君の隣にいられること-11

君の隣にいられること

 南がポケットからケータイを取り出し、「司だ」と自然と表情を華やがせる。席を立つと「もしもし」と通話に出て、そのまま南はリビングに行ってしまい、「司くんと南くんが離れてたって、変な感じだよねー」と奏がつぶやく。
「俺も、昔の司ってちゃんと憶えてないなあ。いつも機嫌悪そうだったかな」
「南も不安定だったよ。すぐお酒飲んで、暴れるわけじゃなくても、落ちこんでた」
「かあさんは、そういうの全部見てきたんだもんねえ。そりゃあ、今、司くんと南くんがいちゃいちゃしてんのは嬉しいか」
「しかし、巴さんに婚約者いたのかー。一歩違えば、何もかんも違ったんだよなあ。巴さんの影響力がすごい」
 そんなことを話しつつ、俺たちは秋らしいメニューの夕食を食していった。
 しかし、何だ──アセクシュアル、だったか。これは成瀬に言ってやらんとなあ、と思いながら、俺は頬張ったさんまをもぐもぐして、気になる骨を口の中から取り除いた。
「アセクシュアル、ですか」
 翌日の昼休み、俺と桃は成瀬のクラスを訪ねた。「話できる?」と訊くとうなずかれたので、校舎と校舎のあいだの中庭のベンチに並んで腰かけた。
 桃にはすでに説明してたので、俺がアセクシュアルについて解説するのを、桃が補足してくれたりもした。成瀬はやはりそんな言葉は知らなかったようで、ぎこちなく言葉を繰り返す。「美由くんの知識量すごいなあ」と桃は感心して、「成瀬みたいな奴は、ほかにもいるようなことをあいつは言ってたぞ」と俺は成瀬を見る。
「そう、なんですか」
「名前があるくらいだからな。あと、それは原因があるとかじゃなくて、元からの性質みたいみたいなことも響は言ってた」
「性質」
「だから、何が悪かったんだろうと考えなくていいんだよ。それが成瀬なんだ」
 成瀬は長い睫毛を上下させたのち、小さくうつむくと、「ありがとうございます」と細いため息と共に言った。
「……こんなの、ほんと、私だけかと思ってました」
「はは。でも、よく考えたら、成瀬が世界最速だったほうがびっくりだろ」
 そう言うと、成瀬は顔を上げてくすりとして、「そうですね」とうなずく。
「そんなふうに思うと、だいぶ気が楽になりました。アセクシュアル、ですね。自分でも調べてみます」
「おう。そのうち、同じタイプの友達も見つかるといいな」
「はい」と成瀬はこくりとして、「いろんな人がいるねー」と桃は気持ちよい青い秋晴れを仰ぐ。まだ残暑で熱っぽい日射しがあり、中庭は芝生の匂いがした。
 周りには、雑談したりまだ弁当を食っている生徒がいる。
 いろんな人がいる。本当にそうだ。そんな中で、俺は桃と愛し合えてよかったな、と思った。もし俺たちのどちらかが、異性に惹かれる人間ではなかったら、この関係もなかった。桃が俺のことを好きになってくれたのは、本当に、いろんな奇跡が重なって起きた現象なのだ。
 九月の最後の日曜日、杏のことはママが見ていてくれるということで、桃が俺の家に遊びに来た。「桃ちゃん、いらっしゃい」と司と南は笑顔で歓迎して、「時野さん、久しぶり」と中学は俺と桃と同じだった響も挨拶してくる。「末っ子くんは?」と桃に訊かれて、「今日はこっち来てないな」と俺はスニーカーを脱いだ。
 ダイニングで南が淹れた冷たい麦茶を飲んで涼んだあと、二階の俺の部屋に移動した。桃が来るから、部屋はクーラーで冷やしておいた。「散らかってるなあ」と桃は苦笑して、「散らかしても文句言われないので」と俺は床に座りこむ。桃も俺の隣に腰を下ろすと、何だか小さく笑いを噛んだ。
「何?」
 俺が首をかしげると、「ううん」と桃は微笑む。
「ただ、ここのとこ、学校だとよく鼓ちゃんが一緒だから」
「あー、あんま、ふたりきりになれてないよな」
「いいんだけどね。鼓ちゃん、明るくなってきたし」
「けっこう、よく咲うよな」
「授くんが教えてあげたことも、ネットで調べたりしてるみたいだよ」
