雪の十字架-20

すべてを語れば

 あのフード男のことをまずは陽葵に話さないとな、と思ったので、鷹の爪がきいた麻婆豆腐をごはんと飲みこんでから、「話していい?」と陽葵に訊いた。スープに口をつけていた陽葵はうなずき、「なあに」と首をかしげる。あったかい食卓なのに悪いな、と口ごもったが、俺は今朝あのフード男がまた現れたことを語った。
 陽葵の面持ちがみるみるこわばり、「大丈夫だったの?」とスープのうつわを座卓に置く。「大丈夫だったけど」と俺は赤い麻婆豆腐を緩くかきまぜる。
「何か、こっち見て笑ったんだよな。そいつ」
「笑った」
「……正月のときは、ほんとに、もしかして関係ない通りすがりかと思ったけど。やっぱ、俺につきまとってるのかな」
 陽葵は思いつめた顔でうつむいたものの、「ごめんな、嫌な話になって」と俺が謝るとそれには首を振る。しばらく考えこむように黙った彼女に、俺も無言で麻婆豆腐とごはんを口にふくんだ。ふと小さく息をついた陽葵は、お茶を飲んでから俺に顔を上げる。
「ねえ、瑞栞」
「ん」
「私、思うんだけど」
「うん」
「雪舞さんのこと、警察に話したほうがよくないかな」
「えっ」
「もしおかあさんたちや夕彩くんのことに、雪舞さんが関連してるなら、早く調べてもらったほうがいいよ」
「………、幽霊がやってる、とか、……そんなの」
「幽霊じゃなくて。飛躍に聞こえるかもしれないけど、もし、その男が雪舞さんと関係ある人だったらどうするの?」
 飛躍どころか、朝にまったく同じことを考えた俺は、どきっとして口をつぐむ。
「瑞栞が雪舞さんにひどいことしたって思ってるなら、昔こういうことがありましたって、話すのはつらいかもしれない。それはね、すごく分かるよ」
「………、」
「だけど、人が死んでるんだよ? それにこれから、瑞栞か、私か、どっちもか、殺されるかもしれない。だったら、雪舞さんが可能性として考えられるなら早く打ち明けたほうがいいと思う」
「……もし、関係なかったら」
「それは──まあ、考えすぎでしたねってなるのかもしれない。でも、瑞栞としてはゆいいつの怨まれる心当たりなんでしょ?」
「う……ん、まあ」
「天森さんに話してみない? 少なくとも、その男がまた来たことは話そう?」
 陽葵にじっと見つめられ、俺は顔を伏せた。あの男が現れたことは、天森さんに報告しなくてはならないと思った。しかし、雪舞のことまで? 俺があの女の子にやったこと──いや、何もできなかったことを話す?
 天森さんに話したら、そういうことがあったと警察には知れ渡ってしまうのだろう。それがマスコミとかにもれない保障はあるのか? もし雪舞のことを世間に知られたら、どんな顰蹙が来るのだろう。どれだけ軽蔑されるのだろう。
 それを考えると、怖くて、どうしようもなく怖くて、俺は視線が泳いで呼吸が苦しくなる。
「瑞栞」
「ん……」
「私は、幽霊なんてないと思うけど。瑞栞が、その気配を確かに感じてるくらいに苦しんでるのは、ずっと隣で見てきたよ」
「………」
「話して、ほんとのこと知ってもらったら、それも──怖い夢も、終わるかもしれないよ?」
 陽葵を見つめ返した。
 終わる。雪舞が現れる夢が終わる。そうなのだろうか。雪舞は俺を怨んでいると打ち明ければ、それは多少なりとも懺悔になるのだろうか。
「その男と雪舞さんが関係あって、おかあさんたちや夕彩くんを殺した犯人だったら、この事件も終わる。私と瑞栞だけでも助かることができるんだよ」
 助かる。陽葵と俺だけでも。いや、俺はともかく、陽葵が助かる。あの男が何かしら雪舞とつながっていて、俺を怨んでいる犯人だったら、あいつが逮捕されることで、陽葵が殺されずにすむのだ。
 雪舞の怨みから、陽葵を守ることができる。陽葵は絶対に傷つけたくない。もし俺自身も生きようと思うなら、失ってはならない。
 逆に考えて、心当たりだったのに黙っていたら、それこそひどいことではないか? 家族にも、夕彩にも、雪舞にだって。悪いことをしたと思っている。怨まれることをしたと分かっている。自覚があるなら、せめてみずから告白すべきではないのか。
 陽葵のためにも。雪舞のためにも。あのことを警察に話す。
 そうしたら、もしかして事件の犯人につながり、今一番大切な陽葵を守れるかもしれない。だとしたら俺は、どんなに引っぱたかれても、いくら蹴たくられても、陽葵のことを守りたい。
「分かっ……た」
 ゆっくり、かすれた声で俺が答えると、陽葵は一度まばたきをした。
「瑞栞──」
「話したら、陽葵だけは、失くさない……んだよ、な」
「……分からないけど、その可能性はあると思う」
「そ、……っか」
「つらければ、私も付き添うよ」
「……うん」
「警察に、話せる?」
「……陽葵を」
「うん」
「陽葵を、それで、守れるなら──話す。ただ、もしマスコミとかにも知られたら、たぶん俺にも批判は来るぞ。そしたら……」
「そうなっても、私は瑞栞のそばにいる。それは約束するよ。大丈夫」
「……ごめん。ほんとに……全部、俺があのとき雪舞を助けてればよかったんだよな。そしたら」
「いいの。それは、いい。だって、そのとき雪舞さんを助けてたら、瑞栞は私のことなんか素通りだったでしょ?」
