僕の中では-5

恋敵の親友は同志

 深夏のことが、ムカついてしょうがない。って、どういうことだ。
 私がまじろいで動けずにいると、男の子は歩み寄ってきて私を覗きこんできた。街燈が射して、彼がかなり美しい顔立ちをしていることに気づく。
 彼は首をかたむけると、「あいつの“もうひとり”ですよね?」と問うてきた。もうひとり。私は息をついて、「あなたが何者か分からないんだけど」と訊く。彼は背筋を伸ばすと、「俺は」と腰に手を当てた。
「拓の親友です」
「親友……」
「今のとこね」
「今のとこ」
「俺は拓が好き」
「ゲイ?」
「そう。告白はしてないですけど」
 私は夜空を仰いで少し考え、この男の子の状況を飲みこんだ。拓寿が、好きで。拓寿は、深夏とつきあってて。深夏は、私と拓寿を両天秤で。自分も、拓寿が好きなのに、そんなつきあい──私は彼を見直して、うん、と思った。
「君の気持ちは察した」
「ありがと」
「私と深夏に別れてほしいというより──」
「あなたは、あいつとよろしくやればいいですよ。拓を巻きこむのやめて」
「私に言われてもなあ」
「今から奴の部屋に行こうとしてたんですけど」
「拓寿って奴は? さっき一緒だったよね」
「帰っちゃいました」
「っそ。深夏と話すの? きっとあの子の言ってること、わけ分かんないよ?」
「でしょうね。だから、とりあえずあなたと話す」
「別にいいけど、何話すの?」
「あなたは、奴に腹立ってないんですか?」
「腹が立つというより、………、いや、腹立ってるかもしれない」
「聞きます」
「よし。名前は?」
里珠りずです」
「私は葉鳥。どっか店入る?」
「開いてますかね」
「居酒屋とかならやってるでしょ。お酒大丈夫?」
「あんまり好んで飲まないけど、飲めます」
「それなら烏龍茶とかあるしね。駅前出よう」
「はい」
「敬語やめていいよ」
「おっけ」
 私は里珠と並んで歩き出し、一度深夏のアパートを見上げた。深夏がこちらを窺っているとか、ちょっとホラーなことはなかった。
 ひとりで泣いてるのかなあ、と思うと、胸がちくりとした。そんなときこそ、そばにいれば、深夏の心をかたむけられるかもしれないのに。それでもやっぱり、今は深夏の顔を見ると責めずにはいられそうにない。
「葉鳥さんは」
「ん」
「あいつとつきあってどのぐらい?」
「八ヵ月くらい」
「じゃあ、拓があとなんだ」
「忘年会とか言ってたし」
 ひっそりした夜道を歩きながら、里珠は顔を両手でおおう。
「拓が男もいけるとか、ほんと知らなかった……」
「深夏、完全に女子に見えるけど」
「でも、手術はしてないわけだよね」
「うん」
「まるっとちんこあるわけだよね」
「まあ、そうだね……」
「じゃあ俺でもいいじゃん!」
「告白しないの?」
「ずっと、拓はストレートだからって我慢してて。拓、俺の気持ちには鈍感だし」
「興味あるものしか、視界に入れそうにはないね」
「何で男とつきあう!? じゃあ俺、告ってれば脈あったの? せめて女子とつきあってくれよ……そしたらあきらめもつくよ」
「そういうの、拓寿にぶつけないの?」
「拓はもう深夏にめろめろで、俺の話など聞かない」
「告白はした?」
「結局できてない。何もかも深夏って奴に先越された」
 がっくりと里珠は首を垂らして、何だか不憫だったので、その肩をぽんぽんとしてやった。
 やがて景色は住宅街を抜けて駅前にさしかかり、ちらほらと赤提燈の下がった店が現れてきた。その中で深夏と行ったことのある焼き鳥屋に入り、私はファジーネーブル、里珠は烏龍茶を注文した。それから適当につくねやら軟骨も頼み、「それで」と話を戻す。
「深夏に腹が立ってる、と」
「拓に多少話は聞いてる。何で拓がそこにドライなのか分かんないけど、男と女、同時につきあうって何?」
「私もそこ分かんないし、マジで切れた」
「葉鳥さんじゃ足りないの?」
「確かに、男として抱くことはできないけどね? でも、それでいいって深夏は言ってたんだよ」
「拓はどっちなんだろ」
「どっち」
「タチかネコか」
「ああ、タチだったよ」
「訊いたの?」
「見ましたよね」
「うわ、修羅場」
「ほんとだよ。深夏が男もいけるとは知ってたけど、今は私とつきあっててそれで満足してると思うじゃん。してなかったのかよ」
