Melt Eyes-2

あふれるように

「やったじゃん」
「きよちゃんに春きたー」
 翌日の午前中、幼なじみでお隣に住むふたご、なずなとすずなが私の部屋を訪ねてきた。
 鈴城さんから本当にメールが来て、昨夜の私は頭が故障しそうに幸せで、ベッドで三日月の抱きまくらとごろんごろんしていた。来たメールを読み返すのが、恥ずかしいくらいに嬉しい。
 そして、寝る前にふたりには『ついにOKキタ──!!』と一行だけメールしておいた。
「例のバンド、一応聖乃を良く伝えたみたいね」
 鎖骨が覗く首まわりが緩い白のセーターに、茶色のベロアのミニスカートのなずなはそう言って、ベッドサイドに腰かける。
「放置プレイ長かったよねー」
 裾に紫の薔薇の刺繍がある黒いミニワンピースのすずなは、床にぺたんと座りこむ。
「プレイとか言うな」
 ふたりが来るまで寝ていた私は、とりあえず眼鏡をかけて、視界は手に入れておく。
「えー、放置プレイだよねえ」
「どう返事するか考えてたんだから、放置じゃないでしょ」
 なずなはすずなをじろりとして、「そうだよ」と私もすずなの頭を抱きまくらでたたく。
「すずなは、聖良とかとプレイしとけばいいんだよ」
「とかって言わないでよー。せーくんは、」
「あんた、最後に求人誌見たのいつよ」
 なずなの言葉に、すずなの表情は一瞬にして死んだ。ダークサイドでぶつぶつ言い始めたすずなを放って、なずなは私の顔を覗きこんでくる。
「ん、何」
「あんたまさか、念願のお茶に、そのままでは行かないよね?」
「えっ」
「聖乃が化粧してるとこって見たことないんだけど。服もパーカーとかジーンズとか色気ないし」
「………、か、考えてなかった。そうだよ、服とか……服とか、どうしよう。買う……い、いくらくらいなの、女の子っぽい服って。こういうのは1980円とかなんだけど」
「コーディネートするなら、一万──せめて五千は欲しいね」
「ごせっ……」
 ない、と言えずに絶句して、がっくりシーツに手をついていると、なずなはまだ堕ちているすずなを軽く足蹴にした。
「すず、かわいい服ならあんたのほうが持ってるでしょ」
「もう見たくない……求人とか見たくない……どこも受かるわけないし……同じだし……」
「あんたは、聖良と八百屋やってればいいだろうが」
 すずなはなずなを見た。そして、次第に表情が輝いて、「えー」と床に伏せる。
「せーくん、そんな、考えてくれてるかなあ。わあ、せーくんのお嫁さんならなれるかなあ」
「……かわいい服、って」
「あたしのはお水っぽいしね」
「すずなの服を着ろと」
「あと、化粧も憶えな。あたしの貸すし。髪もきちんとセットしろ。ムカつくけど、すずもそういうのうまい」
「え、いや、何か……気合い入ってますって感じなのもどうかと」
「気合い入ってないの?」
 なずなの目に、私はちょっととまどって、視線をそらす。「結婚式はふたりきりもいいなー」とか言っているすずなが目に入って、別にあんなバカみたいになりたいわけじゃなくても、好きな人と幸せなのはやっぱりうらやましいと感じる。もし、鈴城さんの中に、私が当たり前に存在するようになったら──。
 私はなずなを見つめ返すと、「徹底的に教えて」と言った。なずなはにやりとして、すずなはきょとんと私を見た。
 そんなわけで、日曜日までの三日間、私はすずなの服をあれこれ試し、なずなに整形レベルの化粧をたたきこまれた。
 眉を整え、ビューラーで睫毛をいじる。化粧水、乳液、そしてファンデーション。チーク、アイライン、リップクリームを塗ってからルージュを乗せる。髪はほどいて、毛先をくるんと巻く。すずなの服は何とか私にも入って、「あんたは綺麗めよりかわいめかなー」となずなにピンクやイエローの服を着せ替えされる。
