この想いが届くなら
『ふふ、すっげえかわいいね』
たぶん撮影しているカメラマンがそう言って、ソファに座る絃音さんは恥ずかしそうに咲う。
『名前言える?』
『……颯音、です』
『いくつ?』
『十八です』
『こういうの初めて──ではないよね?』
『ん……まあ、はい』
『でも、緊張してる?』
『して、ます』
『今日は、俺のこと恋人だと思っていちゃいちゃしてもらうからね』
『はい、……いちゃいちゃするんですか』
『うん。颯音くんは、ほんとは女の子とそうしたいほうかな?』
『ん……分かんない。恥ずかしい』
『男のほうが好き? 俺みたいのは?』
『……好き、です。どきどきする』
『やっべえ、かわいい。もう勃ってきたかも。触ってみて』
はにかんだ笑顔を見せている絃音さんの細い手が、ボクサーパンツだけのふくらんだ股間に導かれる。何だかそれ以上はつらくなってきて、私は目を伏せた。一瞥した芽衣奈さんは、麻痺したような瞳にそれを映している。
「……芽衣奈さん」
「ん」
「絃音さん、今の、男の人が好きっていうのは──」
「嘘だよ」
「……ですよね」
「あたしはそう思ってる。中学時代、あたしの親友とつきあってたから」
「えっ──」
「もうつきあいないけどね、その女とは。ノンケ設定よりゲイ設定のほうが、見るほうも罪悪感がなくていいんじゃない。よく分かんないし、ノンケ開発も需要あるとは思うけど」
私はうつむきながらも、何度かPCの画面を盗み見た。そのAVは彼氏の部屋での「おうちデート」から進展していく設定みたいで、絃音さんは軆をまさぐられ、舌を絡めるキスをして、しゃぶったりしゃぶられたりしたあと、お尻に挿入されて女の子のように喘いでいた。その腕にも手首にも傷痕はないけれど、きっとメイクで隠しているのだろう。
煙草の匂いがしなくなった、とふと気づいて芽衣奈さんを見ると、芽衣奈さんは煙草は灰皿につぶして、ぽろぽろと涙を落としていた。「止めましょうか」と気にかけると芽衣奈さんは「大丈夫」とくぐもって言ったものの、急に私の腕にしがみつくと嗚咽をもらした。私は芽衣奈さんの肩に手をかけても、それ以上さすったりたたいたりはできなかった。
こんなに、好きな人がいるのに。その人は親友とつきあって。欲望の世界に縛られて。傷だらけになるほど搾取されて。何もすることができない。
絃音さんは、芽衣奈さんがこうして泣いていることは知っているのかな。知っても、それでも無抵抗に犯されているのかな。それとも、芽衣奈さんの涙を知ったら、もしかして──
何かできないかな、と思うけれど、芽衣奈さん自身が動けないことで私が動けるわけがない。それでも、芽衣奈さんの涙が胸に染みるように痛くて、何かしたい、とどうしようもなく強く思ってしまった。
『いっぱい出たね、颯音くん』
DVDが終わる直前、息を切らしてベッドに横たわる絃音さんの全身を映して、カメラマンの声がした。
『気持ちよかった?』
絃音さんは弱く笑みを作ってみせる。
『また来てくれる?』
絃音さんは咲っている──けれど、うなずくことはなかった。そのまま、唐突に再生が終わった。私は芽衣奈さんを窺い、芽衣奈さんは睫毛をびっしょり濡らして顔を上げる。
「ごめん」と言われて首を横に振った。絃音さんに会いたくて、でも会うのもつらくて、こんなDVDを見て。結局傷ついて、芽衣奈さんはいつもひとりで泣いてしまっているのだろう。
何かしたい。そう思ってもできることなんて思いつかないから、私はせめて芽衣奈さんの肩をようやく撫でる。
「ゲイビの男優なんてさ、そんなに長続きしないって分かってるんだけど」
芽衣奈さんは鼻をすすって涙をはらうと、煙草に手を伸ばして、かちっと灯したライターの火でくわえた先を燃やす。
「いつまで続くのかなあって、もうじゅうぶん気が遠くなる。早く助けないと、絃音は自殺するかもしれないのに。地獄だと思うよ。だって、好きでもない相手とのセックスが永久に残っちゃうんだ。生きてる限り、逃げられないのと同じだよ」
