僕が好きでいたいのは
翌日、僕はココア色のベロアのミニドレスで出勤した。シースルーの姫袖チュールトップス、スカートはフレアになっている。〈ナーシャ〉に到着して、「おはよう」と声をかけると、カウンター内でかったるそうに煙草を吸っていた瑞砂くんが、「おはようございます」と返してきた。
僕は、おもむろに荷物をカウンターの椅子に置くと、もうひとつの椅子に腰を下ろした。瑞砂くんが怪訝そうに僕を見つめてくる。
「あのね、瑞砂くん」
僕はカウンターに身を乗り出し、瑞砂くんは訝しんだ色を見せる。
「僕たち、きちんと話をしよう」
「……話、ですか」
「僕、瑞砂くんのことよく知らないんだよね。興味なかったから。だから、話をして瑞砂くんを知りたい」
「俺のこと知ってどうするんですか」
「場合によっては、つきあうのを検討する」
瑞砂くんは胡乱そうに僕を眺めたのち、「今、ここで話すんですか」と紫煙を吐く。
「まあ、そうだよね」
「あんまり、あれこれ話せないですね」
「そう?」
「どこか別の場所なら」
「今から?」
「休日に」
「………、」
「咲羽さんと、どこか出かけたりしたかったし」
眉を寄せる。しかし、ママには知られていたとはいえ、ここでは瑞砂くんがゲイなのは秘密だ。確かに、ゆっくり話せないのは察せる。
「それって、デートなの?」
「デートですね」
やはりそうカウントされるのか。僕は目をそらして一考したけれど、「いいよ、分かった」とうなずいた。
「僕たち、一度デートしよう」
「いいんですか」
言い出したくせに驚く瑞砂くんに、「もし瑞砂くんが僕を幸せにしてくれると思うなら」と僕は背筋を伸ばして言う。
「僕も、素直にそれを受け止める」
瑞砂くんは煙草に口をつけて僕を見つめ、何やら意味深に笑うと、「分かりました」と煙草を灰皿につぶした。
「本気で咲羽さんを落としにいきます」
そんなわけで、その週末、僕と瑞砂くんはデートすることになった。
「できれば、女装しないでほしいんですけど」と言われたので、ゲイならそうだろうなと思ったので、僕は白の開襟シャツに赤のチェックのマキシシャツを羽織り、ジーンズを引っ張り出してそれを穿いた。
待ち合わせは十七時、じっくり話せるところということで、僕は瑞砂くんを〈ピーチィミルク〉の近所のゲイバーに連れていった。〈ピーチィミルク〉に行こうかとも思ったけど、行きつけを知られて顔を合わせるようになるのも面倒臭い。
せっかく男の格好だし、女禁制で女装では入れない店に行くのもいいだろうと思った。
「咲羽さんがよく来るところなんですか?」
エレベーターで八階まで上昇しながら訊いてきた瑞砂くんには、「たまに来るだけ」とだけ答えておいた。
〈ピーチィミルク〉では僕は泪音と酔っぱらったりするけども、このバーはそんな酔いどれを許す雰囲気ではない。ガラス張りの壁から夜景が見下ろせるような、おごそかなバーだ。周りの男たちも、いちゃつくよりしっとり見つめあって話をしている。
僕と瑞砂くんは、壁際のテーブルで向かい合い、ボーイがうやうやしく注文を取りにきた。酔いすぎてはいけないので、僕はマリブパインを注文した。瑞砂くんは、あんまりカクテルとか分からないようで、こういうときはカシスオレンジでも勧めておけばいいのでそうした。
「何か緊張しますね」
「そう? こういうとこ来ないの?」
「俺はクラブとかイベント行くほうが多いです」
「僕は、そういうのはあんまり行かないな」
「だって、女装してるんで入れませんよね」
「スカートまくりあげたら入れたりするけど……まあ、中入っても男の娘なんて空気だね」
「咲羽さん、女にしか見えないですし」
僕はくすりとして、「女にしか見えないのに、よくゲイが僕に惚れたね」と首をかたむける。
「最初は興味なかったです。男の格好を初めて見たとき、咲羽さんすっげえかっこよくて……今も心臓やばいんですけど」
「ふうん」と僕は頬杖をついて、かっこいいは大して嬉しくない、と思っても黙っておく。
「それに俺、元はストレートなんで」
「え」
「高校時代とか、女とつきあってました。大学のときに、女みたいな男に告られたんですよ。それが切っかけかな」
「今は女としないの?」
「しません。女って、セックスしても感じてるのか感じてないのかよく分かんないし、気持ち良くしてやるのがめんどくさい」
「まあ、男は勃つからねえ」
「分かりやすいとこがいいと思います」
「でも僕、わりと女の子が感じてるの分かるよ」
「女って平然と演技しますよ」
「僕がネコもやるからかな。分かるよ、演技かどうか。もちろん、よく分かんないのもいるけど」
「紗鈴ちゃんと寝たって言ってましたけど」
「え、ああ。まあね」
「感じてたと思います?」
「………、演技だったとか言われたの?」
「紗鈴ちゃんは、咲羽さんとのこと俺には何も言わなかったんで」
僕はあの夜の紗鈴ちゃんを思い返し、「お酒も入ってたから」とつぶやく。
「感じてた……んじゃない?」
「そうですか」
「はあ……。僕も、紗鈴ちゃんのこと、本気で落としにいってやると思ったのになあ」
