揺るがせる作戦として
定時が来てチャイムが鳴る。周りと同じく大きく息をつくと、私は眼鏡をはずした。疲れた目をこすり、今日も働いた、と引き出しを開け、そこにあるスマホを無造作に取り出す。
画面を起こすとポップアップがあって、深夏かと思ったら、里珠だった。タップでメッセを開いてみる。
『昨日の夜、拓に呼び出されて、何かと思ったらみなつを紹介された。
何あれ……ほんとに男かよ。』
私は眉を寄せる。
紹介。親友である里珠に紹介。
私は拓寿の横顔を思い返し、外堀から埋めてきやがったな、と舌打ちして背凭れにもたれる。よく見ると深夏からもメッセが来ていたので、そちらも指をすべらせて開いてみる。
『はとちゃん、お仕事お疲れ様。
僕は今日夜番だよー。
昨日、拓の親友の人に会ったんだけど、男だったんだね。
拓が好きって言ってたから女かと思ってた。
すごく綺麗な人でびっくりしちゃった。
拓はあの人のこと、いいのかなー……。』
私はデスクに頬杖をつき、やばい、と思った。アウティングになってしまった。そういうつもりはなかったけど、結果的に里珠がゲイだと深夏にばらしてしまった。謝らないとまずいな、と里珠のトークルームに戻り、返信を打つ。
『ただいましごおわ。
深夏も里珠のこと話してたよ。
今日、よかったら夕ごはん一緒しない?』
すぐに返信があるとは思わなかったので、送信したまま見守らずに、更衣室で制服を私服に着替えたり化粧を直したりと帰り支度を整えた。帰るだけになって、バッグにしまう前にスマホを見る。思いのほかすでに里珠の返信がついていた。
『いいよー。
葉鳥って拓と同じ会社だよね。
俺がそっち行くから、駅で待ってて。』
私はそれに了解のスタンプを送っておくと、「お疲れ様ー」と同僚に声をかけて更衣室をあとにした。帰宅する社員で混むエレベーターで一階に降りると、早足で会社も出る。
空は青く、夕暮れのかたむきはまだなかった。すっかり季節は初夏だ。日中の日射しには、「熱中症にご注意ください」と警報が出る。実際、アスファルトの照り返しで十七時半をまわっても空気は蒸している。
オフィス街は仕事を解放された人たちでざわめいていて、駅に流れたり歓楽街に流れたり、さまざまな方向に向かっている。私もあとで里珠と歓楽街の中のどこかの店で夕食なのだろうけど、ひとまず駅と言われているので逆方向の駅前に向かう。
かつかつ、という自分の足音を無意識に聞き分けながら、深夏のメッセを思い返した。
里珠のこと拓寿はいいのかどうか、か。里珠は告っていないし、何とも言えない。でも、確かに拓寿はどうなのだろう。もし、あいつが里珠の気持ちを知ったら──私の中で拓寿は不愛想な野郎だけど、さすがに動じたりするのだろうか。
里珠のほうがお似合いなのにな、とか思っていると、駅に着いていた。どこの改札か分からなくて、一応会社側の南口で里珠を待ちながら、深夏に返信を送っておく。
『深夏は仕事中かな?