 俺は陽葵を見つめ直した。陽葵はあやふやに咲って、「ごめんね、嫌な女だね」と首を垂らした。俺は急いでかぶりを振り、陽葵のそばに行くと、彼女を抱きしめた。
 そうだ。あのとき雪舞の手をつかんで、もし助けていたら、俺は今でもあの子を想っていた。陽葵に出逢っても、雪舞でいっぱいですれちがっていた。
 それは嫌だ。陽葵と出逢ってよかったと思っていたい。だとしたら俺は、雪舞を過去にするためにも、すべて話すべきなのだ。
 夕食のあと、意を決して天森さんに電話をかけた。何度目かで電話はつながったものの、天森さんもいそがしかったようで、会って話しこむなら後日ではどうかと言われた。無論、急にでも話したいことなのかとは確認されたが、雪舞とあの男のつながりに確証がない限り、急用かと訊かれたらそうではない。
「じゃあ、また今度会えたときに」と言うと、「なるべく早めにまた伺いますので」と天森さんは手短に電話を切ってしまった。天森さんの対応をそのまま陽葵に伝えると、「急用って言ってもよかったのに」と彼女はふくれたけれど、確信がないことを犯人の手がかりだの何だの言い、捜査を攪乱させるのは良くない気がする。
 それを説くと陽葵もしぶしぶ納得し、俺たちは入浴やら何やらを済まして、零時前に一緒のベッドに入った。
 今度天森さんに会うときにはすべて話す。覚悟したとはいえ、意識すると、緊張してなかなか眠れなかった。
 陽葵が先に眠りに落ちると、自分で言った「確信」について考えた。もし、あの男と雪舞のあいだに「確信」があれば、天森さんに手がかりとして自信を持って伝えることができる。でも、俺ひとりで、顔もはっきりしないあの男について探るなんてことは──。
 そう思ったものの、俺はふとスマホを見て、雪舞のことならネットで多少調べることができるのではないかと思った。十二年前の事件なので、手がつけられないほど情報があふれているということもないだろう。
 これまで、雪舞の事件を直視するのは避けてきた。当時の報道も見なかった。だが、もしそこに雪舞に彼氏がいたとか、それだけの情報でもあれば、あの男に近づけるかもしれない。
 俺は唾を飲みこみ、強く脈打つ心臓と硬くなる胃を抑えると、かすかに震える手でスマホを手にして、まず雪舞の名前を検索にかけてみた。
『女子高生が実兄を殺害して無理心中した事件』
『妊娠する腹を滅多刺し! 自ら命を絶った女子高生の闇』
『なぜ女子高生(当時十七歳)は、悲劇の前に親に助けを求めなかったのか』
 変わった名字だからか、思ったより的確に検索結果が表示された。画像検索の結果には雪舞の写真もあって、その顔立ちを見るのは久々だったから、息が苦しくなった。兄貴の写真も関連画像として表示された。ヒットするのは、まとめサイトのようなページが多くて、そこには雪舞の生い立ちから細かく追っているものもあった。
 幼い頃から兄に性的虐待をされていたこと。家庭内を押し隠すように学校では優等生だったこと。両親は兄の行為に感づいていたこと。それでも両親は雪舞に何も確認しなかったこと。やがて雪舞は妊娠し、そのことを学校の保健医だけに打ち明けていたこと──
 そこまで読んで、夕彩が言ってたのこれか、と俺はスワイプの手を止めた。学校側が雪舞のことを把握していたとか報道があったと、夕彩は言っていた。
 保健医。その保健医は、俺のことも知っているのだろうか。まさかその保健医があの男──言い切れないけど、さすがに短絡的か。
 その保健医は、今でも保健医をやっているのだろうか。母校に問い合わせて、当時の先生がいれば何か知っているかもしれない。校名を検索すると、今でも高校は変わらずあるようで、電話番号もすぐに分かった。明日気分が落ちてなかったら電話してみようか、と番号をコピペして登録しておく。
 そのあとも、雪舞の事件に関する記事を読みあさった。ここまであれこれあがっていると、もしかして雪舞が兄貴と俺の家に来ていたことを突き止めている記事もあるのではないかと不安になったけど、それはないようだった。
 両親が感づいて、場所が家の中から別の場所になったというところまで書いている記事もあったが、そこでは『行為はラブホテルで行われるようになった』という憶測が真実みたいに書かれていた。そういうデマで補完されているのを見ると、こんな記事を全部鵜呑みにするのもよくないなと思いとどまった。
 やっと目が霞んできて、スマホを充電につなぎなおしてベッドにもぐった。明かりは相変わらずつけていても、陽葵はよく眠っている。陽葵の寝顔を見つめながら、天森さんにちゃんとした証拠だと言えるように、明日は高校に電話しようと決めた。
 保健医のことから探ってみよう。その保健医に、雪舞は俺の知らないことも話していたかもしれない。陽葵の髪をそっと撫でて、起こさないように腕に抱き寄せる。この体温を守るためだ。俺はまぶたをおろし、スマホの画面に集中していたせいかかすかな頭痛を覚えつつも、眠りに飲まれていった。

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