見つけた居場所
「あ、……安桜さん、おはようございます」
『………、優真梨ちゃん。え、どうしたの。今──』
「今、安桜さんの事務所の前にいるんですけど」
『えっ……あ、そうか。寝てたから鍵かかってるね。ごめん、今開けるよ』
「すみません、やっぱ寝てましたよね」
『五時間くらい寝たからじゅうぶんだよ。芽衣奈ちゃんのとこに泊まったよね?』
「はい。それで、朝にいったん家に帰ったんですけど──」
かちゃっ、と鍵を開ける音がした。私は立ち上がり、ドアを開いた安桜さんを見上げる。
安桜さんは私を認めると、やっぱりちゃんと咲ってくれる。
「すみません」と私が電話をおろして言うと、「いーえ」と安桜さんは私の頭をぽんとして、中に招いてくれた。
「いったん家に帰ったの?」
「はい。学校に行ったら、今日は帰りなさいって言われて」
「まだ制服だね」
「えっ、あ──」
自分を見下ろし、そう言えば着替えてこなかった、と気がつく。制服なんか着てくるなら、私服を身につけてこればよかったのに。
「で、家に帰ったんだ」
「はい。そしたら、迷惑かけてばっかりみたいに言われて。……何か、家出みたいに出てきました」
「おやまあ。あ、それで、その荷物ね」
「……すみません、行くあてあるとか啖呵切ってきちゃって。でも安桜さんか芽衣奈さんくらいしかいないんですけど」
「はは。行くあて候補に入れてもらえたなら光栄だよ」
「迷惑、じゃないですか」
安桜さんは私を見下ろし、にっこりすると「ぜんぜん」と言ってくれた。私がほっとして息をつくと、「じゃあ、寝泊まりだけなら、ここを使ってくれていいよ」と私が取り上げようとしたバッグを安桜さんは代わりに持ち上げてくれる。
「でも、ごはん代とかは稼がないとねえ」
「何か、仕事ありますか」
「風俗嬢ならあちこちが求人してるけど」
「………、私にやれますか」
「処女が滅多なこと言うんじゃありません」
「しょっ……」
「違うの?」
「……間違いないです」
「だろうね。そうだなあ、ここで家事手伝いでもしてもらおうかな」
「家事手伝い」
「僕、この事務所の奥で暮らしてるんだけど、洗濯掃除食器溜まる一方なんだよね」
「……やってくれる女の人とか」
「いたらやってもらってます。いないから、いつも週一くらいで一日家政婦さん雇って何とかしてるんだけど。まあ、衛生的にどうかって感じだよね」
「じゃあ、安桜さんの周りの家事をすれば──」
「ごはん代くらい出すよ。洗濯機も使っていいし、ベッドも僕が起きてるあいだに使えばいい」
「そこまで助けてもらっていいんですか」
「家事やってくれるってポイント高いよ? 自分が完全にダメだしね」
「じゃあ──やらせてもらって、お世話になっていいですか」
「うん。やった、これで見知らぬおばちゃんに家事頼むリスクがなくなった! いやー、いつもやばい書類とかは隠さなきゃいけなかったからなー」
思いのほか、嬉しそうに安桜さんが言ってくれるので、私もほっとした。
「荷物、奥に持っていくよ」と安桜さんが室内の右手にあるドアに向かっていったので、私は慌ててついていく。ドアの向こうは、アパートのワンルームみたいになっていた。手前に洗濯機や台所、お風呂とトイレは別で、奥のフローリングにベッドとデスクトップPCのあるつくえがある。ベッドがさっきまで寝ていた痕跡を残していた。
「もう休まなくて大丈夫?」と尋ねられて、私はうなずく。「じゃあ、またいつでもこっち側来ていいから」と安桜さんはつくえの引き出しから取り出した鍵を渡してくれた。内側のこの部屋の鍵と、外側の事務所の鍵だ。「事務所の鍵も借りていいんですか」と訊くと、「買い物とか行ってもらうしね」と答えられて、納得した。
そうして、私は安桜さんの事務所に居候を始めた。
芽衣奈さんもすぐそれを知って、「うちに来てもよかったのにー」なんて言ってくれる。「芽衣奈ちゃん、幼なじみくんを長く泊めてて大家さんに怒られたって言ってたじゃん」と安桜さんが言うと、「そうだけど」と芽衣奈さんはふくれる。
芽衣奈さんのアパートはひとり住まい前提で部屋を貸しているので、勝手に同居人を増やすのは違反なのだそうだ。そういえば長く絃音さんと暮らせなかったって言ってたな、と思う。
「安桜さん、芽衣奈さんと絃音さんのこと知ってるんですね」
「何度か会ったこともあるよ」
安桜さんは煙草を吸いながらPCと向かい合っていて、私は事務所の床を箒で掃いている。
「芽衣奈ちゃんに会いに来て、ここで待ってたりするときもあるから」
「そうなんですか」
