Melt Eyes-4

デートを重ねて

 それから、私と鈴城さんは二週間に一度はお茶をするようになった。
 メールしたら、鈴城さんは少なくともその日の夜には返してくれる。逆に電話は、通話料を気にかけて、鈴城さんのほうが三日置き程度にかけてくれた。
 ささやかなメールの文面でも嬉しいのに、あの穏やかな声が耳元で響く。そんな夜は、通話ボタンを切ると、聖良の部屋に行って蹴って起こしてすぐ部屋を出るくらいだった。
『聖乃さんが気にならなければなんですけど』
 その声は、もともと聞き取りやすい落ち着いた口調だけれど、いつもひと言も聞き逃さないように必死に聴覚を研ぐ。ちょっと口ごもって鈴城さんが切り出して、「はい」と私はどきどきする心臓を飲みこんで答える。
『その、名字で呼ばれると仕事関連のような気がするので。僕を名前で呼ぶのは、むずかしいですか?』
「えっ」と思わず声がうわずる。
 何。何フラグだこれ。名前、って──
「い、いいんですか」
『僕はそのほうが助かるかなと』
「あ、じゃあ……はい。えと……み、聖樹さん、でしたっけ」
『あ、憶えててくれたんですね』
「それは、はい。じゃあ……、あ、でもたまに、まだ『鈴城さん』って出ちゃったらすみません」
『それは仕方ないですよ。じゃあ、よろしくお願いします』
 ──そんなふうに、少しずつ、少しずつ、距離は縮まっていった。
 悠くんのことや、萌梨くんのこと。友人の四人組が、私を値踏みに来た四人で間違いないこと。いろんなことを話した。私も相変わらず知人のことを語る。商店街で生まれ育って、ネタになる知人なら多い。
 十一月はあっという間に過ぎて、気づくとあたりには冬が舞い降りていた。空気は冷え切って、澄んだ匂いをまとうようになる。十二月にも入って、一週間が過ぎた土曜日、私は初めてのお茶のときよりは軽くなった、それでも色合いは女の子らしい服装で聖樹さんとの待ち合わせに向かった。
「そういえば、来週、悠が帰ってきますよ」
 しかし、かわいい服もコートに隠れる時期だ。ちなみに、番犬みたいに低くうなる風を防ぐ、この赤のダッフルコートは自分で買った。「貸すよー」とすずなは言ったけど、「長く使える一着買ったほうがいいよ」となずなは言った。そんなわけで、十一月分のお小遣いも入ったことだし、おととい、ふたごに付き添われて自分ではまず選ばないこの色に決めてみた。
 といっても赤は目立つな、と気にしていると、相変わらず歩道橋を使ったカフェまでの道のりを歩きながら、聖樹さんがそう言った。
「え、悠くん──」
 言いかけて、私は聖樹さんの笑顔を見つめた。私の視線に、聖樹さんはちょっと狼狽え、「な、何ですか」と訊いてくる。「嬉しそうですね」と言ってみると、聖樹さんはちょっと面食らったのち、頬を染めた。
「いや、だって……二ヵ月も会ってないですし」
「それは、私も悠くんに会いたいですけどっ。私のコートとか、何か、……いや、悠くん帰ってくるんですか」
「あ、ええと──コート、は、びっくりしました。赤も似合うんですね」
「赤『も』」
「いや、お店のエプロンは紺色──」
「あーっ、いや、悠くんですね、悠くん──また一緒に暮らせるってことですかっ」
 店とか! まだ店でのぶかぶかエプロンの私が残っているのか。もう恥ずかしい、褒めてほしいからってコートとか言うんじゃなかった。そう思って早口に話題を戻す私に、聖樹さんはまた面食らっても、今度は柔らかく微笑んだ。
「ライヴがあるから帰ってくるんです」
「あ、あの四人の」
「はい。さっそく悠もステージに立たせてもらえるかは、分からないんですけど」
