ミルク-8

恋の話

 自分の食事代はちゃんとはらって、ファミレスを出ると、芽衣奈さんの部屋に向かった。居酒屋やバーが並んで、暖色の看板や提燈が灯る通りを歩いていく。酔っ払ったおじさんや、見るからに水商売の女の人がちらほらしている。そんな通りの店と店のあいだの小道を抜けると、裏手に古そうなアパートが建っていた。
 一階の一○三号室が芽衣奈さんの部屋で、「変な住人多いから早く入って」と急かされたので、慌てて部屋に上がる。
「変な住人って」
 靴を脱いでマットに上がると、芽衣奈さんは鍵をかけながら、「ここの住人、主におっさんなんだけど」と自分もスニーカーを脱ぐ。
「突然『これで金おろしてきて』ってカード出してきたり、部屋に入るまでドアの隙間からずっと見てきたり、いろいろ」
「それは──かなり、危なくないですか」
「でも、あたし保証人いないし、仕事も信用ないからなー」
「……大変なんですね、部屋借りるのも」
「仕方ないよ」と芽衣奈さんは廊下を抜けてドアを開け、明かりをつける。「どうぞ」と中に通されると、そんなに広くない室内の真ん中に座卓と座椅子があって、奥の窓には紺色のカーテンが引かれ、その下の床に水色のふとんがたたんである。
「あ、ひと晩じゅう右隣がラジオ聴いてるときあるから、今夜それだったらうるさいかも。ほんと、こんなとこでごめんね」
「いえ、私こそ、急に来ちゃって」
「いいよ、安桜にいつもサボらせてもらってる恩返しはしたかったしね」
 芽衣奈さんはふとんを広げて、その上に荷物をおろす。私も部屋の隅にかばんを置かせてもらった。
「とりあえず化粧落としたい」と芽衣奈さんはシートを取り出し、スタンドミラーを覗きながら素顔になっていく。芽衣奈さんはシートを私にも分けてくれて、たっぷり濡れたシートで私も化粧を落とす。
 素顔でもじゅうぶん綺麗な顔立ちの芽衣奈さんに、「お風呂入る?」と訊かれて、「借りてよければ」と返すと、「ユニットバスだけど」と芽衣奈さんは着替えやタオルも貸してくれた。私はそれを抱えて教えてもらったドアからユニットバスに入り、制服を脱いで、浴槽に入ってバスカーテンを引く。
 そして、水とお湯を混ぜて温度を調節して、シャワーを浴びた。この浴槽は浴槽になっているけれど、お湯を溜めて浸かることはあんまり考えられていないみたいだ。シャンプーやボディソープも少量使わせてもらって、さっぱりすると下着以外は芽衣奈さんの服を着る。
 下着コンビニで買ってくるんだったな、とも後悔しつつ部屋に戻ると、芽衣奈さん座卓に広げたノートPCと向かい合っていた。「ネットですか」と髪をタオルで抑えながら訊いてみると、「仕事ー」と芽衣奈さんはひとつあくびをする。
「予約入ってたから、お礼の記事あげてメール」
「記事」
「嬢はブログ書かされるんだよね。この日のこの時間は予約入りましたって。そしたら、目当てに来てもダブらないでしょ」
「そんなことまでやるんですね」
「スタッフが事務的にやってくれるとこもあるけど。嬢がブログで報告すると優越感与えるし、ほかの男に俺も予約入れようかなとも思わせるみたい」
 なるほど、と私が納得していると、「あ、ドライヤー出しておいた」と芽衣奈さんがかたわらに置いていたドライヤーを差し出した。私がそれを受け取ると、「あたしもシャワー浴びよっ」と芽衣奈さんは着替えを集めて、それにタオルを乗せると廊下に出ていく。
 私は床に座りこんで、ドライヤーで髪の水気を取ってしまうと、手持ち無沙汰になってスマホを確認した。時刻は午前一時半、続いていた電話着信もさすがに止まっている。一応心配するんだな、とぼんやり思ったものの、心配じゃなくて束縛かもしれない。
 何となくため息をついて、耳を澄ますと、確かに隣から物音がするなあと気づく。たぶん、芽衣奈さんみたいな美人がひとり暮らしするのには不用心なアパートだ。でも、芽衣奈さんは親の話をしないから、私以上に親とは離れたい何かがあるのだろう。
 何だかんだ言って、家を飛び出せない私も私なのかもなあ、と膝を抱えていると、やがて芽衣奈さんが戻ってきた。男物の大きなTシャツがチュニックみたいに長くて、下半身は下着だけだ。そして、煙草をくわえたまま、ドライヤーで髪を乾かしはじめる。
 そして、芽衣奈さんは少ししっとりさせたままの髪にクリームをなじませてまとめ、肌にもローションをしみこませる。私そういう手入れしないなあ、と思って、それを言うと、芽衣奈さんは私の手のひらにローションをひんやりなじませ「肌に塗って寝るだけでぷるぷるだから」と咲った。