「ビッチなのか?」
「男ともやりたかったのかなあ」
「ネコだったわけだよね。まあ、女は挿れるものないか」
「それは、私も正直気にしたことがある……。だって深夏って、ほんと女の子みたいなんだよ? 何なら私より美少女だよ?」
「なのに、女とつきあうんだ」
「女の服は好きだけど、性別は男って言ってたからね」
「男なら、男とつきあうなよお」
「里珠くんはゲイじゃん」
「……そおだけど。あーっ、分からん! 深夏が分からん!」
 里珠が頭をかきむしったところで、注文した飲み物と焼き鳥が来る。里珠は烏龍茶をごくごくと飲んで、つくねを頬張る。私もファジーネーブルの甘味を飲みこみ、ため息をつく。
「里珠くんは、深夏と拓寿のこと、いつ知ったの?」
「正月よりちょっとあとかな。拓ってそれまで彼女できてもさらっとしてたけど、深夏のときは、まあそわそわと嬉しそうに。いらつくったらありゃしない。しかも、そいつ男なんだとか言われて、俺のこらえてきた片想いを何だと」
「里珠くんと拓寿は、つきあい古いの?」
「中学のときから。先輩と後輩で」
「古いな。歳違うんだ」
「俺は今二十六で、拓は二十七」
「何だ、里珠くん私とタメじゃん。呼び捨てでいいよ」
「そう? じゃあ俺も里珠で。拓の仕事知ってる?」
「私、同じメーカーの通販部だから」
「マジか。俺、仕事はモデルやってるんだけど、そこのメンズの専属なんだよね」
「モデル」
「モデルです」
「どうりでイケメン過ぎると」
「はは、女にイケメンって言われても嬉しくない」
「悪かったな。拓寿に今から告ってみようとは思わないの?」
「あの状態のあいつに」
「里珠のほうに拓寿が振り向いたら、私としても助かるんだけど。永年の絆はあるんでしょ、頑張ってくれよ」
「拓には、俺は完全に友達なんだよ。脈を感じたらすでにすかさず告ってるよ」
「深夏のことを話されたとき、『俺だってお前が好きなのに』とか言うチャンスだったんじゃないの」
「もうね、頭が放心していた」
「……分からんでもない」
 私は軟骨の串を手に取ると、塩だれのそれをぽりぽりと噛む。つくねを食べ終わった里珠は、肝と皮を追加注文する。
「葉鳥ってさ」
「んー?」
「今しゃべってる感じ、けっこう楽しいし」
「そう?」
「何で奴は葉鳥で満足しないんだろ」
「私が訊きたい」
「その指輪って、アクセ?」
 私は左薬指の指を見て、「アクセはこんな意味深なとこにつけないよ」と言った。
「あいつから?」
「そう。去年のクリスマスに」
「その頃、拓とあいつは出逢ってたわけで」
「やめて聞きたくない」
「深夏の本命がどっちなのかもよく分かんないよね」
「どっちも浮気ではないとか言ってたけど、ふたり同時に本命ってありなの?」
「俺は十年以上、拓ひと筋だから分からない」
「私も分かんないわ」
「深夏が変なんだよ」
「いい子なんだけどなあ……」
「とにかく、葉鳥はあいつと別れないでよね。そしたら、完全にあいつの天下になるの。拓が飛んでくの」
「別れたくない、と思うから大丈夫だよ。深夏も『絶対別れない』とは言ってたし」
「………、それはそれでタチ悪いよなあ」
「まあね……」
 しみじみと一緒に飲み物をすすっていると、皮と肝がやってくる。私は肝が苦手なので皮をもらうと、「肝うまいのに」と言いながら里珠は肝の串に咬みつく。私はたれのかかった香ばしい皮をもぐもぐとして、「今日は深夏と冷静に話せなかったけど」と食べたものを飲みこむ。
「とりあえず、あの子と落ち着いて話さなきゃ」
「落ち着いて話しても、奴が言うことは同じだと思うけど」
「そうだけど。深夏が私に落ち着くのが、里珠にとってもいいわけでしょ」
「まあね」
「私もそうだし。拓寿とか消えてほしいし」
「そして、あわよくば俺のとこに来てほしい。くっそ、俺ね、拓が深夏に失恋したら告るし。絶対告る」
「頑張れ。私はそれを応援する」
「ありがと。俺も葉鳥と深夏を応援する」
 私と里珠は向かい合って、なぜかハイタッチした。「頑張る」とか「頑張ろう」とか言いながら焼き鳥を食べて、お腹がいっぱいになると、会計の前に連絡先を交換した。
