甘く蕩ける夜
別に、すごくこの高校に憧れていたわけではない。寮の高校を探していたら、ちょうどこの高校のレベルが合っていた。もちろん、外部からの入学の試験レベルはけっこう高い。でも、俺は部屋にこもりがちで勉強はできたから、支障はなかった。居心地の悪い家にはもういたくなかった。
両親は俺がゲイだと知っている。そして、それを受け入れてくれなかった。高齢出産のひとり息子がゲイだと知って、母親はほとんど狂ってしまった。くずおれる母親を抱きかかえ、父親はなるべく早く家を出てくれと押し殺した声でつぶやいた。だから俺が寮のある高校に進んで、一番ほっとしているのは両親なのだ。
幼い頃から、溺愛並みにかわいがってもらって育った。その愛情のぶん、失ったものは大きかった。どこかで、とうさんとかあさんなら分かってくれると思っていた。でもやっぱり、自分の子供が「そう」だと、受け止めきれないものみたいだった。
俺の話を、恵波は黙って聞いてくれた。寮の部屋で、ふたりきりだった。恵波は俺にもたれて、「僕は水澪以外には打ち明けてないや」と言った。「そっちのほうがいいよ」と俺は返し、恵波のふかふかした髪を撫でた。恵波が肩からこちらを見上げ、俺たちは軽くキスをした。
「……恵波」
「うん?」
「恵波って……自分でしたり、する?」
「え」
「いや、その、俺──は、恵波でするから」
視線がもつれてから、恵波は頬を染めてうつむいた。俺は恵波の手をつかむ。
「そ、それは……僕も、水澪だけど」
「ほんと?」
「でもそんな、……できないよ。僕のルームメイトは、普通に部屋にいるんだから」
「……ここでは?」
「えっ」
「俺のルームメイト、けっこうこんなふうにここにいない──」
そのとき、かちゃっと鍵をまわす音がした。俺と恵波は、慌てて軆を離す。
すぐにドアが開いて、俺のルームメイトの葉鳥早凪が入ってくる。制服のままだ。長い前髪を無造作にヘアピンで留めているけど、それでもアシメトリーに髪が流れている。目も大きな飴玉のように大きくて、恵波より細くて華奢な骨格をしている。白い肌も、長い指も、もはや女の子に見えるので逆に俺の心は動かなかった。
彼は静かにこちらを見てから、何も言わずにつくえにばさっと荷物を下ろした。
「あ、えと、遅かったな。また帰ってこないかと思った」
「試験前の補習だった」
「早凪、意外と成績悪いもんな」
半年も同室生活をしていて、お互い名前呼びをするくらいにはなっている。「ほっとけ」と早凪は明るい茶髪をはらって、恵波を見た。「あ」と恵波は立ち上がって、俺を見返って曖昧に咲う。
「じゃあ、また夕食のときに」
「ああ。あの──」
「ん」
「何か、その、……ごめんというか」
恵波はくすりと咲って「今度ちゃんと話す」と言って、早凪には頭を下げて部屋を出ていった。俺はそれを見送ってから、かったるそうに椅子に腰かけている早凪に目を移す。
「今日は出かけないのか」
「出かけたほうがいい?」
「そういうのじゃないけど」
「試験期間中はひかえる」
「そっか。あのさ」
「うん」
「俺って、いつも早凪の留守をごまかしてるじゃん」
「そうだね」
「留守にする日を、前もって教えておいてもらえたりとか、できないかな」
「何で」
「え、いや──無理ならいいけど」
早凪はつくえを向いて、カレンダーを長い指でたどる。
「たいてい、その日まで分かんないからなあ」
「そうなのか」
何をしているのか当然気になるのだが、それは詮索しないことにしている。
「じゃあ、まあ、帰らない日はメモでも残して出かけるよ」
「ほんとに」
「代わりに、先公の対応は頼むよ」
「分かってる」
早凪は伸びをしてからつくえにばったり伏せる。「補習疲れた」とかぼやいて、「もうすぐ中間か」と俺も息をつく。
試験期間中は外出をひかえる。ということは、来週の中間が終わるまでは、恵波は部屋に連れこまないほうがいいのか。何かいろいろ溜まりそうな気がしたが、仕方ない。
「水澪」
「ん」
「さっきの奴って、友達?」
「えっ、ああ。クラスメイトだよ」
「ふうん……」
緊張して早凪を見たけど、早凪はつくえに伏せったまま、顔も上げない。気づかれた……だろうか。普通にいちゃついているところに割って入られたのだ。何というか、雰囲気が残っていたかもしれない。
何か訊かれるかと構えたが、早凪は突っ伏して何も言わず、言わないまま居眠りを始めてしまった。何だよ、と拍子抜けたものの、一応ほっとして、俺もベッドに転がってうつらうつらと夕食の時間になるのを待った。
