僕の中では-4

君の恋が分からない

 深夏も身を起こし、ベッドサイドでルームウェアの淡いピンクとホワイトのボーダーのパンツを穿いていた。私に気づくと、あやふやに咲ってから「びっくりさせてごめんね」と言った。
 謝るのそこじゃない、と思いながら、私は後ろ手に閉めたドアにもたれてこまねく。男は座卓に頬杖をつき、面倒そうな表情で煙草をふかしている。
「深夏がホモに襲われてたってわけじゃないよね」
 私が静かに切り出すと、「俺、ストレートだし」と男は煙草を吸ってから吐き捨てる。
「いや、深夏って男じゃん」
「ほとんど女だろ」
「いや、男だろ」
「俺には女みたいなもんなんだよ」
 私は深夏を見た。「拓としてるときは女の子に近いのかも」と深夏は首をすくめ、私はため息をつく。深夏はうつむき、「ばれちゃったかー」とつぶやくと、表情を引き締めて私を見た。
「はとちゃん」
「……何」
「僕が男もいけるのは知ってるよね」
「知ってる」
「どっちかなんて、決められないんだ」
「は……?」
「僕ははとちゃんのこと好きだよ。女の子として。でも、拓──この人、拓寿たくじゅっていうんだけど、拓のことも好きなの。男として」
「よく分からないんだけど」
「女として好きなのははとちゃんで、男として好きなのは拓なんだ」
「ふたりとも好きなの?」
「そう」
「どっちかが浮気とかじゃないの?」
「違う」
「………、だいたい、この男とはいつからつきあってるの?」
「去年の暮れくらい。忘年会で知り合って」
「忘年会……」
「拓はうちの本社の営業なんだ。あ、だから、はとちゃんと同じ本社に勤めてるんだよ」
 私は拓寿というその男を見た。拓寿も私を見て、でも何も言わずにそっぽを向く。感じ悪すぎる。
「深夏は、それを二股とは思わないの?」
「えっ」
「だってそうでしょ、こいつはどうだか知らないけど、私は深夏としかつきあってないんだよ。深夏としか寝てないし。深夏は私が女の子と寝ても平気?」
「う……」
「深夏は男で、それだけじゃ足りないからって、私が女の子としてもいいの?」
「やだ……けど、」
「じゃあ分かるでしょ! 深夏はただ欲張ってるだけじゃん。男も女も欲しいって、そんな理屈通らないよ」
「けど、僕はいつも、女の子とつきあうときは男ともつきあって、男とつきあうときは女とも──」
「ただの最低じゃないの」
 ざっくり言うと深夏の瞳が潤んで、私は息を吐いて、冷静に話せない、と身を返してドアを開けた。
「はとちゃん」
「帰る」
「僕、はとちゃんのこと大事にしたいって思ってるよ」
「………、」
「だから、拓ともつきあってバランスを取ってるんだ」
「じゃあ、その男は性欲処理で利用してるだけ? 好きじゃない?」
「……そう、いうわけではないけど」
「ごめん、私、深夏が分かんない。ちょっと頭冷やす」
「ま、また会ってくれるよね?」
 このまま引き下がれるものか。だから会うけれど。意地悪で何も言わずに私は廊下に出て、玄関で靴を履くと部屋をあとにした。
 やっぱり静かな廊下を抜けて階段を降り、駅までの暗い道を歩きながら、ようやく視界が滲んできて手の甲でこすった。
 裏切られた。そう、要するに裏切られたのだ。深夏を信じていたのに。私だけと思っていたのに。意味不明な理由をつけて、男ともつきあっていた。私以外の人間とセックスしていた。
 ひと思いに、深夏に幻滅できたらいいのに。してもおかしくない。
 しかし、やっぱり、深夏をそう簡単に軽蔑できない。理解はできないけど、嫌いにはなれない。たくさん優しくされたのがちらついて、まだその深夏を信じていたくて。深夏をあきらめられない。ましてや、あんな男に譲るなんて嫌だ。できることなら、深夏を取り戻したい。
 駅前に出ると、私はやや思案してから、鵺にメッセを飛ばした。『ヤケ酒つきあえ』──時刻は二十時前だ。夜番で出ていたとしても、ショップは二十一時閉店だから、そのあとでもいい。誰かに客観的に話を聞いてほしい。
