血に暮れて
ジーンズが流血を飲みこんで、重たくなっていく。視線を落とすと、ジーンズのウエストは赤に染まりきっていた。
右手はカミソリを握っている。俺は真っ赤になった左手で、フックをはずし、ファスナーを下ろした。だぼだぼのジーンズは、脆く浮いた骨盤の下までさげれば、すとんと落ちた。下着も連れていかれた。
俺は股間を眺めた。俺の性器は陰毛に縮んでいる。そこに幼い頃の桃色の面影はない。彼と同じだ。黒い毛に不気味な物体がぶらさがっている。明かりが届かず陰っていても、それは見て取れる。
桃色でなくなった俺の性器は、あの白濁を吐いた。だが、そのとき俺をそそりたてたのは彼ではなかった。誰でもなかった。俺には、愛も欲望もない。俺にとって、射精は小便と同じだ。単なる処理だった。
俺には心が欠けている。感情、精神、愛や欲望はない。俺は生臭くない。なぜ人間が腐っていくのか。それは愛や情熱という生臭いものを持つせいだ。俺は腐れるだろうか。生臭い心を失っていても、人間と呼べるのだろうか。
カミソリを左手に持ち替える。俺は右手で萎えている陰茎をつかんだ。握りしめてしごいた。性器は重たくだらんとしている。
俺はあまり勃起しない。簡単に硬くならない。陰萎というわけではないと思う。本当に、欲望がないのだ。
なかなか、腰を蕩かす甘美な感覚はあふれない。それでも俺は、柔らかな性器を上下にこすり、集中して快感を拾い集める。むずがゆい感覚のあと、こめかみが静かにほてりはじめる。
誰かと寝たいとは思わない。手淫しかしたことがない。誰とも性交したくない。愛など交わしたくない。俺は誰も愛したくない。愛されたくない。もう愛されないことに慣れた。
彼は俺を愛したが、同じだ。彼は俺の美しさを愛した。俺のことはどうとも想っていなかった。彼には俺の命は邪魔だったはずだ。彼は本当は、俺を冷たい柩に入れたかったに違いない。
俺は命を傷つけられた。心を傷つけられた。精神を傷つけられた。そして、魂を削ぎ落された。
性器が熱を抱いてくる。俺は手の動きを早める。目を閉じて唇を噛み、小刻みになる息を抑える。
俺は人間だ。血を流している。失くした心に血を流している。だが、命がない。空っぽだ。彫刻だ。体内にある内臓は、温かな肉片でなく、冷えこんだ石膏でできている。
それでも俺は人間だ。血が流れている。失ってもなお、心が流す血に縛り上げられている。
なぜこんなに傷ついているのだろう。血まみれではないか。鏡の中の俺は、人を殺して返り血を浴びたようだ。俺は切り裂かれている。俺の心は、何をそんなに血に暮れているのだろう。
性器は脈打っている。俺は視線を下げた。陰毛を抜けて頭をもたげた性器が、赤黒く血管を隆起させている。
血がめぐっている。性器は血にふくれあがっている。俺の心が流している血に。性器は俺の傷が流すものに膿み、腫瘍となる。
血まみれの手で、カミソリを握った。硬くなった性器は、手を離されても勃起している。反り返った部分に浮き出た血管がある。
目を開いて、まばたきをこらえた。息を詰めた。左手で不器用に、血に埋もれた刃をその血管にあてがう。
自分をこんなにぼろぼろにしている刃物が分からない。
腫れあがって血を流す血管に、カミソリを押しつける。肌に亀裂を入れる。硬い性器の切れめに深く刃を押しこむと、俺はカミソリを先端へと一気にひいた。
ぴしゃっと音がした。血は垂れなかった。かわりに勢いよく散った。陶器に飛んだ。俺は陶器に入った赤い線を凝視する。白い陶器には赤い軌道が描がかれる。
性器は萎えずに脈打っている。血は止まらない。脈はつづまりそうに速くなり、そのたび血はあふれる。すべりおちた血は、陰毛に吸いこまれていく。
性器の先端に、液が染み出している。俺は先端をすばやく裂いた。裂けめはじわじわ赤く染まり、鮮血の雫を生む。雫はすべって、先端に滲みこむ。
目を細めた。ここで、白濁と鮮紅が混じりあう。俺の血だ。やっと見つけた。俺の血と心の血が交わっていく。
息を荒くした。俺は俺を傷つけたものを知らなくてはならない。ここに俺の傷口がある。
俺は硬い性器を鷲づかみにし、傷口をあぶりだそうと、その腫瘍を激しく揺すぶりはじめた。
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