そんなわけで部屋でしばし過ごせなくなるものの、試験という大義名分で遅くまで図書館を利用していいので、結局、俺は恵波と一緒にいた。二十一時ぎりぎりまで試験範囲を勉強して、暗くなった短い通学路を並行し、その途中で物陰に隠れてキスを交わす。やっと顔を離しても、指を絡ませてお互いの瞳の潤みを見つめる。
ふと恵波は、俺の胸にきゅっとしがみついて、「あのね」と小さな声で切り出した。
「何か、その……彼女できた友達いるでしょ」
「ん、ああ」
「こないだね、ちょっと話したんだ。そしたら、何か……彼女としたんだって」
「え」
「水澪のこないだの質問も、そういうこと、だよね」
「ん、……まあ、うん」
「僕も、その……したい、とか考えてるから」
「ほんと」
思わず食いつくように言ってしまったあと、我ながら恥ずかしくて謝ってしまう。恵波は首を横に振って、「でも」と俺のTシャツをつかむ。夕食のあとだから、俺も恵波も私服だ。
「やり方とかがよく分かんないというか。えと、……水澪が、僕に、するよね」
「まあ──そうだな」
「いきなり……できるかな。女の子でも、すごく痛いって聞くし」
「あー、ええと……いきなりはしないよ。ただ、何か……口でとかならできるかもって思う。やったことないけど」
「それで、いいの?」
「恵波が痛がることはしないよ」
咲ってしまって恵波の頭を撫でると、恵波はいっそうきつく俺に抱きついた。
「少し、怖い」
「え」
「水澪が優しくて。ほんとに、僕を大切にしてくれる。こんなに幸せでいいのかな」
「幸せに、できてる?」
「うん。すごく」
「俺のことばっか押しつけてないかな」
「そんなことないよ」
「………、試験が、終わったらさ。ルームメイト、また外出再開するらしいから。俺の部屋に来てくれる?」
「ん。行きたい」
「帰ってこない日、教えてもらえることになったから」
「えっ」
「恵波も……ルームメイトに、留守をごまかしてもらうの頼んでおけよ」
「水澪──」
「夜、ずっと一緒にいよう」
恵波は俺の胸に顔を押しつけ、「今回の試験、集中できるかな」と小さく苦笑した。俺も一緒に苦笑いしてしまう。
「そこはそれで、一緒に勉強しよう」と言うと、恵波はこくんとして軆を離した。もう一度、キスをする。それから、俺たちは寮に一緒に戻った。
翌週、中間考査が行なわれた。何となく、外部の生徒は成績が落ちぶれるわけにはいかないプレッシャーがある。俺も恵波も平均点はもちろん、学年で二十位以内の結果を死守した。ほっと胸を撫で下ろした日、夕方に寮の部屋に帰宅すると、無機質な白いメモ用紙がボールペンでつくえの真ん中に抑えられていた。
『赤点回避した。
今夜は帰らない。
早凪』
来た、と俺はそのメモを読みなおした。早凪が帰ってこない。ということは、恵波を連れこめる。朝まで。早凪が帰ってこないなんて当たり前だったのに、「マジだよな」なんてつぶやく。
俺は制服も着替えず、急いで部屋を飛び出して、一緒に寮に帰ってきた恵波を訪ねた。
寮には寮の食堂がある。並んで夕食を食べながら、俺も恵波も妙にぎこちなくて、目が合うとあやふやに咲った。
十月の後半にさしかかり、やっと気候が涼しさを帯びてきたのに、軆が変にほてっている。今夜のメニューのハンバーグの味も、それにかかるホワイトソースの匂いも、何だか分からない。
隣にいる恵波ばかり意識してしまう。急に笑い声とかが聞こえると、びくっとそちらを見てしまうけど、誰も俺と恵波には気づいていなかった。
夕食が終わると、やっと部屋で恵波とふたりきりになれた。二段ベッドの下のベッドサイドに並んで、しばらく言葉少なで、時計の針が響いていた。左側にいる恵波を見て、恵波は俺に上目を遣う。手を伸ばして、髪に触れて、頬をたどって包む。白い頬に、しっとりと赤みがさしている。
ゆっくり、唇を重ねた。恵波の肩を抱いて、いいよな、と頭の中で今夜ふたりきりなのを確認してから、頼りない知識で舌を伸ばして、恵波の口の中にさしこんだ。恵波の肩がわずかに硬くなって、でも俺の腰に腕をまわして、服の裾をつかんでくる。
恵波の口の中は熱くて、柔らかかった。舌に舌が触れて、まだちょっとすくみながらも、ひそやかに水音が立てて絡め合う。かすかに息遣いが荒くなる。恵波をもっと抱き寄せて、自分の心臓の脈が速くなるのを感じながら、頬に添えていた手を首筋に這わせて肩をつかむ。
少し唇を浮かせると、間近で瞳がぶつかって、うわごとのようにお互いの名前を呼ぶ。自分がすでにそうだったから、俺は恵波の脚のあいだに手をもぐらせた。恵波はびくんと身をすくめ、そこが昂ぶって硬くなっているのを俺は指で確認する。
「……見ていい?」
「ん……うん」
俺は恵波をベッドにそっと倒して、少し上下で見つめ合った。今度は、恵波が俺の頬に触れる。その瞳がこぼれそうに濡れている。