 すぐに既読がついて、『何かあったのか?』と返事も返ってきた。『今から飲める?』と訊くと、『夕飯は食ったから、飲むだけなら。』と来た。『じゃあ相手しろ』と飛ばした私は、いつもの居酒屋で鵺と会う約束を取りつけた。
 帰宅ラッシュが過ぎてきた頃の電車に乗って、先に騒がしい居酒屋に到着した。カウンターでごくごくお酒をあおっていると、「はと」と呼ばれて私は振り返った。
 いつもよりラフな服装の鵺がいて、「休みだったの?」と訊くと「いや、朝番だったから夕方に上がってた」と鵺は隣の席に腰を下ろす。そしてウェイターにウーロンハイを注文すると、「どうしたんだよ」と改めて私を見た。
 鵺の瞳を見ていて、私はまた急激に泣けてきて、うめいてカウンターに伏せる。
「はと」
「……深夏が」
「みなちゃん?」
「深夏が、浮気してた」
「はっ?」
「男とやってた」
「男……え、男?」
「男」
「その場を見たのか?」
「そうだよ。見たよ。何だよ深夏、あの顔。いきまくってんじゃん」
 私がどんどんとカウンターを殴るので、鵺はそれをなだめてから、「とりあえず、順を追って話せ」と話の整理を求めてくる。
「私、深夏の部屋の合鍵もらってるんだけど」
「クリスマスな」
「今日、別に約束はしてなかったけど、深夏はオフだって聞いてたから。部屋に行ったの。すぐ合鍵使ってチャイム鳴らさなかった私も悪いけど、まさかそんなことしてるなんて思わないじゃん。深夏のこと、完全に信じてたし」
「まあ、そうだな」
「そしたら、真っ最中だよ。男に抱かれて、女みたいになって。私が出てきて焦ることもなく、頭完全にいっちゃってる感じで、男に続きをせがむ始末だよ」
「……はあ」
「男も男で、私のこと追いはらったら事を続けるし。何だよ、あの野郎ども。しかもね!?」
 どんっ、とカウンターにこぶしに下ろすと、「落ち着け」と鵺は私の肩に手を置く。
「事が終わったら、話し合いしなきゃって、ぶん殴りたいのをこらえて話したの。そしたら、男は自分はストレートだとか言うし、深夏がわけ分かんないの。女とつきあうときは、男ともつきあってるとかさあ……どっちも浮気じゃないんだって。何なの。意味不明なんだけど。話し合いになんないよ」
「じゃあ、別れてきたのか?」
「それができたら楽だよ! 何で私、どうしても深夏が好きかなあ!?」
「みなちゃんは、はとのこと、遊びだったのか?」
「大事にしたいって言われたけどさ。大事にしてないじゃん、ぜんぜん。大事にするということを分かってんのかあいつ」
「世の中にはポリアモリーというのもあるからなあ」
 私はお酒をあおってグラスを空にする。追加しようとすると、「そのへんにしとけ」と鵺に止められた。私は鵺を見て、「うー」と瞳を潤ませる。
「ポリアモリーはポリアモリーであっていいよ」
「そうだな」
「ただ、最初に断ってほしいんだけど」
「……そうだな」
「こんなの最悪じゃん。ただの浮気発覚じゃん。てか、あっていいけど、私はポリアモリーじゃないし。はっきり言って、そういうつきあいかた嫌だし」
「じゃあ、別れる?」
「いや、あの男が深夏と別れろよ。何で私があきらめるの」
「その男とは別れても、みなちゃんがそういう人間なら、別の男とつきあいはじめるだけなんじゃね」
「……その考えはなかったわ」
「性の不一致は別れたほうがいいぞ」
 鵺はやってきたウーロンハイに口をつける。
 性の不一致。一種のそれなのだろうか。セックスは確かにいいけれど。私はやっぱり、一対一でつきあいたいモノアモリーだ。
「……けど」
「ん」
「けど、やっぱり、深夏のこと好きだもん……」
「普通、現場見たら冷めそうだけど」
「怒りはあるけどさ。嫌いになるかって言われたら、そんな単純じゃない。だって、深夏とつきあっててたくさん楽しかったし」
「そんなもんか」
「別れるなんて、考えられない……ずっと一緒だとさえ思ってた人なんだよ。かなり本気だし、ぶっちゃけ結婚するのかなとか考えてたし」
