育館に移動する。
 校長や着任教師の挨拶が続く眠たい始業式のあと、新二年生と新三年生は体育館に残り、ざわざわと新学年のクラスで集まる。同じクラスになっても、違うクラスになっても、みんなさまざまに声を上げている。
 その騒ぎに収拾をつけるように出席番号順に並ばされ、新しく一年間過ごす教室に向かう。
 教室なんてどこも同じはずなのに、陽射しの角度とか何となく感じる匂いとか、不思議と慣れない感じがある。席に着いて教室を見まわすと、知った顔は多少あったが、親しい顔は見当たらなかった。
 新しい担任は、三十過ぎの男だ。あんまり愉快そうな教師じゃない。
「一番後ろまで足りなかったら手を挙げるように」とか言われながら、めいっぱいプリントを配られた。タブレットひとつ支給して転送すればいいのにとか思いながら、後ろの席の奴にプリントをまわしていく。
 そうしながら、改めてちらちら教室を見渡してみたが、やはり友達は一から作るフラグで、いよいようんざりしてきた。
 好きな女はゲームオーバーで、友達はレベル1にリセットか。楽しすぎて泣けてくる。
 どこかのクラスに行った葛井に言われた。今度はクラスに好きな奴を作れ。いるかなあ、と女子共に目を走らせたが、広亜がどれだけ美人だったか、未練がましく思い知るだけだった。
 が、ひとり目に止まった子がいた。広亜と同じ、ボブの髪が似合う子だったから。髪質はストレートではないけれど、広亜がウェーヴをかけたらあんな感じかもしれない。
 大きなぱっちりした瞳、綺麗な色白、口角がきゅっと上がった口元。頬や肩の線は柔らかに丸く、女性的というより幼さかもしれない。今の広亜より、昔の広亜に似ている。
 あの子初めて見るな、と思っていると、プリント配布も終わり、自己紹介は明日ということでその日は午前中で解散になった。
「同じクラスだったね」
「うん。朝、名前見つけてほっとしたー」
 その子はさっそく、クラスを引き継げたらしい女子とつるんでいる。
 転校生かな、とも思ったのに。あんなかわいい子、学年にいたか? 首をかしげていると、黒板にたむろった野郎共もその子を見ている。
 みんな目えつけるよな、と妙に納得していると、そいつらの会話が聞こえてきた。
「やべー、やっぱかわいいな」
「あれは許すしかないよなあ」
 ……許す? 何を。
 ん、と俺はもう一度その子をよく見た。耳には、まだそいつらの会話が届いてくる。
「同じクラスってことは、チャンスあるかもしれないぜ」
「とりあえず童貞は捨てれるかなー」
 やけに盛り上がる内容を訝って、俺はその子を見つめた。友達と楽しそうに咲っている。
 ふとその高い笑い声が、脳裏でシンクロした──先月の、あの、トイレでの……
 え……え、あれ、深月毬実!?
 髪! お前、髪長かっただろ。何だよ。失恋か。眼鏡先輩に愛想尽かされたか。尽かされて仕方ない女だが。
 いや、そんなことよりかわいいって。かわいいとか思ってしまった。くそ、ムカつく。あんなビッチはお断りなのに。あと、女には嫌われてそうになのに、友達いるのか。俺なんか友人初期化だぞ。
 ころころ咲う深月を見て、なぜか勝手に癪に障ってきたときだった。
「毬実」
 低いドスのきいた声の、金髪の長髪を束ねる男子生徒が教室に踏みこんできた。きつそうな眉と眼つき、機嫌悪そうな口辺、着崩した制服に長い手足の痩躯──
 新しいクラスメイトは、さっとそいつをよけて道を作る。深月は友達からそいつに目を移すと、無邪気な笑顔になった。
「和琴くん」
 和琴。あ、御門和琴か。
 何だ。こいつを本命にしたのか。
「帰るぜ」
「うんっ。あ、じゃあ私、帰るね」
「また明日ね、まり」
「んっ。──和琴くん、何組だった?」
「隣。六組」
 そんなことを話しながら、ふたりは並んで教室を出ていった。ややざわめきが泥む教室で、クラスの野郎の大半はそれを見送っている。心外にも、俺もそのひとりになっていた。
 あれが、深月毬実。と、御門和琴。あのふたりが、何というか、やっていたわけか。トイレで。
 学校のトイレとか何考えてんだと思ったが、……ほんと、何考えてんだ。うなだれて、ため息をついてしまう。
 深月と同じクラスかよ。あいつがどんなにやりまくっていても、俺には関係ないけれど。せめて見えないよそでやっててほしかった、と一気にこのクラスに対して気が落ちていった。
 そして、二年生としての中学生活が始まった。深月はうわさ通り、ビッチのくせにというかビッチだからか、軽薄に男子生徒にモテていた。
 でも、わりと女友達もいる。深月が自分の好きな男とやったらとか考えないのか、と思うのだが、そういえばそういう泥沼は聞いたことがない。
 そのへんは深月もわきまえているのか。いや、女子の考えることなんて分からないし、男には深月はどうせ「浮気」で「抜くだけ」だから、割り切れるのだろうか。
 それにしても、深月がふわふわした無邪気キャラなのが意外だった。バカっぽいとは言えるものの、あんなに男をたらすのだから、どこか艶めかしい魅力があるのだろうと思っていた。
 だが、ぶっちゃけ、校外の男には処女で通じそうな無垢ささえ感じる。惑わせる色気も、だらしない奔放も、紛らわしい媚態もない。本当に、あどけない天然なのだ。
 男に話しかけられても屈託なくて、そのあと、その野郎とそんなことをやっているなんて微塵も感じさせない。学校のどこかでたぶんいかがわしいことをしてきても、ただトイレに行っただけみたいに何事もなく教室に戻ってきて、てきぱきと教科書を取り出す。
 実際、深月には何でもないことなのかもしれないが、童貞の俺にはとんでもない神経に思えて、ますます鳥肌みたいに嫌悪感が芽吹いた。
「あー、深月とやりてえー」
「つきあわなくていいから、やりたいよな」
「頼めばやらせてくれるんじゃね」
 レベル1から何とかできてきた友達も、どこからか教室に戻ってきて席に着く深月を盗み見て、よくそんな話題を嘆いていた。
 その話題だけには、俺は愛想咲いをするしかなかった。その考え方が、まったく理解できない。つきあわなくていい? なのに、やらせてほしい? 逆だろ。たとえやれなくても、つきあえるなら──。
 幼稚なのか? 理想論なのか? 甘ったるい幻想なのか? やれるならいいのだろうか。好きとかそういう感情はあとまわしなのだろうか。 童貞を捨てられればいい? 抜ければいい? そんなふうにやったって何も満たされないだろ、とか思う俺は、よほどガキ思考なのだろうか。
 深月だってそうだ。そんなに軆を安売りして、いったい何が満たされるのだろう。男が自分に振り向くほど快感なのか。でも、そんな性格なら女友達はいないよなと思う。
 でも、女子が深月と仲良くする理由は次第に分かってきた。どうやら、深月が取り持って、女子と男子がつきあうことになることが多いようなのだ。
 特に容姿に自信がない女子は、深月に頼んで男子に気持ちを伝える。その男子は、深月とやれることを条件に、その女子とつきあうことにするらしい。
 まあ、それくらいしないと確かに深月に女友達ができるのは不自然ではあるけれど。そこまでして男とやって、深月は何が気持ちいいのだろう。

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