「芽衣奈ちゃん、そろそろ絃音くんに会わないの?」
ソファで爪を磨いていた芽衣奈さんは、「今度会うよ」とふっと爪を息で吹く。芽衣奈さんは爪は伸ばしていないけど、表面をよく艶々に磨いている。
「会うんだ」
「またここでしばらく待たせると思う。よろしく」
「了解」
「優真梨もいるなら、絃音も安心かもね。絃音は男が苦手だから」
「そう、ですね」
「僕のことも苦手なの?」
「あんた考えてることよく分かんないんだよ。何か軽く男にも手出ししそう」
「同性愛はまったく悪くないけど、僕は男に咥えられるとか死んでも気持ち悪い」
「あっそ」
「えー、優真梨ちゃんは同性とできる?」
「え、いや……考えたことないですね」
「そうだよねー」
そう言って安桜さんはPCに向き直り、私は芽衣奈さんのそばに行く。
「絃音さんに会えるんですね」
「うん。心配しかないけどね」
「やっぱり、まだ辞められるメドとかないんでしょうか」
「たぶんね。会ったあと、相変わらず何にもしてあげられないなあって、いつも無力感で泣く。今回も、しんどくなったら、うちに泊まりにきてよ」
「私で良ければ」
「安桜ー、一日くらい優真梨貸してよー」
「えー、優真梨ちゃん、僕のごはん作ってってよー?」
私は笑ってしまいつつ、「分かりました」と承知する。「飯も作ってやってんの」と芽衣奈さんに言われて、「できる家事ならやりたいので」と言うと「いいお嫁さんだなあ」と芽衣奈さんはにやりとした。
すぐに五月が終わり、六月になって梅雨が始まった。空気が蒸してきたなと思ったら、まもなく雨が降りはじめる。
「雨かー」と窓を振り返る安桜さんは、主にPCで仕事を受けているようで、依頼主に会いにいったり解決の調査に出かけたりする。私は料理をしたり、掃除をしたり、少しずつ近くのスーパーの場所とかも憶えていく。
家事をしているとき以外は、事務所のソファで化粧の練習をしたりする。そうしていると、「だるいー」とか言いながら芽衣奈さんが現れて、「お、やってんじゃん」と一緒にスタンドミラーを覗きこんで、アドバイスをくれたりする。
「優真梨さ、コンタクトにしなよ。使い捨てなら安いでしょ」
安桜さんが留守のとき、眼鏡越しの化粧に苦戦していると、芽衣奈さんがそんなことを言ってきた。
「普通に売ってくれるんですか?」
「分かんないけど、検査がいるとか言われたら、代金をちょっと上乗せすればいいんだよ。この街なら」
「……はあ」
「安桜に頼めば買ってくれるって。眼鏡かけたまま化粧って、むずかしいでしょ」
「そう、ですね。それはあります」
「眼鏡も悪くないけどさ、優真梨は素顔もかわいいから」
そうなのかな、と鏡を見て首をかしげる。そんなふうに芽衣奈さんと話していると、「ただいまー」と安桜さんが帰ってきた。
「おかえりなさい」と私はソファを立ち上がって、持ってきたタオルを差し出す。「ありがと」とそれを受け取って、安桜さんはスーツの肩の水気をはらう。
「安桜さー、優真梨にコンタクト買ってあげなよ」
「ん、優真梨ちゃんコンタクト欲しいの?」
「欲しいというか──まあ、つけたらどんな感じかなとか」
「そっか。じゃあ、今度、僕のメンテ行くとき一緒に行こうか」
「え、安桜さんコンタクトですか」
「僕はすごく目が悪いよー」
「自慢になってないし」
「芽衣奈ちゃんは?」
「あたしは目はいいよ」
「目がいい人ってすごいよね。何にも見ないのかな」
「バカにしてんの?」
「いや、すごいなあって」
安桜さんと芽衣奈さんのやりとりに笑いながら、アイライナーを持ち直し、やっぱり眼鏡をかけていたら目の周りの化粧ができないなと思う。それを見た安桜さんが、「化粧もしたいもんね」と私の頭をぽんぽんとしてくれた。
そんなわけで、後日安桜さんに連れられてコンタクトを買ってもらった。半年分の使い捨てになった。聞こえてきた一括払いに咳きこみそうになって、「いいんですか」なんて安桜さんに遠慮してしまった。「いいのいいの」と言った安桜さんは、さらに新しいスマホまで買ってくれた。
「親名義のは確かに止まっちゃうかもしれないからね」と言われて、申し訳ないと思いつつもありがたくもらっておいた。番号もアプリも新しいスマホに、とりあえず安桜さんと芽衣奈さんは登録させてもらう。このふたりが入っていれば、このスマホを持ち歩くほうが便利だろう。当然親からの着信がしばしばついている親名義のスマホは、電源を切って放置することが多くなった。
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