 そして、日曜日──「よし」と仕立てたふたりに背中を押され、私はスタンドミラーにいる見慣れない自分を見てビビった。
 もちろん、眼鏡ではなくコンタクトだ。ぱっちりした瞳、なめらかに色づく頬、瑞々しい唇。ほどいた髪がお洒落に見えるなんて、初めてだ。服は桃と紫のボーダーモヘアセーター、黒のリメイク風スカート、さすがに自腹を切ったタイツは、普通に肌色にしておいた。
「女みたいなんだけど」と私がよく分からないことを言っていると、約束の十三時が近づいてきた。
「焦らないようにね」
 なずなはそう言って肩をたたいた。
「確実に落としてこーい」
 すずなはそう言って手を振った。
 焦らないように。確実に。──きちんと、そう、言われていたのに。
 約束は十三時、駅の改札だった。商店街に住む私は、十分もかからずにたどりつけたけど、先に来ていたのは鈴城さんだった。
 白いカジュアルシャツにベージュのジャケット、黒いスラックスを合わせている。買い物に来るときのラフな私服より、引き締まってかっこよく見えて、私は心からふたごに感謝した。普段の私で来ていたら、誰よりも鈴城さんに恥をかかせていた。
 ケータイを見ている鈴城さんに近寄って、「どうも」と声をかける。鈴城さんも、いつもとまったく違う私に驚いたようだった。
「あ……、えっと、こんにちは」
「こ、こんにちは。……きょ、今日はその、ありがとう、ございます」
「いや、そんな。僕こそ、土日しか時間取れなくて」
「それは、その、いいんですっ。私ほぼニートだから。気にしないでください。時間はいつでも」
 答えが文章になっていない私に、鈴城さんは少し困ったように咲ったあと、周りを見まわす。私も初めて周囲を見渡し、行き交う人の中に知り合いがいないのを確認した。
 若干寒くても、晴れてくれてよかったな、と思う。
 私の仕草のたびに、化粧の仕上げに噴きつけられた、すずなのコレクションの中で一番自然だった柑橘系の香水が、ふわっと薫る。
「どこに、行きますか? ……すみません、こういうのは男が考えておくべきですね」
「いえっ。私は、普通にお茶ができれば」
「喫茶店とかがあるのは、萌梨くんに聞いてきたんですけど。禁煙じゃないらしくて」
「あ、煙草は、私ちょっと。鈴城さんは吸うんですか?」
「苦手です、ね。友人が吸うのは慣れてるんですけど。じゃあ、禁煙席があるところか」
「カフェとか。私行かないですけど、百貨店の中にあったような」
「え、近いのに行かないんですか?」
「……百貨店はライバルなんで、昔からあんまり」
「あ、なるほど。だったら、やめ──」
「いや、今日はいいんです。その、ほんとに、お茶できるなら」
 鈴城さんはほっとしたように咲って、「じゃあ」と百貨店の方角に足を向けた。
「商店街、抜けていきますか? そしたら近いですけど」
「……みんなにこれ見られるのは、ちょっと」
「みんな」
「いや、絶対声かけられるんで。私、商店街の人とは、組合の集まりとかで顔見知りですし」
「ああ──それは少し、照れますね。じゃあ、歩道橋から行きましょうか」
 私はこくんとして、鈴城さんの左側を歩き出す。
 こんなにきちんとした男の人と、並んで歩くのは初めてだ。私はあんまり、いい恋をしてこなかった。だから、この恋は大事にしたいと思う。
 階段をのぼって、百貨店の二階に入れる白い歩道橋を歩いていく。
 隣の鈴城さんを盗み見ると、息もできないほど心が甘さで満ちて、膨張のあまり痺れそうになる。見ているだけだった。接点なんてほとんどなかった。当たって砕けろで、何度、砕けたとあきらめそうになったか。手なんて届かないんだ。そう思っていた人が、今、隣を歩いている。現実なのか自信がなくなるほど幸せで、咲いたいのに泣きそうになる。
