カップルごっこ
振り返ると、そこにいたのは美苗だった。ちなみに、彼はトリのステージにはいなかった。目が合うと、「やだっ」と青のカットソーに水色のシースルーっぽいスカートの美苗は、勝手に照れる。
「男版、やっぱめちゃくちゃかっこいいですねっ。タイプじゃないけど」
「……タイプじゃなくて何よりだよ。もう十人は断ったよ」
「モテそうですもん。えー、好みの人はいなかったんですか?」
「僕、今ってウケできるかなあ。タチはタチで、『あー、これが紗鈴ちゃんだったらなー』とか思いながら、突きまくるわけでしょ」
「あんまりよろしくないですね」
「でしょ。自分がそういうのされたら、いらっとするんでやらない」
「私も、雅乃じゃなきゃダメかもです。触られたら感じると思うけど、罪悪感あるっていうか」
「何か分かる。あ、雅乃は?」
雅乃もラストいなかったよなあ、と思って首をかしげると、「もうすぐここに来ます」に美苗は僕の隣に腰かける。
「私のほうが出番早かったから、上がるのも早かったんです」
「ふうん。じゃあ、泪音遅くなりそう?」
「泪音さんはさすがというか、着替えの早さとか神なので」
「今日も、ふわもこ上下を十秒くらいで着てたね」
「してましたねー。かっこいいなあ」
「泪音は『かわいい』のほうが喜ばない?」
「そうですけど。ダンサーとしては、やっぱかっこいいですよ」
「そんなもんか。まあ、すごいよね……美苗もすごいよ。あれ、別にはだか見せてるだけじゃないしなあ」
「踊りますからね」
「そう。体力、実は半端ないでしょ? 筋肉とかあるんでしょ?」
そう言って美苗の腕に触ろうとすると、「やだやだ」と美苗は僕の手をはらう。
「私に筋肉あるかは秘密ですー」
「僕は筋肉ないよ」
「そうなんですか?」
「ない。筋肉さえも落として、この細さを作ってるんだもん」
「あばら浮いちゃってる感じですか?」
「そこは脂肪つけてカバーしてる」
「ほんとに女子みたいな軆ですね」
「女装子だもーん」
僕がそう言ってグラスに口をつけていると、「僕のイケメーンっ!」と叫んだ泪音が、唐突に背中に抱きついてきた。
カクテルを噴きそうになって、「ちょ、飲んでるときやめて」と少し辛口の味を飲みこんで何とか言う。けれど泪音は、「うーんっ。かっこいい、かっこいい」と僕の頬に頬を寄せて聞いていない。挙句、僕の股間に手を伸ばしてくるので、僕は天井を仰ぐ。
「やめて……。髭がじょりじょりする……」
「嘘っ? 処理してきたよ?」
言いつつ、泪音はようやく僕を離れ、自分の頬や顎を触る。
「え? 待って、どのへん? どこ残ってる?」
「嘘だから、ちんこはやめて」
「何だ。えー、いいじゃん。僕、咲羽の大きいの好きだよ?」
「咲羽さん、大きいんですか」
美苗の視線に「普通だと思うけど」と僕が咳払いすると、「普通って言う奴ほど、でかいんだよ」と泪音は真顔で言う。
「まあ、やたらしゃぶらせて喉突いてくる男に限って、小さいですよねー」
「そう。ほんとにでかい男はね、『先っぽだけでもいいよ』って言ってくれるんだよ」
「分かるー」とはしゃぐ美苗と泪音に、僕はため息をついて、内心だけで同感しておく。
「てかさ、泪音、今日のうさぎかわいかったね」
下ネタが続くのもどうかと思ったので、僕が話題を切り替えると、「ほんと?」と泪音は空いている僕の右隣に座って、嬉しそうににこにこした。
「あれって、夢オチってこと?」
「うん。興奮した? 勃った?」
「エロかったと思う」
「えへへ、ありがと。ああいう、ストーリーある感じも僕は好きなんだよね」
「考えたのは泪音?」
「うん。あとのふたりも、僕が指名した子」
「……やっぱすごいや」