「そっか。友達作れよー、とは言ったけど、ネットで友達作ったりして、それって大丈夫かな」
「最近は、あんまり抵抗ないのかも」
「ネットで知り合うとか、俺は怖いな」
「ふふ、授くんはそんな感じがする」
「桃はネットの知り合いとかいる?」
「SNSでつながってる人くらいかな」
「え、SNSやってんの」
「中学時代の友達とか、連絡よりTLが近況報告になってるもん」
「ふうん。俺はSNSとか分からんなー」
「授くんは陸上で有名だから、始めたらファンとかもフォローしてきそうだよね」
「怖いな。やめとこ」
 そう言った俺はベッドサイドに背中を預け、すると桃が俺の肩にくたっと頭を乗せてくる。俺たちは手をつないで、視線を重ねると少し微笑みあう。俺は桃のウェーヴの髪を撫でて、軽くキスをしてから「よかったって思う」とささやいた。
「え」
「俺が桃のことに好きになって、桃が俺のことのことに好きになって、それってすごいことなんだよな」
「両想いが?」
「というより、例えば俺がゲイだったとかさ。桃が成瀬みたいに恋愛感情ないとかさ。そういう可能性、ゼロだったわけではないと思うんだ」
「……うん」
「そしたら、何だろ、性の不一致で桃とこんなふうにつきあえてなかったんだ」
 俺は桃を腕の中に抱き寄せ、桃は俺の胸に頬を押し当てる。桃の軆は、温かくて柔らかい。
「桃を好きになれて幸せだよ」
「授くん──」
「成瀬みたいな奴が、不幸だとはぜんぜん思わないけどさ。俺は桃と一緒にいるのが幸せだから」
「うん」
「それを幸せだと思える男でよかった」
 桃は微笑んで俺の背中に腕をまわす。
「私も、授くんとこんなふうにくっつけるのが幸せ」
「へへ、そっか」
「ずっと一緒にいようね」
「俺は本気で桃と結婚する気なんで」
「私も授くんと家族になりたい」
「子供いっぱい欲しいなー」
「はは。じゃあ、頑張ってたくさん生む」
 俺は桃の髪を愛撫して、顔を覗きこむとそっと口づける。何度か唇を重ねたのち、口を開いて舌を求めあって、かすかな水音が部屋に響く。俺は手探りに床に散らかっていた本とかを退かせて、桃を床に押し倒した。
「桃」
「うん」
「俺、別にやりたい勉強とかないし。つか、勉強できないし」
「……うん」
「大学でも、陸上やってるのかなって思う」
「いいと思う」
「ほんとは、安定した仕事とかしたいんだけどさ」
「授くんは走ってるときが一番かっこいい」
「………、大学生になっても、俺のサポートしてくれる?」
「もちろん」
「それで──そのときはさ」
「うん」
「昼飯の弁当だけじゃなくて、朝飯も夕飯も桃が作って」
「えっ」
「高校卒業して、すぐ結婚したいけど。それは収入とか分かんないからできないかもしれない。でも、一緒に暮らそう」
「授くん……」
「もちろん、俺の稼ぎがしっかりしたら、結婚する。絶対に桃と結婚する。一生大事にする」
 桃は俺の瞳をじっと見つめて、物柔らかに微笑むと「はい」とうなずいた。俺はその返事につい満面の笑顔になって、桃をぎゅっと抱きしめる。
「大好きだよ、桃」
「私も授くんが大好き」
 俺は桃にキスをして、優しく軆に触れていく。桃も俺の首筋にそっと咬みつく。この女の子を大切にしたい。どんなものからも守りたい。俺を一番に愛してくれているのは、彼女であってほしい。
 俺もいずれこの家を巣立っていく。この家は大好きだけど、司と南がいっぱい愛情をくれるけど、今度は俺のほうが桃を愛したい。桃と、桃との子供を、惜しみなく愛する男になりたい。そして司と南みたいに、いつまでも寄り添い合って、桃の手を握りしめて同じ家へと帰るのだ。
 桃の隣が俺の居場所でよかった。ずっと桃の隣を歩いていきたい。桃の隣にいられること。それが俺には、どんなことより、この世でもっともかけがえのないことなんだ。

 FIN

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