雪の十字架-2

みじめな欲望

「あ、金居くん、」
 俺に挨拶しようとした雪舞を押し退け、玄関に踏みこんできた男がいた。え、と目をみはった俺を一瞥して、「部屋どこだよ」とその男は低い声で言った。
 ぽかんとしてしまうと、「金居くん、たぶん一時間くらいだから」と雪舞は言った。
 一時間? 何が?
 わけが分からずにいると、「この人とふたりきりになる場所がないから、金居くんの部屋を貸してほしかったの」と雪舞はとんでもない説明をよこしてきた。
 何。何だよそれ。
 この人、って、この男は誰だ? まさか雪舞の彼氏? 彼氏とふたりきりになる場所がなくて──俺の部屋?
「えっ、ちょっと、何か……」
 それって、俺の部屋がラブホみたいじゃん。
 そう言いたかったけど、男はずかずかと俺の家に入ってしまうし、「部屋はどこ? 二階?」と雪舞も急かしてくる。
 ここで、ふざけるなと追い返して当然だったのに、男の澱んだ眼光が正直怖くて、俺は「階段のぼって右の手前」と答えてしまった。それを聞くと、男は二階に上がっていき、雪舞もそれを追いかけようとした。
 が、いったん立ち止まって俺をかえりみると、「覗かないでね?」と釘を刺してきた。
 覗かないでって、まさか、俺の部屋で致す気じゃないだろうな。そうなれば、ガチでラブホあつかいではないか。
 ふたりが俺の部屋に入っていって、おいおいおい、と思いながら俺は自分の部屋の前に突っ立った。どこより気軽にまわせるはずのドアノブに、触れられない。中で話し声がしても、聞き取ることはできなかった。
 冗談じゃねえぞ、とドアに背中を当ててしゃがみこむと、頭を抱える。
 嫌な予感はしていた。いや、予感というか、分かっていた。人の部屋でそんなことまでしないと思いつつ、そうするためにふたりがここに来たことなんか、明白だった。
 かすかに雪舞の喘ぎ声が聞こえてきて、俺はコンクリが頭に落下してきたくらいのショックに茫然としてしまった。
 嘘だろ。何なんだよ、あの女。あれだけ確信めいた期待を持たせておいて、これはないだろ。
 だいたい、何で俺の部屋なんだよ。お前の言うことなら聞くと思ったからか? 確かに俺は雪舞がずっと好きだった、何か頼まれたら聞き入れていた、でも、それをこんなことに利用するって──最低の女じゃねえか。
 しばらく、というか、たぶん本当に一時間くらい、そうしていたと思う。背中を当てていたドアが不意に動いて、俺ははっと飛びのいた。
 ドアを引いて現れたのは、男のほうだった。いくつくらいだろう。二十歳ぐらいか? 俺や雪舞より年上だとは思う。
 長い前髪の奥から、相変わらず泥のような目が重く刺さってきたが、男は何も言わずに階段を降りていった。
 あんまりがっしりしない細身の背中を見送り、俺は生唾を飲みこんで、開けっ放しのドアから部屋の中を見た。
 そこでは、下着すがたの雪舞が服を身につけていた。完全にやってた奴じゃん、といよいよ黒い絶望感が垂れこめ、同時に裏切られたような怒りがぐらぐらたぎってくる。
 立ち上がって、部屋に踏みこんだ。そして、息を詰めてドアを閉める。
 ああ、もう。白濁の青臭さまでただよっている気がする。用意していた麦茶が、ちゃっかりと飲み干されているのも何だかいらついた。
 上半身にカットソーを着て、下半身はまだ白くほっそりした脚をさらす雪舞は、腰かけるベッドサイドから俺を見た。俺は何か責める言葉を投げつけようとするものの、どこから言えばいいのか分からない。
 雪舞は哀しいような仕草で睫毛を伏せると、「ごめんなさい」とつぶやいた。
「……は?」
「ちょっと、私の部屋ではできなくなって」
「でき……なくて、って」
「金居くんなら、協力してくれると思った」
「協力──なんか、するかよっ。ふざけんなよ、俺の部屋は無料のラブホじゃねえし、」
「無料とは思ってない」
「金なんかいらねえよっ。いいから、とっとと帰って二度と──」
「金居くん、私のこと好きでしょう?」
「はっ?」
「ごまかさなくても、分かってる」
「……好き、だけど。こんなのされたら、もう──」
「じゃあ、ちゃんと見返りはあげられる」
「何だよ。俺にも同じことでもさせんのかよ」
 雪舞は立ち上がると、俺に歩み寄って瞳を重ねてきた。長い睫毛がゆっくり動く。