そう言って、僕はしみじみマリブコーラを飲み、そんな僕にしばたいたあと、泪音は「マスター、オレンジブロッサム」と手を挙げてマスターに注文する。ほかの客と談笑していたマスターは、「ごめんなさいね」とのその客に謝ってから、ジンベースのボトルを手に取ってカクテルを作りはじめる。
そのうち雅乃もやってきて、「リア充は消えろー」と泪音にやいやい言われ、美苗と雅乃は「ごゆっくりー」と言い返すと帰っていった。「ゆっくりするー?」と泪音に上目遣いをされ、「そういや明日、泪音と遊べたらなーと思って」と僕が返すと、「えっ」と泪音は長い睫毛をぱたぱたさせる。
「やだ、デート? デートのお誘い? どきどきしてきた」
「いや、服を見てまわりたいから、適当に彼氏みたいにしててくれたら」
「ひとりで行けよ」
「いきなりドス声出さないでよ」
「期待したわ、マジで」
「たまにしてくれてるじゃん」
「あれ、僕いなくてもよくない? 咲羽なら気づかれないし、もはや気づかれても大丈夫だよ」
「ダメ、やっぱ試着のときとか、外に味方いないと怖い。『いかがですか?』が死ぬほど怖い」
「死ぬほど」と泪音は他人事でからから笑う。
「てかさ、それなら通販すればいいじゃん。何でショップ?」
「女性サイズ表示だけじゃ、何を信じたらいいのか分からなくなるんだよ。十代の頃は大きめで何とかなったけどね。もう、試着が大事な歳なんだよ」
「おばさんみたいだねえ……女装専用のサイトもあるでしょ」
「それは、けっこうな確率で、ほかの男の娘と被る」
「……はあ。まあいいけどー。僕も明日はオフだし。カラオケ行きたーい」
「カラオケはつきあうけど、歌うだけだからね」
「分かってるよ。何歌う? あ、RAG BABY一緒に歌いたい」
「どっちが希咲?」
「僕は希雪のキーしか無理だよ」
「……希咲のキー出せるかなー。あー。あー」
「感じてるみたいな声」
「僕の本気の高音は、ここでは出せない」
「咲羽はボカロを歌うからなー」
「店で歌ってるうちに慣れたよね」
「それもすごいと僕は思う」
泪音が僕ににやにやして、僕はちょっと噴き出すと彼を肘で突いた。泪音も咲うと、綺麗なオレンジ色のカクテルを飲み、「うまー」と息をつく。
僕はマリブコーラを飲み干したけど、明日遊びに行くなら、ここに長居して飲むことはないだろうとお代わりはやめておく。トリの乱交ステージについても語り合ったりしているうち、泪音がオレンジブロッサムを飲み終えた。
「帰る?」と訊かれて、「数時間後に会うしね」と僕はうなずく。そんなわけで、僕たちは今日は六時になる前に〈ピーチィミルク〉をあとにした。
翌日というか同日だけど、僕と泪音は十二時に、ショップの並ぶアーケードが始まる騒がしい駅で待ち合わせた。
よく晴れていて、でも少し風が流れているのが気持ちいい。
僕はモスグリーンのブラウスに黒のフレアスカート、白のヒールを合わせてきた。泪音は一応彼氏をやってくれる気はあるらしく、さわやかな白いワイシャツにブラウンの細身のパンツを着ている。
「手ぐらいつなぐ?」と僕が言うと、「女バージョンとつないでもなあ……」と発言はしっかりゲイだった。
そんなわけで、僕は泪音を連れて、ネットで目星と在庫を確認しておいたショップをまわった。「彼氏さんイケメンですねー」と女の子のスタッフにしょっちゅう言われ、泪音は艶やかな笑顔で頑張ってくれている。
そのまま気を引け、と僕は目配せしてさっと試着室に入ると、監視カメラの有無を確認して、気になった服を試す。肩幅とか丈とかで、あきらめなくてはならないのもやはりあって、泣きそうになりながらそれはハンガーにかけなおす。
ダイエットで着れるようになるなら頑張るけれど、骨はどうしようもない。そんな感じで手に入る服と入らない服を徹底的によりわけ、そこそこショップのふくろを提げたすがたになった頃には、空が緩やかにピンクとオレンジを織り混ぜていた。
