蒼白い子供
僕には、命など邪魔物でしかない。
生命力とか、相互性とか、相対的とか、僕はそういうものをみすぼらしく感じる。人間の心が自然に一体化するなど、ありえない。関係とは、一方が耐え、一方が食いこむものだ。
生きた愛は、偽善的だ。僕はそんなものは信じない。ひとつに溶けあえる、真実の愛しかいらない。侵害しつくし、すべて剥奪し、虚ろとなった相手の心に自分の心をそそぎ、完全に同一になれる、支配的な愛しか。
僕の心には、血の気がない。冷たくこわばり、何も感じない。心の血とは感情だ。それがない僕の記憶は、極めて平板で、淡々と蒼ざめている。常に一定の不快感が低迷し、振り返っても目に留まる突出がない。特に子供の頃は、単調に降りしきる時間に紛れ、無彩色に霞みがかっている。
真空状態の心に表出されているように、僕は貧弱な子供だった。血色が悪く、手足は細く、せいぜいの表情はかすかに寄った眉くらいだ。
とりわけ、咲うという行為を切断されていた。咲う、と呼ばれる頬の筋肉の引き攣り具合は知っていたので、それをかたちづくるのは可能でも、脳の命令が下りない心の反射で咲うことはなかった。
外界になじめなかった。みなぎる活力を小麦色の笑顔で表現する子供たちの中で、僕はくたびれていた。僕とつきあっても、害悪的に無益なのは明らかで、健康な子供たちは本能的に僕を疎外した。
僕の心には何かがいた。拒絶反応のまま居座る臓器のような、水の中の一滴のあぶらのような、とにかく“僕”ではない異物がいた。かたちはなく、ただし吐き気として存在を体感させることがあり、陽炎のような屈折的な感触で、暗澹としている。
それの仕事は、自分の棲み処に、喜びや楽しみが流れないよう切り捨てることだった。哀しみや痛みをにぶらせ、優しさの原料をたくわえないことだった。怒りや虚しさを取り入れ、丹精こめて何倍にも育てることだった。
たまに、ひとりで泣いた。心の反射ではない、作りごとでもない、自分を支配する“それ”に怯えたとき、たまらない恐怖に涙をこぼした。どうか僕の中を去ってくれ、せめて奥に鎮まってくれと哀願した。“それ”は停滞して、僕が僕であるのを妨げ、こしらえた空洞に毒をそそぎ、飽和したとき僕を恐ろしいものに乗っ取ろうとしていた。
記憶の線路に立つ。迂曲も起伏もないその軌道は、気が遠くなりそうに遥か向こうまで見渡せる。靄がかかった寒色の道のりは、父親の怒号に始まる。
罵倒や暴力に、愛が秘匿される場合もある。だが、僕は幼く、屈折した愛を理解する機微など持ち合わせていなかった。愛どころか、何も知らない子供には、愛は感じさせてもらわない限り愛ではないのだ。
愛情と憎悪が緊密で、罵倒や暴力が一種の愛になるなんて、あの頃の僕は知らなかった。怒鳴れば嫌いなのだと短絡し、たたけば殺したいのだと直結した。父が母を虐待するのも、憎しみによる行為だと認識し、僕は家庭に愛を感じられなかった。
そして実際、僕の家庭には愛がなかったのだろう。父は腫れもので、少しでも気に入らないと、羞恥心の欠片もなく当たり散らした。十のうち九が癪に障り、たったひとつの完璧しか気に召さない。切れたらどんな異常も正当だと言い張り、それをこちらに強要する。超自然的な理解ばかり求め、でも母はいたって常人で、いつもいつも、取るに足らない理由で父に怒鳴られていた。
父が母をどう思っていたかは分からなくても、母が父に怯えていたのは確かだ。神経を削って気遣い、それでも怒られ、ときには引っぱたかれる。
僕はいつも、暗い寝室にうずくまっていた。だいたい母は、父に突き飛ばされ、どこか外で泣いてくる。母は僕を愛していたが、正直、父の世話で手いっぱいだった。僕もそれはよく分かっていたので、母の愛情表現が希薄でも黙認していた。
しかし僕が四歳のとき、母は父のでたらめにつきあいきれなくなった。