「もしステージにいたら、緊張ですね、おとうさんは」
「はい」と聖樹さんが苦笑いしたとき、百貨店のぶあつくてけっこう重いガラスの扉にたどりついた。聖樹さんがさり気なく引いてくれて、こういう紳士なことをされるのはまだ慣れなくて、「どうも」とか頭を下げてしまう。
 ふっと暖房に癒される中で、悠くんか、と聖樹さんによく似た色を持つ、あの十歳くらいの男の子を思い出した。
 悠くんは、私と聖樹さんの今のつながりを作ってくれた恩人だ。聖樹さんが告白の答えをくれる様子はまだなくても、スルーされたとほぼ絶望していた私は、今のところ、こうして並んで歩けるだけでも幸せだ。お礼言わなきゃ、と悠くんと話したいことを告げると、聖樹さんは微笑んでうなずいた。
 毎晩の楽しみになっているメールチェックによると、悠くんは木曜日の夜に帰宅したようだった。邪魔しないほうがいいかと私は返事はひかえて、暖房を切って冬ぶとんに包まって、三日月の抱きまくらを抱きしめて早めに眠った。
 翌日、店先から遠慮なく入ってくる寒風に、まだ防虫剤臭いはんてんを羽織ってストーブに当たっていると、懐かしい声がした。
「おねえさんっ」
 この時期、ケータイを打つ手も凍えてしまう。赤い電気を眺めて、漫画持ってこようかな、とか思っていた私は、顔を上げて目を開いた。艶々の黒髪はまた伸びかけていても、大きな瞳や白い肌は変わらない──
「悠くん!」
「当たりー!」
「わ、久しぶりっ」
「久しぶりー」
 ケースに近寄った私に、悠くんはくるんとした瞳で身を乗り出してくる。
「えへへ、意外とまた顔出すの早かった」
「ほんと、聖樹さんに帰ってくるって訊いて驚い……あ、あー」
 つい言葉に詰まって空を見る私に、悠くんは見せたことのなかったにやにや笑いをして、「大丈夫だよ」と胸を張った。
「おねえさんなら、俺、反対しないから」
「えっ、いや、まだそんな……。というか、み、聖樹さんから、私のことはどう聞いてるの」
「前向きにおつきあいを──」
「はっ!?」
「したい、と」
「何だ……、いや、何だじゃないやっ。おつきあいしたいの? 私と前向きに? ほんと?」
「んー。とうさんからは言わないな、あれは。おねえさんから言っちゃいなよ」
「いや、言ってんだよね……一度」
「マジで」と悠くんは長い睫毛をぱちぱちとさせる。
「うん。そのときは、その、応えられるか分からないって。ただ──そういえば、よく意味分かんないけど、応えられるように頑張るって言ってた。頑張ることなのかなあ」
「あー……、まあ、それは頑張らせたほうがいいよ」
「頑張るの?」
「うん。とうさんはね。そっか、そうだよな。あ、じゃあやっぱ、とうさんから言うの待ってあげて。ごめん」
「ん、それは急かさないけど。でも、ほんとにありがとね。全部悠くんのおかげだよ。メモ渡してくれたから」
「んーん。俺よく分かってないまま渡したし。ガキだったなー」
 あれから半年も経っていないのに、しみじみと悠くんは腕組みをしてつぶやく。
 しかし、確かにどことなく雰囲気が変わった気がする。ケースと較べて分かるけど背も伸びたし、ちょっと痩せたようだし──それを言うと、「肉も野菜も食べろってとうさんうるさかったー」と悠くんがため息をついて、私は笑ってしまった。
 滞在した三日間、悠くんは午前中にうちの店に来て、金曜日にバニラ、土曜日にチョコ、日曜日にミルクを買って食べながら、いろいろ話してくれた。そして、月曜日の早朝には、また全国へと旅立っていったようだった。

第五章へ

error: