雪の十字架-14

不穏な人影

 そのあとも三人でのんびり雑談していたが、日がかたむいてくると「そろそろ、通信簿のコメント欄を埋める作業を再開せねば」と夕彩は立ち上がった。「先生って、地味に年末年始なさそうだよな」と俺が言うと、「ないな」と夕彩は真顔で肯定する。
 陽葵は食器を洗って、夕食の用意を始めるということで、俺ひとりが夕彩を見送ることになった。オーバーを着る夕彩に、俺も軽く上着を羽織る。「玄関まででいいぜ」と夕彩は遠慮したが、「ちょっと」と答えると、そこは親友の阿吽で察してくれた。
「年末は俺もいそがしくてさ、なかなか連絡取れなくて悪かった」
 ぐっと冷えこむ廊下に出て、玄関でスニーカーを履きながら夕彩が言う。
「まだ生徒は五年生だけどさ、中学受験増えてるし、そのへんの対応もあって」
「いいよ、俺もあの状態で、まともに話とかできてたか分からない」
「そっか。ま、陽葵ちゃんの存在が偉大でよかったよ」
 夕彩は俺の肩をぽんとして、「で、何か話か」と首をかたむけてくる。俺は夕彩の表情を窺い、「こんな話って思われるかもしれないけど」と声を低くする。
「心療内科行きはじめたのは、さっき話しただろ」
「うん」
「それで、先生にも引っかかるように言われたことがあって」
「引っかかる」
「夕彩も、……怖いと思わないか。あの日に俺の家族が殺されるとか」
 夕彩はわずかに眉を寄せたものの、「同じ日だな」とやはり偶然に違和感はあったのかうなずいた。
「それで……その、やっぱり、夢にも見るし」
「あいつの夢?」
「……『みんな殺す』とか言うんだ」
 俺の言葉に夕彩は瞳をやや厳しくさせ、「待てよ」と俺が血迷ったことを吐き出しかけているのをさえぎった。
「初栞たちのことが、幽霊がやった復讐とか言い出すなよ?」
「………、」
「瑞栞。それはない。だいたい、あいつがお前を怨んでるって話も考えすぎなところがあるんだ。好きだった女を救えなかったのは事実だ。でも、別に両想いとかつきあってたとかじゃないんだろ?」
「それは……絶対に、ない」
「お前が無力感を覚えるのも分からなくもない。でもやっぱり、それならあいつは、お前のこと考えてる余裕だってなかったと思う」
 唇を噛んだ。
 違う。違うんだ。俺は雪舞に本当はひどいことをしていたんだ。兄貴との行為のために部屋を貸した。貸した見返りにいやらしいことをさせた。そして、最後の日に雪舞を引き止めて受け止めなかった。
 せめて、誰かにこの真実を打ち明けたら楽になるのだろうか。そう思うけども、やはり自分の醜さについて話す勇気が出ない。夕彩にだったら話せるかもと、あの日から何度も何度も思ってきた。けれど結局、今日も踏み出せなかった。
「悪い、変な話して」
 そううつむいてしまうと、「あいつのこと気にするより、陽葵ちゃんのこと考えてやれ」と夕彩はドアノブに手をかける。俺はこくりとして、「外まで送るよ」と何となく夕彩と共に一度部屋を出た。
「幽霊とかはないけどさ、同じ日っていうのはきついな」
 エレベーターを待ちながら夕彩がつぶやき、「先生にも、あいつの死因に事件性はあったのかとか訊かれた」と俺は答える。
「あいつは自殺だったし。犯人が同じとか、そういうのはないって言っておいた」
「そもそも、お前とあいつに関連性がないから、仮に犯人がいる事件だったとしてもお前のとこには来ないだろ」
「先生には、何というか、『俺のせいで好きな女の子が死んだ』って話になってるから」
「語弊ないか、それ」
「あいつのこと、特定できるようなことは言えないよ。兄貴殺したことも言ってない」
「別に特定されてもいいんじゃね。お前がどう絡んでたかって話になるのが怖いか?」
 鋭利な夕彩の指摘に俺が黙りこんだところで、エレベーターが来た。誰も乗っていない。俺たちはそれに乗りこみ、一階に急降下していく。
「夕彩」
「うん」
「雪舞、はさ」
「うん」
「俺の気持ちは、知ってた……から」
 夕彩は俺を向いた。「告白してたのか」と問われ、俺は首を横に振り、「『金居くんの気持ちは知ってる』って言われてた」とつぶやく。夕彩は視線を正面にやり、「それで、そんなに罪悪感覚えてるわけか」と言った。そうじゃないけど、俺は特に否定せずに言葉を続ける。
「『助けて』ってはっきり言われたわけじゃない。だけど、もしかしてあいつは俺に頼りたかったんじゃないかとは、思うんだ」
「……そうか」
「俺が、もっと……察してやれてれば」
「でも、あいつって確か──」
 夕彩が言いかけたところで、一階に到着した。待っている人がいたので急いで降りて、エントランスを抜けてマンションの前に出る。
 あっという間に暗くなって、あたりにはネオンが灯っている。「マスコミとか」と夕彩が気遣ってくれたが、俺は左右と反対側の歩道を見まわして「たぶんいない」と言った。
「そっか。つっても寒いな。じゃあ、」
「『確か』、何?」
「ん? ああ、いや──何でもない。というか、俺、お前みたいにあの事件はっきり憶えてないし、記憶違いかも」
「……ほんとに?」
「………、あの頃、学校側があいつの事情知ってたとか報道があった気がするって話だよ。でも、真相は知らないしな」