お疲れ様。
里珠に会ったんだね。
モデルで食えるんだからそりゃ美形だよ。
里珠はあいつに告白してないから、気持ちのことは内緒ね。』
もちろん、いまさらながらさりげなくそこの釘は刺しておく。今から里珠と夕ごはん、というのも入れそうになったけれど、たぶんそれは妬いてほしいだけで、無駄なマイナス因子になるのでこらえておいた。
「あ、葉鳥っ」
SNSを眺めて時間をつぶしていると、不意にそんな声がして顔を上げた。
背の高い男の子が人混みの中から駆け寄ってくる。私はスマホの画面を落としてバッグにしまい、里珠に向かって手を振った。
私の正面にたどりついた里珠は、にこっとさすがモデル様の麗しい笑顔を作る。
「会えるの初対面以来だよな」
「わりとそうだよね」
「よくメッセしてるからそんな気しないや」
「おかげさまで愚痴を聞いてもらってます」
「いえいえこちらこそ──ていうかっ!」
里珠は私の肩をつかんで、「何あれっ」とがくがくと揺すぶってくる。
「何、深夏って奴。あれ、マジで男なの?」
「男だよ」
「ついてんの?」
「ついてるよ」
「うわー……」と里珠は天を仰ぐ。
「あれなら男でもいいやってなるかもしれない。とか、ちょっと納得した自分が嫌だ」
「でもさ、ついてるんだよ」
「ついててもあれはなあ……」
「うーん、ストレートって下半身が同じだときついと思うんだけどなあ」
「………、そう、だよね。あー、ほんと分かんねえな。いったいどうしたんだよ拓」
「拓寿って、これまでほんとに男っ気なかったの?」
「ないよっ。あったら、さっさと期待して告ってるし」
「そこなんだけど」
「ん?」
「里珠ってさ、あいつに告ってみようとは思わない?」
里珠はきょとんとまばたきをしてから、首をかしげ、「その意見、飯食いながら聞こうか」と言った。私はこくんとして、「どこ行く?」と言いつつもとりあえず歓楽街のほうに歩き出す。
「向こうにお店はたくさんあるけど。ホステスが同伴に使うような店も多いしなー」
「俺、リーズナブルなとこ知ってるよ。てか、無性にたらこパスタ食いたい」
「あ、パスタいいね」
「よしっ、サラダとドリンク付きで千円のとこ知ってる」
そう言った里珠と並んで雑踏を縫っていく。オフィス街を抜けるとちょっとした歓楽街で、夜遊びのおじさんたちが行きつけのキャバクラに行ったり、客引きの男の子が声をかけてきたりする。深夏とは来ない場所だけど、同僚の子と飲むときはこのあたりに混ざっている安い焼鳥屋に入ったりする。
その中で里珠が連れて行ってくれたパスタのお店は、思ったよりしっかりした高そうなお店でほんとに千円かとビビったけれど、高い料理もあるというだけでちゃんとサラダ・ドリンク付き千円のコースがあった。里珠がすぐたらこクリームのパスタに決めてしまったので、私も手早くお勧めのトマトスープのボンゴレにしておいた。サラダはサウザンドドレッシング、ドリンクはアイスティーにしておく。
注文をウェイターに伝え終わると、「そういえば」と私は忘れないうちに言っておく。
「私、里珠に謝らなきゃいけなくて」
「ん、何?」
「実は私、深夏に拓寿の親友はあいつのこと好きなんだよって話をしちゃってたんだ」
「そうなんだ。別にいいけど」
「紹介とかで深夏と里珠が接点持つとは思ってなくてさ。マジでごめん。勝手にばらすことじゃなかったよね」
「平気。ゲイに偏見ある奴に陰口たたいたわけじゃないでしょ。つか、深夏ってそれに何か反応してた?」
「昨日里珠に会って、拓寿は里珠のこといいのかなって気にはなったみたい」
「いいのかな、とは」
「深夏なりの遠慮だと思う」
「しれっとしてたけどなー。葉鳥の話も出なかったし」
「そうなの?」
「葉鳥いるだろお前は、と何度胸倉をつかみたくなったか」
里珠はお冷やを飲み、「そういうあざとさは女っぽいのかな」とつぶやく。「深夏に里珠の気持ちを話しちゃったのは」と私は正直に理由を述べる。
「拓寿のこと好きって人がほかにもいるって知ったら、深夏が考え直すかもってあったのかも」
「そっか。効果はなし?」
「拓寿と別れてほしいんだよね、っていうのは察してたけど、別れる気はなさそうだったよ」
里珠は舌打ちし、「余裕かよ」と頬杖をつく。
「里珠には負けるかもって思ったから、いいのかなとか考えたんだとは思うけど」
「どうだかな。目障りだから邪魔されないように振られておいてほしいのかも」
否定したくても、実際のところは分からないのでそこは強く言ってあげられないのがもどかしい。
「じゃあ、里珠はずっと拓寿に告白しないの?」
「しても無駄じゃないかなあ。べた惚れだぞ」
「……私は、里珠に拓寿のこと連れて行ってほしいし。告白ってありかなって考えた」
里珠は私を見て、「さっき言ってた奴?」と問うてきて、私はうなずく。