 狼狽を悟られないよう、目をそらそうとした。すると、雪舞は俺の左手を華奢な右手でつかんでくる。
「同じこと、したい?」
 どくんと鼓動が跳ね返る。
 同じこと、って、それは……
「い、……いらねえ、あいつとやったばっかりのくせに、」
「汚れてるよね」
「……汚れてるよ」
「うん。分かってる。でも、私は金居くんにお礼をしなきゃいけないから」
「お礼なんていいから、帰っ──」
 言い終わる前に、雪舞の柔らかな唇が、俺の口をふさいだ。俺は目を開いて肩を硬直させる。
 雪舞は俺の半開きの口に舌をさしこみ、水音を立てて歯型をたどった。そして上顎を舌先でくすぐり、そんなところが敏感だなんて知らなかった俺は、つい身をわななかせる。
 雪舞は握った俺の手を自分の胸のふくらみに押し当てた。柔らかくて、でも弾力があって、初めての触感だった。雪舞が唇をちぎって、濡れた瞳でささやく。
「気持ち良くしてあげるから」
 息を止めていた酸欠で頭がくらくらして、雪舞の声は絡みつくように響いた。
「お願い、私たちに協力して」
「……ゆまい、」
「終わったあとは、必ずこうして金居くんにお礼をする」
 雪舞は俺の足元にひざまずくと、ジーンズのジッパーをおろした。ついで、躊躇うことなく俺のものを取り出すと、緩やかにしごいてから口の中に包みこんだ。
 熱く湿った柔らかい感触に、思わず息遣いが引き攣る。雪舞は俺を根元まで食んで、喉でぎゅうっと締めつけてくる。舌を脈打つ血管にまとわりつかせ、すするような音を立てて、俺の脚のあいだで頭を律動させる。
 反応なんかしたくないのに、どんどん硬くなって、せりあげる快感に腰が腑抜けそうになる。俺の膝が震えてくると、雪舞は自然と俺をベッドサイドに座らせ、俺の開いた脚のあいだに膝をついて、なおも吸いついてしゃぶってきた。
 雪舞の胸の谷間が覗ける。生脚の肌にも触れられそうだ。俺は目をつぶって耐えていたけど、ついに我慢できずに、雪舞の乳房に手を伸ばして揉んでみた。
 雪舞は少し肩を揺らしたものの、抵抗せずに俺の玉も口にふくんで転がす。手でこすられる自分の性器が、ぴくぴくと跳ねるのが分かる。
 俺はこんなことをされるのは初めてだったけど、雪舞がかなりうまいのは分かった。あの男に教わったのか、と理性で腹を立てようとしても、雪舞の絶妙な舌遣いに、怒りさえさらわれてしまう。雪舞の胸をやや乱暴にまさぐっていると、ますます勃起が猛った。
 雪舞は、強い刺激と緩い焦らしを繰り返し、俺を痛いぐらいに高めた。いきそうになっては、ゆらゆらと揺蕩い、なかなかいかせてもらえない。しかし、それを繰り返していると、さすがに限界が蓄積していく。
 急に大きく自分が反り返って、血管を浮かせて硬くなったのが分かった。「いきそう」という言葉が無意識にこぼれると、雪舞は俺を深く飲みこんだ。
 もう分からない。それが口が出していいということなのかも分からない。耐えられない。出る。出そう。いってしまう。もういい、雪舞に全部──
 その瞬間、どくっと快感がはちきれて、雪舞の口に吐き出していた。
 荒い息が残る。雪舞は口元を抑えながら、上を向いて俺の精液を飲みこんだ。俺をそれを見つめて、やっと自己嫌悪を覚えた。
 何だ。何やってんだ。最低だと思った女にしゃぶられて、こんなに翻弄されて、たっぷり射精してしまって。俺はこの女が好きで、その想いを利用されて、部屋をほかの男との情事に使われたんだぞ。ジッパーをおろされた時点で、押し退けるべきだったのに、何をこんな──
「ねえ、金居くん」
 うつむいていた俺は、目だけ雪舞に向ける。
「部屋を貸してくれたときだけじゃなくて、金居くんがしてほしいときは、いつでもこうして出してあげるから」
「……俺は、」
「だから、これからも、あの人と私に部屋を貸してくれない?」
 嫌だ。
 嫌だ嫌だ嫌だ。
 俺を何だと思ってる、この女。一度抜いてもらったくらいで、そんなことを承知するわけには──必死に頭に言い聞かせていたのに、精子を吐いたこころよい疲労感に囚われたまま、俺はうなずいてしまった。
 そうしたら、初めて雪舞が微笑んで……俺は、負けてしまった。

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