その日も母は父に怒鳴られていた。父がいらだちに任せて車でどこかに行くと、母は僕に見つめられながら荷物をまとめた。台所の引き出しから取り出した紙に何か書きこみ、印鑑を押すと、目立つようにテーブルに広げる。
僕は玄関までついていった。靴を履いた母は、僕の目線にしゃがむと、いつか迎えにくると一度胸に抱きしめた。花の香りがした。母が香水をつけるなんて、このとき知った。母が立ち上がってドアを開けても、僕は黙っていた。
行かないで。
そう言うには、母のすりきれた心を知りすぎていた。僕は無頓着でいるほかなく、鍵がかかって足音が遠ざかっても何も感じてはいけなかった。花の匂いが、長いこと軆に残っていた。
以来、僕は母の消息を知らない。
父は母の家出を受け入れられなかった。裏切られたと恥辱を憶え、身勝手だと憤り、男を作ったに違いないと決めつける。まったく自覚がなかった。父は自分が相手をめちゃくちゃに傷つけていることを知らなかった。結局、新しく女ができたことでやっと離婚届を提出すると、僕が五歳のときに再婚した。
とうに心が窒素していた僕は、新しい母となった女性になじめなかった。継母という立場につかれたせいではない。他者という時点で、考慮の余地もなかった。
僕は内界に閉塞し、外界と遊離していた。他者と“つながる”とか“まじわる”とかは隔絶された幻想だった。普通、人は人と関わると分かっていたけど、自分はそうなれないと分かっていた。信頼や疎通の基準がつかめない。心を共有していると相手の意志を断言するのが信じられない。絆となるべきものを切断され、根がなくて属すことができず、触手がなくて取りつくこともできず、孤立し、何もかも傍観していた。
いずれにせよ、その女性は僕との関係にさしたる努力をはらわなかった。父とのあいだに子供をもうけ、腹違いの妹ばかりかわいがった。来年にはお前は小学校に上がるのだから甘えるなと、父も娘に没頭した。家庭において、僕の孤独を侵すものは何もなかった。
母を想う。家を出ていって、母は救われたのだろうか。帰ってこないことを見るに、そうなのだろう。
母にとって、この家庭は拒絶すべき悪夢だった。父は凶器で、僕は重荷だった。迎えにくると言われたのを思い出す。本当かは分からなくても、母が家出で救われたのなら、あのとき自分を殺しておいてよかった。
小学校に上がっても、僕の感情はのっぺりとしていた。よそよそしく無口で、稀にしゃべっても、口調はやる気のない朗読のように平坦だった。話しかけられたら答えるが、積極性はなく、無関心に埋もれて目立たない。
僕が周囲を自分が存在する場所と思えないのと同じく、周囲も僕を自分たちの中に存在するものとは思えなかった。友達も仲間もなかった。
僕の存在には張り合いがなく、徹底的に無意味だった。属せない世界は僕に純然たる孤独を強いて、さらに自己を沈殿させた。いたたまれなかった。そんな自分を他人事のように眺めていた。僕にはつかみどころがなく、同級生に疎外されても、自分はそうされて当然だと何も感じなかった。
そんな僕がたったひとつ表す感情が、悪感情だった。例えば怒り。例えばいらだち。父の影響かもしれない。僕は少しでも神経に触れると、いらつきを吐き出さなければ、気がふれそうだった。
ただし、僕のそれは、父のようないらだたせたものへの理不尽なまでの罰ではなく、無軌道な爆発だった。泣き出し、わめき、物に当たる。それは、僕がゆいいつ剥き出しになるときだった。僕の被膜がぎりぎりまで薄まり、真実をつかみやすくなる好機だ。だが、そうやって自分を吐き出すたび、大人には叱責され、子供には疎隔され、しまいにはみんなに軽蔑された。
次第に、僕は神経がとがっても一時的に抑えつけるようになった。帰宅してから、まくらを壁に投げつけたり、裏山にのぼって木を蹴ったり棒で殴ったりした。
でも、抑圧に慣れるとそれすらしなくなって、悪感情を心に棲む“奴”にささげ、蓄積させた。僕は沈下し、そいつにのしかかられ、自分を幽閉していった。
【第二章へ】