煙草から煙が揺らめいて、ふうっと芽衣奈さんは息をつく。
「あたしでは、力になれないところまで来ちゃってるのかな」
「それでも、芽衣奈さんは絃音さんのそばにいてあげるんですよね」
「そうだね。好きだからだけど」
「だったら、それだけでも芽衣奈さんが絃音さんのよりどころだと思います」
「そうかな」
「私も、ずっと自分なんかひとりだと思ってたし、それでいいくらいに思ってましたけど。安桜さんに助けてもらって、今は、あの人のそばにいたいと思いますよ」
「……そっか」
「絃音さんにも、芽衣奈さんのそばにいるために生きようって、そう思ってもらえたらいいと思います」
「ん。そうだね。あたしがそばにいれば絃音が生きてくれるなら、あたしは絶対、あの子を離れないよ」
芽衣奈さんは呼吸を確かめるように煙草を吸って、ゆっくり吐く。
そして、DVDをPCから取り出すと、ケースにしまって元あったラックに戻した。
「そろそろ寝ようか」と言われて、私は三時をまわっていることに気づく。「朝に起きれるでしょうか」と苦笑してしまうと、「何なら明日もサボればいいじゃん」と芽衣奈さんはふとんの上の荷物をはらって、掛けぶとんをめくる。
「客用のふとんとかないし、一緒にここで寝るけどいい?」
「え、でも──私、この座椅子で寝るとかでもいいですよ?」
「優真梨が添い寝は嫌だったら、それでもいいけど」
「嫌ってことは。じゃあ、一緒に寝ます」
「うん。座って寝ると、腰痛くなるしね」
私は笑って、お言葉に甘えて芽衣奈さんと一緒のふとんに入った。シングルのふとんだけれど、そんなに狭苦しくはない。芽衣奈さんは明かりを消して、軆に掛けぶとんをかぶせる。
部屋の中が静かになると、隣の部屋がまだ音を立てていることに気づいた。「やっぱラジオ聴いてんな」と芽衣奈さんは舌打ちする。
「芽衣奈さん」
「んー?」
「もし、家にも学校にも帰りたくないなら、どうしたらいいんでしょうか」
「帰りたくないの?」
「あんまり」
「そっか。まあ、働くのが一番早いんじゃない」
「働く……」
「うちの店で一緒に働くか」
私は笑ってしまって、「雇ってもらえないですよ」と言う。
「そう? 安桜は売り物になるって言ってたじゃん」
「あんなの冗談ですよ」
「………、まあ、優真梨を風俗に引きこんだら安桜に怒られるか」
「そういえば、安桜さんって彼女とかいないんでしょうか」
「どうなんだろ。いつもあの事務所にいるけど。彼女いたら、会ってくれなくて切れてるだろうね」
「やっぱり、いるんでしょうか」
「実はいたりしそうだな。でも、あたしは優真梨を応援するよ」
「彼女がいたら邪魔しないですよ」
「盗っちゃえばいいじゃん」
「そんなの、安桜さんには幸せじゃないですし」
「んー、でも、優真梨のこと大事にしてるよ、安桜は。あたしも絃音を大事に想ってるから分かる」
私は暗闇の中で芽衣奈さんを見て、すぐ視線を落とした。
大事にしている。そうなのだろうか。何かあれば助けると言われた。守りたいと思うと言われた。そんなことを言ってくれた人は初めてだ。親にも言われたことがない。確かに私は生まれて初めて、安桜さんに大事にしてもらっているのかもしれない。
「あたしの恋も、優真梨の恋も、うまくいくといいね。おやすみ」
そう言って、芽衣奈さんはすぐに眠りに落ちた。私は事務所でうたたねをしたせいか、眠りの糸口がなかなか見つからず、暗い空中を見つめていた。
私は安桜さんが好きなのか、とぼんやり心の中で繰り返す。何だか実感がないけれど、確かに安桜さんが知らない女の人を見るのは苦しいなと思う。
私は芽衣奈さんの寝息を聞いて、芽衣奈さんは好きな人の軆を踏み躙られてるんだなと思う。それを今すぐにでも助けられないのは、ほかの女に取られるよりつらいだろうな──そんなことを考えて、睫毛をうつろわせ、私は暗闇に溶けるように眠っていった。
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