「もう無理だよー。女に向かって笑いたくないよー」
泪音がついに、僕を抱きしめて泣き言も言い出したので、「じゃあ、カラオケ行こうか」と僕は泪音の柔らかな髪をぽんぽんとした。周りから見たら甘える彼氏を癒やす彼女なので、生温い目で見られる。
「しゃぶりたい」とささやかれて、「いけません」とそこはきっぱり言っておくと、「夜はナンパに行く!」といきなり彼氏が大声で宣言したので周りがぎょっとした。「男漁り」と言わなかっただけ、泪音なりに気を遣ったのだろうが。
「はいはい」と彼女の僕が受け流すので、さらに二度見までされつつ、僕たちはスマホのマップをそれぞれ見ながら、カラオケボックスを求めて歩き出した。
「あ、こっちにある」
ふと泪音が僕の腕を引き、脇道に引っ張りこんだ。休憩とかエステとか案内所とか、そういう文字を道端に見つけて本当なのかと訊こうとしたら、前方にチェーンのカラオケボックスの看板が見えた。
とりあえず何か飲んで、それから歌おう。何歌うかな、とか思いながら歩いていると、「咲羽」とまた急に泪音が僕の腕を引っ張ってきた。
「何? カラオケあっち──」
「イケメン黒服」
「は……?」
泪音の視線をたどり、僕も目を開いた。
ちょうどカラオケボックスの前あたりを歩いている男のふたり組、その片方が瑞砂くんだったのだ。いや、彼も今日はオフだ。別におかしくはない。友達とのカラオケの帰りかもしれない。
カラオケ……というイメージは、ないけども。店でも歌うのはかわしている。いや、それでもカラオケボックスの前にいるし。ひとりじゃないし。友達の歌を延々と聞いていたのかもしれないし。
それでも、何となく気軽に声をかけられなかったのは、瑞砂くんがその友達には笑顔を見せていたせいだろうか。瑞砂くんの笑顔なんて、初めて見た。愛想咲いはいくらでも見てきたけれど。彼もあんなふうに、ちゃんと咲うのか。
ふたりが路地に引っこんだ僕と泪音に気づかず通り過ぎると、「あの人には、僕が彼氏と思われたくないでしょ」と泪音が言った。「えっ」とどきりと泪音を見つめてしまう。
「ど、どうして」
「だって、咲羽が彼氏とデートしてたよって何とかちゃんに話したらさ」
「あ……、ああ。そう、だね」
ぎこちなく答えた僕に、泪音は首をかしげて「何か僕、違うこと言った?」と心配してくれる。
「ううん。いや、ただ──びっくりしたからさ」
「びっくり」
「瑞砂くんって、店ではいつもやる気なさそうっていうか。咲わないし」
「何、笑顔に惚れたの?」
「違う。何か、変な感じがした」
「んー、まあ、確かに店での印象とちょっと違ったね。軽そうというか」
「そう! 軽かった。店ではめっちゃくちゃ面倒臭そうなのに」
「店では仕事だからじゃない?」
「……あー」
「みんなが、僕たちみたいに仕事楽しんでるわけじゃないしね」
僕は歩いてきた通りを振り返った。とっくに瑞砂くんの背中はなくなっていた。泪音はしばらく僕を見つめていたけれど、「とりあえずカラオケ行こ」と僕の肩を押した。
「あのカラオケ、ドリンクバーあったよね。もー、喉渇いたあ」
僕はショップのふくろを持ち直し、泪音と一緒にカラオケボックスに向かいはじめる。
友達には、瑞砂くんはあんなふうに咲うのだとしたら。紗鈴ちゃんはもちろん、僕もかなり好かれていないのかもしれない。
それはちょっと寂しいな、と思ったものの、かといって僕も瑞砂くんにそこまでの好意があるわけではないし、むしろ敵視しているところもあるし──
何だか、考えているともやもやしてきた。
「歌おう!」と僕は急にやる気を出す。泪音はまばたきをしたけど、「よし!」と僕の手を彼氏みたいに引っ張る。そして僕たちは、きっちりカップル様割引で、ロックもボカロも歌いまくった。
【第九章へ】