「深夏の彼女も嫌な奴かなあと思ってたけど」と店を出て里珠はタクシー乗り場に歩いていく。私はぎりぎりの終電で帰る。
「葉鳥、いい奴でよかった。また状況報告しあおう」
「了解。私も里珠と話できてきてよかった」
 駅前にはタクシーが並んでいて、「じゃあまたね」と里珠はそちらに走っていた。
 後ろすがたも綺麗で、モデルかあ、と改めて思った。あんな美形がそばにくっついてるならあっち行けよな、と拓寿に対して思う。中学時代からのつきあいなら、気心だって知れているだろう。里珠のほうがお似合いではないか。
 なのに何で私の深夏に、と歯軋りしそうになりつつ、終電、と気づいて私は改札へと歩き出した。
 それからすぐに桜が咲いて、深夏と出逢ってちょうど一年になった。一年間で、ゆっくり幸せを積み重ねてきたのに。いきなりぶち壊されたな、と思っても、やっぱり指輪は外せない。出勤中の道端で、のぼっていく太陽を見やるふりで手をかざして、そのきらめきを見つめた。
 深夏からメッセは毎晩届いているけれど、既読スルーをしている。拓寿とは別れるって、そのひと言さえくれたら、すぐに返事するのに。深夏が私のことを好きなのは知っている。大好きなのは知っている。だから、欲しい言葉は『はとちゃんが好きだよ』ではないのだ。あの男を捨てて、私を選んでほしい。
 手をおろして、かつかつとヒールを響かせて駅まで歩く。それでも、もうじき一週間、あんまりスルーを続けているのも不利になりかねないのは分かっている。
 息苦しい電車に乗って市内に出ると、オフィス街のざわめきの中を通勤していく。そろそろ新人入ってくるな、とか、異動なくてよかったな、とか思いつつ更衣室で制服に着替えると、眼鏡ケースを持っていつもの職場に出る。
 朝礼のあと、眼鏡をかけてPCに向かい、夜中に受けつけた注文をさっそくさばきはじめる。お昼までその作業をして、在庫確認の子にデータを送る。昼食をとって昼休みのあとは、今度は午前中の注文を十五時くらいまでに片づける。午後注文の商品は早い発送で明日なので、あとは今日在庫確認のついた商品の発送通知を無心に処理していく。
 気づくとあっという間に終業の十七時で、あちこちからあくびやため息がもれる。私も肩を揉んで、深夏にマッサージしてもらってないや、と気づいた。
 引き出しに入れていたスマホを取り出すと、深夏のメッセージがポップアップで出ている。
『今日は僕は休みだよ。
 はとちゃんは仕事だよね。
 お疲れ様。』
 私は眉を寄せて、これだけか、と思った。いや、既読スルーを続けていた私が言えた義理ではないけれど。いつもはもっと、『返事待ってる』とか『何か答えてよ』とか、『それでも僕ははとちゃんが好きだから』って──何か、あるのに。
 深夏は仕事休みなのか、と思ってからはっとした。いや、気づけよ、私。あの日だってそうだった。私が仕事、深夏は休みで、拓寿を連れこんで。
 この質素なメッセも、明らかに今は拓寿でいそがしいということではないか。それに気づくと無性にいらいらしてきて、私はすくっと席を立つと、深夏の部屋行こう、と更衣室に向かった。
 黒のニットと淡いピンクのタイトスカートすがたになると、電車に乗って深夏の最寄りに向かった。また最中だったら私は息できるかな、と思うけれど、拓寿が「既読スルーする奴なんか忘れろよ」とか言ったりして、「そうだね」って深夏が言っていたりしたら、何で私は既読スルーしていたのかよく分からなくなってくる。
 絶対嫌だ。深夏を取られたくない。あんな男と過ごさせてたまるものか。深夏は私の恋人なんだ。私、だけの──私が、先に見つけた、かわいい男の子。
 何だか急に深夏が愛おしくてなって、息が苦しくなった。でも、そんな深夏は今、拓寿に抱かれているかもしれない。私の恋人なのに、深夏が私じゃない人間と寝ている。
 脳みそをかきむしりたいほどいらついて、心臓がちぎれたように不安で、足元が溶けてしまったみたいに恐ろしかった。もう、泣くしかないじゃない。醜く玄関先で泣きわめくしかない。
 私は深夏を愛してるのに。
 深夏は部屋の中で男に抱かれて。
 ねえ深夏、私はあなたの何なの──

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