「結婚なあ」
「ひと思いに終わりだって思えたら楽だけど。ほんとに、頭ではそう思うんだけど。やっぱり、好きだもん。いっぱい優しかったもん。大事にしたいって言われて、確かに、大事にされてた。さっきの見るまでは、それ以外は、深夏は私を大切にしてたよ」
「じゃあ、もう一回話し合ってみれば」
「………、話し合って何とかなるのかな」
「話し合いしかないだろ。その男を黙認しないなら」
「うん……」
「スマホ、何にも来てない? みなちゃんから」
「見てない」
「何か来てたら、返事はしとけよ」
 私はバッグからスマホを取り出し、画面を起こした。深夏からメッセージが来ている。タップで開いてみる。
『はとちゃん、さっきはごめんね。
 拓のこと、何にも話してなくてごめん。
 話したらはとちゃんに嫌われるかもって、分かってて黙ってた僕がずるかった。
 はとちゃんに嫌われたくなかったんだ。
 拓がいても、僕がはとちゃんのこと好きなのはほんとだから。
 返事来るの待ってるよ。』
 その文面を見つめて、また視界が緩む。
 ずるい。ほんとに、ずるいよ。何でこんなに必死なメッセを送ってくるの。いっそばれたから私なんかもういいやって、放り出してくれたら、私もどんなにつらくても深夏を心から引きちぎるのに。こんな言葉をもらったら、深夏も私のことが好きなのに、離れるなんてできないって思うじゃない。
『深夏と別れたくない。
 でも、あの男のことはぜんぜん理解できない。
 だから、一度話し合いたい。』
 そんなメッセを送ると、すぐに既読がついて、返事がぽんと現れた。
『今から僕の部屋来れる?
 拓にはいったん帰ってもらうから。』
 私は息をついて、まだあいつといるのか、とも思ったが、ひとまずその画面を鵺に見せた。ウーロンハイをすすっていた鵺は画面を見て、「行ってこいよ」とグラスを置いて私の背中をたたく。私はうなずくと、伝票を手に取って席を立った。
 にぎやかな居酒屋を出ると、歩いて五分ぐらいの駅から深夏の最寄り駅まで戻った。一気に飲みすぎた。ちょっと気分が悪い。電車の揺れに吐き気をこらえ、静まり返った住宅街にふらふらと迷いこんでいった。
 酒気でほてった軆に、夜風が涼しくよぎる。ふわりとなびいた髪を抑えていると、闇に霞む視界の向こうから、ふたつの人影が近づいてくるのに気づいた。
「ねえ、拓っ──」
「何だよ。何でお前いるんだよ」
「そんなの、拓が心配だからだろ。そんなのやめとけって、」
「……あ、」
 聞き憶えのある低い声に、私は眉を寄せて足を止め、目をこすった。
 そこには、さっきあの拓寿という男──と、もうひとり、すらりとした長身で明るい茶髪も嫌味のない、アーモンドのような瞳をした綺麗な男の子がいた。
 何。もう、何なの。こいつはこいつで、別に男がいるの? いや、ストレートって言ってなかった? わけが分からない。
「今夜は、本当は俺が泊まる予定だったんだからな」
 拓寿はそう言って私を睨み、すたすたとすれ違っていった。男の子のほうは私を一瞥したものの、こちらには何も言わずに、「拓っ」と拓寿を追いかけていく。
 泊まる予定。知ったことか、と舌打ちすると、私は深夏のアパートに向かった。
「はとちゃん。よかった、来てくれて」
 今度こそ合鍵を使っていいのだろうが、私はチャイムを押した。すると深夏が顔を出して、私はその大きな瞳や長い髪、華奢な肩を見つめた。まあ、女と思って思って抱くのも、なくはないのかもしれないけれど。
「はとちゃん?」
 私は黙って玄関に踏みこみ、でもドアにもたれて靴を脱がずに深夏を見た。
「上がらないの?」
「上がりたいと思う?」
「……そ、っか」
「あいつは知ってたの?」
「え」
「深夏には私がいるって」
「女の子とつきあってることは、言ってたけど」
「……ふうん」
「拓は、『あ、そう』って感じだった……かな」