 暖房のきいたカフェは、休日のお昼で混んでいたけど、さいわい禁煙席を確保できた。「お昼、僕がはらいますよ」と言われても、満たされたような軆の中に、がっつり何か入るとは思えない。三角のシュガーパイとロイヤルミルクティーをおごってもらった。鈴城さんは、サンドイッチと紅茶だった。そして向かい合って席に着き、念願の「お茶」になる。
 どう、しよう。鈴城さんを見つめたいけど、ぶしつけかもしれないし、でも目をそらしているのも感じが悪いし。よく分からない視線は、甘い香りが立ちのぼるホットミルクティーやテーブルの木目、自分の手元をふらふら泳ぐ。
 周囲の音は聞こえない。心臓が強く脈打って喉にまで響く。指先まで神経が引き攣る。
 落ち着け。落ち着くんだ、私。ちょっと挙動不審だぞ。息遣い、おかしくないよな。荒くなってたら変態だ。でも、口の中がからから。何か飲むか。手が震えたらどうしよう。カップ落とさないよな。自然に。そう、自然に──
「ずっと、この町なんですか?」
「えっ」
 脳内で風船がはじけたように、私ははっと聖樹さんを見る。
「僕は越してきて四年ですけど。やっぱり、家がお店ってことは」
「あ、ああ──そう、ですね。はい」
「じゃあ、聖乃さんは」
 え。
「悠が行ってなかった、あの小学校に行ってたんですね」
 ……名前。
 名前、呼ばれた。鈴城さんに、名前を呼ばれた。
 何で。自分の名前だよ。そう、二十年も一緒の名前じゃない。その名前が、どうしてこんなに甘美に聴こえるの。
 やだ。ダメだ、我慢しろ。ここでこの反応はおかし──
「あ……」
 鈴城さんが、眼鏡の奥で目を開いた。それが濡れて揺れて、見えなくなった。飽和した胸が、ぽろぽろとあふれだしてしまう。
「聖乃さん──あっ、すみません、名前とか馴れ馴れしかったですね。えと、名字聞いてなかったから」
 息苦しくて言葉も出せず、私は首を振った。
 バカ。何で泣くの。こんなの、わけが分からない。情緒不安定な子だと思われる。違う。そうじゃない。ただ、あまりにも満ち足りた状況すぎて。何もいらないほど、おかしくなりそうに嬉しくて──
「あ、あの……僕、」
「……き、です」
「え」
「私、鈴城さんが、好き……です」
 私は、コンタクトが落ちる心配も忘れて目をはらい、鈴城さんを見た。今度は、鈴城さんがぽかんとしていた。私は濡れた睫毛を伏せ、すずなのスカートを握りしめた。
「何か、もっと……私を知ってもらってから、私だって鈴城さんのこと知ってから、言わなきゃいけないことだけど。無理です。やっぱり、私、もう……鈴城さんがすごく好きです」
「あ……、」
「ごめんなさい。ずっと、好きで。見てるだけだったけど、ほんとはずっと好きで。鈴城さんにはいきなりに聞こえると思いますけど、私は──」
「え、ええと、」
「分かってます、もうとっとと振ってください。平気です。こうやって、一度でもお茶してくれただけで……」
 私はルージュの味がする唇を噛んだ。
 それは、嘘だ。本当は、一度きりなんて嫌だ。欲張りたいわけじゃない。でも、できるならまた、この人とこうやってふたりで会いたい。
 だったら、気持ちはゆっくり伝えていかなきゃいけなかったのに。こうして向かい合っているのが、鈴城さんの時間に自分がいるのが、耐えられないほど幸せで。彼の穏やかな声が私の名前を紡いだだけで、あふれてしまった。
 バカ。どうして。この恋はしくじりたくなかったのに。何でうまくできないの。彼の瞳に私がいるだけで、苦しいほど胸がいっぱいになる。

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