さよなら、ミルク。
芽衣奈さんと絃音さんは新居探しを始めた。お金は、芽衣奈さんがこれまで風俗で貯めたぶんがだいぶあるそうだ。
絃音さんは芽衣奈さんに風俗を辞めてほしいと言っていたけれど、芽衣奈さんは「しばらく絃音は休みなさい」と傷ついてきた絃音さんを労わって、しばらく風俗を続けることにしたようだった。
ふたり暮らしできる部屋が決まると、荷物を運びこんで芽衣奈さんも絃音さんも今までの部屋を退居する。ふたりが無事一緒に暮らしはじめる頃には、七月になってずいぶん過ぎて、夏が始まっていた。
「優真梨ちゃん、あの会社、摘発されたみたいだよ」
七月が終わりかけて、私はというと、やっぱり家には帰らず、安桜さんの仕事を簡単に手伝うようにもなっていた。
解決済みの依頼の書類をホッチキスでまとめる作業をしていると、PCを覗きこんでいた安桜さんが煙草をつぶしてそう言った。私は手を止め、「あの会社って」と言うと、「絃音くん撮ってたとこ」と返ってくる。
「コンデンスミルクですか」
「そうそう。出演してた未成年の子たちも、補導で捕まってるみたいだね」
「無理やり出演させられてたのに」
「そこは捜査で分かっていくと思うけど。絃音くん、助けておいてよかったね。これに巻きこまれてたら、警察に引き渡されてたかも」
「そしたら、会うのもむずかしくなってたんでしょうか」
「かもしれない。優真梨ちゃんが無茶やった甲斐あったね」
「それは言わないでください……」
「はは。しかし、これって会社名からして皮肉だよね」
「コンデンスミルクですか?」
「深い意味ないのかもしれないけど──はい、“milk”にはどんな意味があるでしょうか」
「………、牛乳」
安桜さんが噴き出したので、「それしかないじゃないですかっ」と私は何だか頬を染める。
「けっこういろいろあるんだよ? 名詞じゃなくて他動詞で、笑いや拍手をうながす、とかね」
「笑いや拍手」
「AV制作会社的には、単純に精液のイメージだったのかもしれないけど。僕としては、人の権利を搾り取る、奪い取るって意味がしっくりくるな」
「“milk”ってそんな意味があるんですか?」
「あるよ。この会社がやってたことって、いわゆる性的搾取でしょ? 皮肉だよね」
人の権利を搾り取る。奪い取る。私は書類を束ねて、「私も家ではそうでした」とつぶやく。安桜さんは私に顔を向ける。
「私の意思なんて、ぜんぜん尊重してもらえなくて。勉強させられて、進学させられて、きっと就職させられて。あのままなら、親が決めた好きでもない人と結婚してたと思います」
「……僕もねえさんがそうだったよ。つらいよね。人として認めてもらえないってことだから」
安桜さんは背もたれにもたれて、私の頬に手を伸ばした。私は安桜さんを見る。安桜さんは私の肩に腕をまわして引き寄せると、そっとキスをしてくれる。
そして額を合わせて、「僕は優真梨ちゃんに与えてあげられてるかな?」と訊いてくる。私は微笑んで、「安桜さんが初めて私のこと受け入れてくれました」と答える。
安桜さんは優しく笑んで、近づいた軆を離す。
「芽衣奈ちゃんと絃音くんもそうだよね。食い物にされてた。芽衣奈ちゃんはまだ風俗やってるから過去形じゃないか」
「いつか辞めようって気持ちは持つようになったみたいですから」
「みんななかなか、自分の思う通りに生きられないもんだね」
「私のことは、安桜さんが自由にしてくれましたよ。きっと、芽衣奈さんと絃音さんのことも」
「そっか。役に立てたなら何よりです」
安桜さんはくすりと笑って、「書類はその棚の端の引き出しに入れておいて」と私が抱える束をぽんとたたく。「はい」と私は並ぶ棚の中で、しめされた窓の隣の棚の引き出しを開けて、似たような書類の束が入っているのを確認してから中に入れる。
「優真梨ちゃんって高一だったんだよね」
「そうですよ」
「てことは、十五歳か」
「十月に十六歳になります」
「お、じゃあ、結婚まであと三ヶ月か」
私は安桜さんを見て、「でしょ?」と安桜さんは笑う。私は噴き出すと、「気が早くないですか?」と引き出しを閉める。
「だって、優真梨ちゃんかわいいから。早く取られないように約束したい」
私は安桜さんのかたわらに戻ると、その首にぎゅっとしがみついた。“かわいい”。安桜さんがそう言ってくれると、私の中に緩やかに幸せが染みこむ。
千美さんに「かわいい」と言われたのが、すべての始まりだった。「かわいい」と言って、千美さんは私から甘い汁を搾り取ろうとした。
芽衣奈さんも、毎晩好きでもない人に奪われて。絃音さんも、どうしたらいいのか分からないうちに利用されて。安桜さんのおねえさんも人として権利を剥奪された。
みんななかなか自分の思い通りに生きられなくて、でも、そんな中で私は安桜さんに出逢い、ようやく幸せな道を見つけられた。
ずっと「自分」を奪われてきた。けれど、もう人に搾取されて生きていくのはおしまいだ。さよなら、ミルク。私はこれから、好きな人のそばで自由を生きていく。
FIN