身をかがめて、さっきより激しく口づけをしながら、俺は右手で恵波のジーンズのジッパーを下ろした。下着越しに恵波のかたちを確かめて、取り出したそれを丁寧につかんで、ぬめった先端を親指でこすった。
刺激に恵波が身を震わせ、俺の耳元で息を喘がせた。どうしよう。かわいい。エロい。手を動かすと、恵波は目をつぶって俺の首に腕をまわして緩く痙攣する。先走った液体で、俺の手の中はすぐに溶けかけの雪をつかんだように濡れる。恵波のそれもさらに硬くなって、血管の動きが手のひらに伝わってくる。
口でするつもりだったけど、何だか、とりあえず手でするほうが驚かせないかもしれない。俺のほうもかなりやばかったけど、こんなに感じることに朦朧としている恵波に、無理にしてもらおうとは思わなかった。俺は滑りやすくなる手で恵波を握ってこすり、こぼれる甘い息と声はキスで何とか塞いだ。
舌の水音と、恵波の水音が、鼓膜を淫靡に刺激する。恵波がやっと薄目を開き、唇をちぎって俺の名前を呼んだ。覗きこむと、恵波はもう頬を真っ赤に上気させて、瞳も潤んで、ぞくっとするほど艶やかな表情をしていた。
「……るい」
「え」
「ずるい……僕も、水澪の……」
「………、恵波が気持ちいいなら、今日はこのまま恵波だけでもいいよ」
「やだ……僕も、させて」
恵波は俺の股間に手を伸ばした。それだけで腰を引きたくなりそうに敏感になっている。恵波は快感でおぼつかなくなっている指で、不器用に俺のジッパーを下ろした。
恵波の指先が俺を捕らえ、俺は思わず恵波の肩に顔を伏せて声を殺す。恵波の荒っぽい息に耳たぶに触れ、俺はまた恵波を捕まえている手を動かす。俺のほうも先走って、下着の中でべとべとになっていて、恵波のほてった指がそれを潤滑油にして絡みついてくる。
キスを繰り返して、それで乱れそうな声や息をこらえて、俺と恵波は手でお互いを愛おしんだ。腰と腰が近くて、硬くなったそれが少しこすれあって、我慢できない粘液が混ざる。先端をあてがいあって、腰を動かすとさすがに声が抑えきれずに息が引き攣る。
俺は恵波におおいかぶさり、恵波は俺にしがみつき、もうこらえられずに直接腰をこすりつけあった。逸った相手でぬめった手は握り合って、必死に声を喉までに留めながら動いた。
恵波が俺の手を爪が食いこみそうにつかんだ。その次の瞬間、恵波がびくっとわなないて、白濁が飛び散った。恵波のものがどくどくと溜まったものを吐いて、その湿りをすくいとって俺は自分をほんの少し揺すぶる。それだけでくらっとしそうな快感が腰を駆け抜け、俺も一気に達してしまった。
はあ、はあ、と呼吸がこだまする。しばらく動けなかった。俺が先に身を起こし、腹のあたりのふたりの白い濃い粘つきに笑ってしまった。
「何……?」
恵波がちょっと目を開けて、俺を見る。
「いや、何か……着替え持ってきてないよな」
恵波も腹を見下ろし、「脱ぐの忘れた」と精液が染みたTシャツを引っ張る。
「着替え貸すよ。ベッドにもちょっと染みてるな」
「……何か、すごくて。ごめん。考えられなかった」
「いいよ。シーツ換えれば済みそう」
俺は一度起き上がって、ティッシュをたぐりよせた。とりあえず手を拭いて、それから腹の上も脚のあいだも拭い取る。恵波のジッパーを上げて、自分もジーンズに収めた。それから、腕まくらするように恵波を抱いて、ベッドに横たわる。同じ目線になって、俺が微笑むと、恵波は潤いを残す瞳で恥ずかしそうに咲い返した。
「何か、……恥ずかしいね」
「そだな」
「僕ばっかり、何か、してもらった」
「俺もよかったよ」
「今度は、もっと僕がしてあげる」
「またしてくれるんだ」
「……うん」
「そっか。嬉しい」
恵波は俺の胸に抱きついて、顔を伏せた。俺はその頭を撫でて、伝わってくる恵波の温もりがすごく幸せだと思った。誰にも言えない関係だけど。誰かに言える幸福じゃないけど。それでもいい。恵波とこうして夜を過ごせて幸せだ。
「ちょっと眠たい」
「ルームメイト、帰ってくるのいつも七時くらいだから。ここで寝ていっていいよ」
「このまま寝てくれる?」
「もちろん」
恵波は俺にしがみつき直し、深く息を吐いてから睫毛を伏せた。俺はその髪をゆったりと愛撫していた。やがて、恵波の寝息が聴こえてくる。
男なのに男が好きだとか。親はそれを分かってくれないとか。こんなに好きなのに秘密の関係でいるしかないとか。
いろんなものが、もうどうだっていい。幸せが蕩けて、この体温さえ俺の腕の中にあるならよかった。ずっと自分の中を彷徨っていたけど、ついに出口を見つけたのだと思った。
だが本当の迷宮に閉じこめられ、くるくる変わる万華鏡の影に混乱するのは、これからだった。
【第三章へ】