そのとき、ボーイが注文したカクテルを運んできた。僕は受け取ったマリブパインを飲み、瑞砂くんもカシスオレンジを口にして「甘い」とつぶやいた。
「俺、紗鈴ちゃんの良さが、ほんとに分からないんですけど」
「まあ、顔かわいいし、おっぱい大きかったのが切っかけだよね」
「そんなもんですか」
「寝たとき思ったけど、あれはパイズリができるよ」
「はあ」
「パイズリできる女ってわりと少ないからね。ほんとに大きくないと、骨が当たって痛いだけ」
「ゲイにパイズリ語られてもですね」
「元ストレートでしょ」
「もう女の良さなんて分かんないですよ」
「男に染まったか」
「紗鈴ちゃんのこと、見た目だけだったんですか」
「放っておけない妹みたいな感じはあったよね」
「妹」
「紗鈴ちゃんはさ、実際とろかったよ。反応にぶいし、物憶えも悪い」
「ですね」
「だが、そこがいい」
「分からないです」
「僕があの子をフォローしなきゃって、使命感が燃えてくるんだよね。守ってあげなきゃいけないみたいな」
「……俺ももっと仕事ができなかったら、」
「いや、瑞砂くんがとろかったら、いらついただけだと思うから」
瑞砂くんはおもしろくなさそうな顔をして、カシスオレンジをすする。
「でも、紗鈴ちゃん辞めちゃいましたね」
「……そうだね」
「部屋とか知ってるんですか?」
「知らないよ。瑞砂くん、そのあと何か連絡あった?」
「いえ」
「僕は、紗鈴ちゃんを守れなかったんだなー……」
「紗鈴ちゃんが飛んだのが、俺の咲羽さんへの気持ちが切っかけなら、咲羽さんは悪くないですよ」
「もっとこっぴどく、瑞砂くんを振ってみせてればよかったのかも」
「それ、俺が複雑です」
「瑞砂くんの気持ちは知ったこっちゃないよ」
瑞砂くんは僕を見て、「ほんとに知ったことじゃないですか?」と僕の手に手を重ねた。僕はその手を見つめ、小さく笑うと握り返す。
「咲羽さん──」
「僕はね、男もいけるよ」
「はい」
「瑞砂くんはかっこいいとも思う」
「……はい」
「瑞砂くんは僕を幸せにしようとしてくれるとも分かってる」
「………」
「でも……ね、やっぱり、紗鈴ちゃんが好きなんだ。あの子が今どうしてるのか、僕が一番気になるのはそのこと」
「咲羽さん……」
「だから、僕はどうしても紗鈴ちゃんがもう一度咲ってくれるところを見たい。それが僕の幸せなんだよ」
「………、」
「瑞砂くんとつきあっても、何か……違うだけ。きっと、何か違うんだ」
瑞砂くんはうつむいた。僕は瑞砂くんとつないだ手を優しくほどき、「ありがとう」と瑞砂くんの頬に手を当てた。お酒のせいか、ほんのり熱い。
瑞砂くんは睫毛を伏せてため息をつく。
「俺、今、振られましたか」
「はい。振りました」
瑞砂くんは目を伏せたまま、頬を包む僕の手に手を当て、しばらく止まっていた。僕は黙って瑞砂くんを見つめた。
ふと半眼になった瑞砂くんは、「本気だったのになあ」は悔しそうにつぶやいた。
「紗鈴ちゃんは、もうどこに行ったのか分からないんですよ?」
「……うん」
「あの子がいないのをなぐさめるために、俺を利用してもいいんですよ」
「………」
「代わりにしても──」
「“代わり”はね、傷つくから」
「俺が?」
「僕が」
「………」
「僕、紗鈴ちゃんをそうやって傷つけたからね。瑞砂くんの代わりに思っていいから抱かせてなんて」
「……ひどいですね」
「うん。僕はそれも謝らないと」
「紗鈴ちゃんを探すんですか?」
「あてはないけどね」
「……そうですか」
瑞砂くんは大きな息を吐くと、僕の手を戻した。「分かりました」と言われて僕が見つめると、瑞砂くんは柔らかく微笑んだ。
瑞砂くんのそんな笑顔は初めて見る気がした。
「じゃあ、俺は咲羽さんを応援するので」
「瑞砂くん……」
「〈ナーシャ〉も、やっぱり九月いっぱいで辞めます」
「えっ。でも、そしたら──」
「実は、俺の友達が後釜やってもいいって言ってくれてるんです。俺の話聞いて、オカマバーってことも知ってるし。俺がゲイってことは知らない奴ですけどね」
「そう、なんだ」
「本物の男の娘、見てみたいとも言ってましたよ」
「また惚れられたら厄介だな」
「それはどうなるか分かんないですけど。とりあえず、このあとそいつに仕事頼んで、ママにも連絡しておきます」
「そう……そっか、ほんとに辞めちゃうんだね」
「寂しいですか?」
「……いや。大丈夫だよ」
僕は小さくため息をつくと、まじめな顔で瑞砂くんを見つめた。
「長いあいだ、お疲れ様」
「はい」
「今までありがとう」
瑞砂くんはうなずき、もう一度、優しく笑みを作った。それに対して、僕も初めて瑞砂くんにちゃんと穏やかな笑顔を返した。
冷たい男だと思ってきた。紗鈴ちゃんとのことがあって、嫌な男だとも思った。でも──いい男だったのかな。
それでも、僕に後悔はないけれど。
だって、紗鈴ちゃんが好きなんだ。あのどうしようもない女の子が好き。分かっている、僕は彼女には嫌われてしまっているかもしれない。それでも、あの子にもう一度、咲ってほしい。
そのために、僕は彼女のことを、まだあきらめずに想いつづけるのを選ぶのだ。
【第二十章へ】