「とりあえず、拓寿に揺さぶりはかけられると思うの」
「揺さぶり」
「だって、ずっと好きだったんでしょ」
「んー、うん」
「拓寿だって、里珠がどうでもよければ親友やってないし、逆に考えたら同性とのつきあいを紹介したりしないと思うんだよね」
「あー……、まあ、そうかな」
「里珠、拓寿が失恋したら告るって言ってたけど。別に失恋待たなくていいと思う。てか、あいつらは失恋をするのかって私も怖いし」
「……そうだね」
「私、ほんとはすごく不安なの。このまま深夏があいつとつきあってたら、絶対深夏のこと嫌になる。その日が来るのがめちゃくちゃ怖い。深夏を嫌いになりたくない」
里珠は私を一瞥してから、「葉鳥はバイだっけ」と頬杖をおろす。
「パンです」
「違いどうだっけ……まあいいや、葉鳥はほかにもっといるとも思うけどね。でも、俺としては葉鳥に身を引かれたら、ほんともう……深夏を殺すしか」
「やめとこう」
「うん。てか、マジな話、何であいつ刺されないのかな? わりと背後から襲われるフラグ立ててるんだよね?」
「彼女作ったら彼氏、彼氏作ったら彼女だそうで」
「最低だな」
「男の顔ばっかりになるのも、女の顔ばっかりになるのも嫌って感じかな。両性なんだよね」
「知らねえよ。恋人にはけじめつけろよ」
「私もそれは思う」
「それか、誰ともつきあうなよな。遊んでればいいじゃん。何でパートナーをふたりって欲張るの? その発想って何なの?」
「ポリアモリーもある、とは私は人に言われた」
「じゃあせめて、同じポリアモリーと恋愛やっとけよ。葉鳥も拓も、そこは違うでしょ?」
里珠はじたばたしてテーブルに伏せり、私はひと口お冷やで口を潤す。
「それでも、深夏があきらめる、ということはないと思うの」
私が静かに告げると、里珠は顔を上げて、「だな」とため息をつく。「だから」と私は話を継ぐ。
「拓寿を動かすしかないと思うんだ。私の深夏への気持ちがダメになる前に、拓寿に深夏を離れてもらうの」
「離れるかな」
「そこに有効なのが里珠の告白じゃん」
「ええー……」
「里珠に告られたら、動揺はするでしょ。すぐ里珠に寝返るかは分かんないけど、告ったら口説けるんだよ」
「俺、拓しか好きになったことなくて、口説くとか分かんないんだけど。やったことないよ」
「そんなもんしょっちゅうされてるんじゃないの」
「あ、そうか。やったことはないけど、されてるわ」
「今までのその経験を参考に、里珠から拓寿にいってもらうしか、今んとこ打開策はないと私は思う」
私がそう言ったとき、「お待たせ致しました」と料理がやってきた。お皿がテーブルに並べられて、ウェイターが伝票を置いていくと、「んー」と唸りながら里珠はたらこパスタにさっそくフォークをさしこむ。私はサラダから食べることにする。
「俺に好かれてて、拓は動くかな」
「少なくとも、嫌悪される謂れはなくなったんだよ」
「そうだなー。男だろって言われても、あいつ今、男とつきあってんだもんな」
「うん」
「深夏って、ぜんぜん男らしくないけど……。筋肉ついてたら無理とか言われないかな」
「確かに深夏は筋肉ないけど、股間にあれはついてるんだよ。問題そこでしょ」
「そうだな。ちんこOK、筋肉NGってよく分からんな」
「私は里珠を応援してるから。告白、頑張ってみない?」
里珠はパスタをもぐもぐとしてから、「うん」とつぶやき、飲みこんでから私を見た。
「分かった。近いうちに拓に呼び出しかけて、勇気出すわ」
「よしっ。男らしい男って嫌いだけど、友達だと気分いいな」
「あー、つっても緊張するな。ずっと隠してきたし、気取らせなかったし、そういう目で見てたのかとか言われたらすっげえへこむし、うわああああ」
「里珠はイケメンだから、そのへんのに告られるよりは何か嬉しいと思う」
「そうかなあ。でも、これで万一拓とつきあえたらどうしよう。嬉しくて死ぬ」
「お似合いだ、安心しろ」
「よっしゃ、告る! それで何かもう全部言ってくる!」
「頑張れ。何かあればメッセ飛ばして。ちゃんと聞くから」
「ありがと。わあ、そわそわしてきた。とりあえず食っていい?」
「ん。食べよう」
里珠はフォークにパスタを巻きつけ、サラダを食べ終えた私も、オリーブオイルとトマトスープがたっぷり香ばしいボンゴレに手をつける。
何か私までどきどきするな、と思ってしまう。別に里珠を利用しようと思っているわけではないし、里珠の気持ちだけ押し殺されているのは理不尽だと本当に感じたのだけど、結果的に里珠に動きを委ねてしまった。里珠の告白にひとまず賭けるしかない。拓寿の野郎、頼むから動揺くらいしろ。
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