ミルク-2

戦う探偵

 何なの、とだんだん混乱していると駐車場に移動して、黒い車の後部座席に押しこめられた。こんなの誘拐じゃない、と思って、私はさすがに大声を上げようとした。
 けれど、その口を車内から伸びてきた手に塞がれる。え、と目を開いたのと同時に、「まゆちゃん、今回もかわいい子ありがとうね」という生田の声が背後に聞こえた。ばっと振り返ると、生田が財布を取り出して、千美さんにお金を渡している。
 どういうこと、と言おうとしても、口を塞がれていて、息さえ苦しい。心臓が不穏な早鐘になってくる。お金を受け取った千美さんは、私を見てにっこりすると、「人気出るといいね」と言い残して、ひらりと身をひるがえしていった。
 同時に、車の中にいた男が私の腕を引っ張って、後ろ手にかちゃっと──
 手錠? 何これ?
 生田が素早く運転席に乗りこんで、「すぐ着くからね」と車を発進させた。
 やばい。これはきっと、かなりやばい。
 ようやくそう認識した私は、暴れようとした。けれど、抑えつけてくる男は体格もよくて生田より力が強い。
 何? どこに連れていかれるの? 何をされるの?
 涙が滲みそうになったけど、弱みを見せることさえたぶん危ないから、舌を噛んでこらえる。震える息遣いが詰まって、小さく喉が痙攣する。心臓が重たくなって、どんどん不安を吐き出しているみたいだ。
 タイヤの走音が響く車は、少し大通りを走って、すぐ脇道に入った。無人駐車場に入り、そこに車を停めるとまず生田が降りる。私の腕をつかんでいる男も、ドアを開けて私を外に引きずり出した。
 私は男に取り押さえられるまま生田を睨んで、そんな私に、生田はさっきの朗らかな笑みとは違う、見下すような笑みを浮かべた。
「処女だよね? 優しく調教するものがいいと思ったけど──」
 生田は私の顎をつかんで、キツネみたいに嗤った。
「これは、レイプものがいいかな?」
 は……? 何? 何の話?
 生田が身を返して歩き出すと、どんっと男に突き飛ばされて、私も前のめりに歩き出す。
 すぐに周りには、何とも言えないネーミングセンスの建物が並びはじめる。入ったことなんてないけど、確実にラブホテルだ。
 嘘でしょ、と愕然として、膝に力が入らなくなっても、男が乱暴に私を引っ張っていく。生田はスマホを取り出し、「今から女の子持っていけるので」とか話す。
 どういうわけか分からないけど、とりあえず冗談じゃない。
 私は何とかもがこうとするけれど、後ろ手の手錠が予想以上に邪魔だ。けれど、動いた拍子に口を塞ぐ男の手がずれたので、私はそのしょっぱい指を思いっきり噛んだ。男が声を上げて手を放し、生田も振り返ってくる。
「放してよっ。何する気か知らないけど、私はっ──」
 最後まで言えなかった。男にどすっとお腹を殴られた。思わず咳きこむと、「黙らせていいけど、痣はつけちゃダメだよ」と生田は肩をすくめる。
「今から撮影なんだから」
 撮……影?
 何。どういうことなの。千美さんにハメられたのは分かるけど、このあとどうなるのか分からない。
 お腹にじんじんと衝撃の名残が響く。
 やがて、白塗りのホテルの前で生田は立ち止まった。「よし、じゃあ六○一号室に連れていって」と生田が言って、私は男に肩を抱かれて、その中に連れこまれそうになった。
 そのときだった。
「そういうのって、部屋に入ってからやるプレイじゃない?」
 突然、そんな声が後ろからかかって、私は男の腕の中から振り返った。
 そこには、生田よりも高そうな品のいいスーツを着た男がいた。短くさっぱりした黒髪、愛嬌を感じる顔、体形はモデルみたいに細めですらっとしている。
 その男は煙草を持つ手で、私の手錠を指さした。
「いやー、この子がこういうの大好きなドMなんですよ」
 生田がすらすらとそんなことを言って、私はそちらを睨みつけようとした。
 が、モデル男のことは生田に任せることにしたのか、私はホテルの中に引っ張られそうになる。それを必死に嫌がって踏ん張り、私はもう一度モデル男を見た。
 その男は男で怪しいのだけど、とりあえず生田からは逃げなくてはならない。モデル男は煙草を吸って、「なかなか生意気な奴隷ちゃんなんだね」と生田ににっこりとした。
「ほんとにそうなんです──」
 生田が語尾を言い終わる前に、男は躊躇なく、火種がたっぷりついた煙草を突き出した。