 私は手のひらに広げたそれを腕に塗ってみる。いい匂いがする、と思っていると、「ねえ、優真梨」と芽衣奈さんは煙草をふかす。
「もし優真梨が安桜のこと好きならさ、あたしは応援するよ」
「えっ」
「あいつ面倒臭そうだけど、いい奴なのは確かだしね」
「いや、……ええと、どのみち相手にされないですよ」
「相手にされるように、いろいろやってみればいいじゃん。協力するよ」
 安桜さん。どうなのかな、と思ってしまう。
 分からない。恋なんてしたことがないし。ただ、安桜さんの番号に電話をかけるチャンスがずっと欲しいと思っていた。今日それができて、煙草の匂いのスーツの胸に飛びこめてほっとした。事務所でそばにいるのを警戒せずに眠ることができた。
 好きなのかは分からない。でも、安桜さんのそばにいられたら──
「あたしは」
 私は芽衣奈さんを見た。芽衣奈さんは前髪で目を隠し、煙草をたっぷり吸いこむ。
「自分の恋には何もできないからさ」
「……恋」
「うん」
「好きな人──」
「いる」
「……安桜さんじゃ、なくて」
 芽衣奈さんは咲って「当然」と言うと、ふと本やCDがわずかに並んだラックに手を伸ばした。そこからDVDのケースを取り出し、「これ」とそのDVDを私とのあいだに投げた。
 私はそのパッケージを見て、「え」と声をもらした。とっさに、それが何なのか分からなかった。
 男の子が映っている。壊れそうに美しい、私と同い年くらいの男の子。胸をはだけさせて、じっとこちらを見ていて、指先にしたたったミルクのような液体を舐めている。
『美少年とおうちデートH❤ハヤト』
 私は芽衣奈さんを見た。
「これ……」
「そいつなの」
「え」
「あたしの好きな男」
 私はパッケージを見直して、それがAVなのは理解した。でも、男の子って──。
 恐る恐る手に取って裏返してみて、どくんと鼓動が刺さった。そこには、表の男の子が男とセックスしているスチルが何枚もあった。
「幼なじみなんだ」
「幼なじみ……」
「一緒の施設で育ったの。あんまり、環境よくなかった。体罰とか多くて、あたしは園長に悪戯されてて、中学卒業したらすぐにそこを出た。結局、風俗嬢なんかやってるから同じなんだけどね。絃音いとね──ああ、颯音はやとって芸名。本名は絃音ね。あたしのひとつ下で、いつもあたしについてまわってたから、同じように中卒で施設を出た」
「……何で、こんな」
「なかなか仕事が決まらなくて焦ってたの。あたしがここに泊めて養うのも限度があったし、あたしの重荷にはなりたくないとも言ってた。それで、出来心っていうのかなあ──モデルみたいなことやればいいだけだからとか言われて、裸撮られたり、オナニー撮られたりしてるうちに、ゲイビ出ようか、そしたらもっと稼げるよって。断りたかったって言ってた。でも、もう絃音の意志なんて尊重してくれる状況じゃなかった。それでも、ずっと辞めたがってるんだよ。次で辞めさせてあげるからって言われたときもあったんだよ。それでも、売上とか人気を惜しまれて、やっぱり事務所が辞めさせてくれないの」
「会えてる、んですか。その、絃音さんとは」
「……たまにね。もっと会いたいよ。いつも会いたいと思ってる。ここで一緒に暮らしたいけど。でもきっと、毎日見守るのは耐えられないだろうな。腕とか傷でぼろぼろなんだよ。リスカやってアムカやって」
「好きっていうのは、伝えてないんですか?」
「伝えられない。あたしのことで悩んでほしくない。あたしといるときは、ただ少しでも楽になれるときにしてあげたいんだ」
 芽衣奈さんは鼻をすすって、煙をふうっと吐く。髪の隙間に覗いた目がちょっと赤い。私がDVDを置くと、芽衣奈さんがそれを手に取って表パッケージを見つめ、「くそ……かわいいなあ」とつらそうに睫毛を震わせてつぶやく。
「ちょっと、観てみる?」
「えっ、いえ、芽衣奈さんがつらいし」
「あたしは平気だよ。けっこうひとりで観てるし」
「………、AVとか出れるの、いくつからでしたっけ」
「十八じゃない? 絃音はまだ十七だけどね、十八って偽ってる。でもさ、偽ってもばればれだろと思うけど」
 そう言いながら芽衣奈さんはケースを開き、中身のDVDを取り出した。そしてPCのトレイに乗せて読みこませると、PCの画面に著作権とか年齢制限の注意書きが現れ、『全編再生』を選ぶと内容が始まる。

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