「ごめんね、私はじたばたうるさくて」
「あ、ううんっ。そういう意味じゃなくて」
「これって、要するに二股でしょ? 恋愛のおつきあいがいろいろあるのは知ってるけど、普通もうひとり恋人がいるとは思わないでしょ」
「……ん」
「深夏がそんなことするとか、ほんと……信じられないし。わけ分かんないばっかなんだけど。何なの、深夏って結局ゲイなの?」
「ち、違うよ。はとちゃんのこと好きだもん」
「じゃあ、バイ?」
「バイ……だ、とは思うけど」
「バイの人って、男と女、同時に釣り合わせるみたいにつきあうの? 聞いたことないけど」
「どうなの、かな。僕はそうだよ。それはバイじゃないって言われたら、そしたら僕はバイではない」
「じゃあ何? 深夏って──」
「分かんないよ。きっと、ゲイとかバイとかに区別されるものじゃないんだ。昔から僕はそうだったって話したでしょ。これが僕なんだよ」
「そんなのっ、」
「人を好きになるとき、女の子も男の子も、どっちも求めるのが僕なんだ」
「じゃあ、せめて性別Xの人とつきあえばいいじゃないっ」
「そうじゃない。パンセクじゃないもん。好きなのは、男か女だから」
 私は深夏を見つめて、深夏も涙を浮かべながら私を見つめた。脳内がこんがらかる。深夏の理屈がどうしてもしっくり来ない。
 分からないのだ。私には、深夏が分からない。
「……ごめん」
「はとちゃん──」
「私、……分からないや。だから、」
 言い終わる前に深夏が私を抱きしめてきた。もがいて離れようとしたけど、深夏は私を離さない。「やだ」と深夏はわがままな子供のような声で言った。
「はとちゃんとは別れない」
「だけどっ、」
「はとちゃんのこと好きなんだもん。嫌だよ。ずっと一緒にいるんだもん」
「深夏──」
「はとちゃんのこと、大好きなんだよ」
「……でも、そのためにあいつとは別れられないんでしょ?」
「はとちゃんと長くつきあいたいから、男が必要なんだよ」
「何よ、それっ。わけ分かんない! 離して、私は──」
 深夏は私の背中をドアを抑えつけると、瞳を覗きこんできて怖いくらいの真剣な目で言った。
「絶対、……絶っ対、はとちゃんとは別れないから」
 私は視線をうつむけた。深夏は息をついて、私を抑える手を緩める。
 私は唇を噛むと、これ以上何を言えばいいのか分からず、「また連絡する」とだけ言ってドアを素早く開けると廊下に出た。深夏は追いかけてはこない。閉まったドアを力なく見て、首を垂らすと私はアパートを出た。
 どうしたらいいの。深夏は私が好きで、別れたくなくて、そのために男も愛するのが必要で、だからあいつとは別れなくて、あいつに抱かれて──あの男と、深夏を共有すればいいってこと? そんなの、私には恋愛じゃない。
 アパートの入口で、くらくらする頭に壁にもたれた。春の夜空はふんわりと月と星が輝いていた。静かで、あんまりここでぼんやりしてても痴漢とか危ないな、と思う。そんな冷静なことを考えながらも、頬に涙が伝っていく。
 私と深夏、うまくいってるはずだったのに。うまくいっていたのが、あんな男がいたおかげだったなんて。大好きだよって言われても、私、何だか深夏が信じられなくなっている。
 鼻をすすって、塩味の水分をぬぐった。終電前に帰らないと、と歩き出したとき、「あの」と声がしてびくっと顔を上げる。まばたきで涙をはらって、そこにいた人にぽかんとした。
「よかったら、俺と少し話しませんか」
 さっきの、拓寿といた綺麗な男の子だった。何でこの子、とたたずんでいると、彼はにっこりとした。にっこりとしたが、かなり怒りがこもっているのが分かって後退りそうになった。
「俺ね」と彼は羽織っている赤のタータンチェックのロングシャツのポケットに、乱暴に手を突っ込んだ。
「深夏とかいう野郎が、ムカついてしょうがないんです」

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