 同時に、生田が喉がつぶれたような声を上げた。両手で左目を抑える。
 え、と私まで硬直する。嘘。目に煙草を入れた?
 生田は座りこんで火にかきむしられているみたいな唸りを上げ、「女の子は大事にしなきゃいけないよ?」と、モデル男は次は私を抑える男をにこにこと見た。男は、私と生田を見較べてとまどったものの、すぐに私を放してその場を駆け出す。
 私までその場にへたりこんでしまうと、「大丈夫?」とモデル男は私の前にしゃがみこんできた。
「あ……、あり、がとう……ございます」
「僕、このホテルの支配人に頼まれててね。勝手に部屋をAV撮影に使ってる連中がいるからどうにかしてくれって」
「AV、って……え? 何、この人たち何なんですか?」
「さあ。それは今から調べるよ」
 生田は聞くに耐えない声を上げている。
 モデル男は立ち上がり、生田の肩を蹴ってその場にくずおれさせた。スマホと財布がスーツの内側からこぼれおちて、モデル男はそれを素早く拾い上げた。
 スマホを少しいじって、財布に入っているものも確認する。
「あ、あなたは警察か何かなの?」
「戦う探偵」
「………」
「わりと本気だよ? あ、手錠の鍵はこの中のどれかかな」
 財布につながっていた鍵の束をモデル男は手に取り、私の後ろにまわった。そして、いくつか試したあと、かちゃっと開錠する音が聞こえた。
 私は自由になった手で、後ろ手で攣っていた二の腕をさする。そして、ぎゅっと服を握って、改めて自分が危なかったことを感じて震えそうになった。
 モデル男は、生田を路地のほうに蹴りやってしまってから、私の前にもう一度しゃがんだ。
「怖かったね」
「……はい」
「早く帰りたいところだろうけど、少し、話聞かせてもらえるかな?」
「話、って」
「ナンパされてついてきたんじゃないでしょ。そんな子には見えないし」
「まあ、……はい。えと──」
「僕の事務所に行こう。いかがわしいとこだけど、別に何にもしないから」
 いいのかな、と思ったけれど、助けてもらったのに突き放すのも失礼かもしれないし、どのみちこの人に駅までの道を訊いておかないといけない。「駅までの道が分からなくて」と正直に言うと、その人はうなずいて、「話が終われば送るよ」と私の手を優しくつかんだ。その手はなめらかで大きくて、大丈夫でありますように、と私は祈って握り返した。
 本当に眼球につぶされたらしく、のたうつ生田はそこに放置して、私はモデル男と歩き出した。「名前は?」と訊かれて、「香春優真梨です」とおとなしく名乗る。「僕は安桜あさくらだよ」とその人は煙草を携帯灰皿につぶした。
 ホテルが並んだ通りを出ると、スナックとかエステとかいう文字がちらほら見えてくる。空はまだ明るくても、ネオンが灯りはじめているビルもある。明らかに風俗街なんだけど、と立ち止まりそうなのを、何とか我慢して安桜さんについていく。
 そして安桜さんは、ピンクサロンとかファッションヘルスという文字がパネルに並ぶ雑居ビルに入った。え、と思ったものの、「ここだからね」と安桜さんはいかがわしい店名の中に『安桜探偵事務所』という文字があるのを指さした。
 本当に探偵なのか、と拍子抜けていると、ビルに入ってすぐのエレベーターに乗って、五階に上がる。そして、『安桜探偵事務所』という看板のかかったドアを開けた。
 誰もいない室内はわりと広く、手前に応接間のようになっていて、奥には大きなデスクやロッカーがある。安桜さんは私をソファに座らせると、一度奥のドアの中に入って、コーヒーの香りがするカップを持って戻ってきた。
「ブラックでよかった?」と訊かれて、好んで飲むほどではなくても、「飲めます」と受け取る。ひと口もらって、やっぱ苦い、と思っていると、安桜さんは私の正面のソファに腰を下ろして、持ってきた生田のスマホと財布をテーブルに置く。
 私はソファに座り直して、「あの男に連れてこられた経緯を話せばいいんですか」と尋ねる。
「そうだね。話してくれる?」
「別に隠すことでもないので」
「そう」と言ってから、安桜さんはスマホを取り出して「録音するね」とレコーダーアプリを起動させた。残されるのか、と緊張しても、私は何も悪くないからやましくない。

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