 そうだったろうか。当時、報道は俺はあんまり観れなかったので分からなかった。
 学校側に、雪舞の事情を知ってる奴がいた……?
「あいつがお前を頼ろうとしてたかもしれないのは分かったけど、それでも、お前が責任感じることはないんだぜ。あんなもん、そもそも両親が助けろって話だろ」
「……そうだな」
「お前は幸せになっていいんだ。陽葵ちゃんとな」
「うん」
「じゃあ、無理だけはすんなよ。今は考えすぎずに、ゆっくりしてろ」
 夕彩はそう言って微笑むと、駅の方角へと歩き出した。俺はそれをぼんやり見送っていたが、ふと視線を感じて、マスコミかと警戒してマンションに入ろうとした。
 でも──正月くらい、あいつらも休むものだろうか。そう思って、一応ちらりと視線だけでかえりみると、みんな歩いている喫茶店方面の歩道の中で、立ち止まっている男がいた。
 フードを目深にかぶっていて顔は窺えない。それに、すぐ身を返して喫茶店の道へと歩き出してしまう。
 何、だろう。いや、道を間違えたことに気づいて、引き返したようにしか見えないのに、何だか胸がざわついた。感じた視線が、あの男からのものだったかだって、分からないのに──
 不安でちらちら振り返りながらエントランスを抜け、エレベーターで七階に戻った。ひんやりした廊下は静まり返って誰もおらず、思わずほっとしてしまう。
 部屋の前に行くと、例によって内線を聞いたらしい陽葵がドアを開けて待ってくれていた。「鍵置きっぱなしでオートロックを出ていかない」と陽葵にしかられて、俺はちょっと笑ってしまいながら、「ごめん」と部屋に入る。
 夕食の用意と言っても、おせちなので座卓の支度はもう整っていた。俺たちは向かい合って箸を取り、重箱の中につまった伊達巻きや筑前煮、栗きんとんなどをつつく。店で買うおせちと違い、味つけや工夫が陽葵のものなので食べやすい。
 くるみが和えてある田作りを食べつつ、俺は陽葵にさっきの男について話した。すると、陽葵の表情がみるみる曇って「大丈夫だったの?」と心配されたので、俺は慌ててうなずく。
「いや、ほんと──あれもマスコミかもしれない……というか、ほんと、ただの道間違えた人かも」
「おかしいって感じたんでしょ」
「おかしいというか。立ち止まってて何だろって、目についただけだよ」
 陽葵はししゃもの昆布巻きを頬張って、むずかしい顔でもぐもぐとしてから、飲みこむと言った。
「一応、警察に行ったほうがよくない?」
「えっ」
「だって、手がかりもまだでしょ? 犯人が瑞栞のところに来るかもなんて、私だけじゃなくて警察だって考えると思うし」
「いや、そこまで……」
「そこまでしていいの。瑞栞は今、ほんとに危ないんだから。怪しいって思うなら、伝えてもいいんだよ」
「怪しい、かな。フードはちょっとって思ったけど、冬だし普通な気もする」
「瑞栞。ほんとに犯人かもしれなかったらどうするの」
 俺は陽葵を見た。
 犯人。犯人かも。そう、俺もちらっと考えた。だけど──
「だいたい、私は瑞栞に警備がついてないことにも納得してないの。瑞栞も危ないんだってことを、もっと警察に分かってほしい」
 陽葵は真剣に俺を見つめてくる。その視線を受けているうちに、そうしたほうが陽葵も安心するなら、という気がしてきた。
 伊達巻きをかじり、「じゃあ、警察に電話で言っておく」とぽつりと言うと、陽葵はこくんとして「約束ね」と念を押す。俺はうなずいたものの、正月まで天森さんを仕事で煩わせていいのか分からなかったので、三箇日くらい明けてからということにした。
 翌日である一月二日の昼、スマホにマスターから『今、穂乃芽が来ているよ。』という短いメッセが届いた。
 穂乃芽ちゃん。もともと、喫茶店のヘルプに入っていたマスターの姪で、今年は高校一年生の女の子だ。俺と陽葵が客として通っていた頃に、ときどき顔を合わせていた。
 俺と陽葵はソファに並んでゆっくりしていて、「穂乃芽ちゃんが来てるって」と伝えると、「久しぶりだね」と陽葵は俺のスマホを覗きこむ。「ずいぶん店に顔出してないな」と俺がつぶやくと、「遊びにいってみる?」と陽葵がこちらを見上げた。
「行っていいのかな。休ませてもらってるところなのに」
「休んでるから、心配なんじゃない? 来てほしくなかったら、マスターも連絡してこないよ」
「そう、だな。二日ならまだ店閉まってるか。掃除とかしてるのかな」
「じゃあ、手伝いに行こうよ。私たち、初詣も行かなくて引きこもっちゃってるし」
 考えたあとに俺がうなずくと、「よし」と陽葵は立ち上がった。軽く身支度を整えると、手をつないで部屋を出る。
 マンションの前では、ふたりともやや警戒したものの、怪しい影や視線はなかった。
 息が白いくらい寒くて、歩道を行く人はあんまりいない。そのぶん、平日より車が行き交っていた。風が唸り声を上げて吹きつけてきて、十分くらいの道のりなのに軆の芯まで冷たくなる。
 階段をのぼった先の喫茶店のドアには『CLOSE』の札がかかっていたけれど、ドアを押してみるとからんとベルが鳴った。

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