悠久に凪いだ君を想う-2

君の家族

 悠紗と暮らしはじめて、パパにはもう何年も会っていない。パパは、街の外は生ゴミの臭いがするとか言っていた。そして今あたしは、悠紗と共についに外に出ている。
 九時前という朝陽が顔を出した時間なのに、人がたくさん出まわっていた。みんなコートやマフラーを着込み、なぜか黒や紺や茶といった地味な色で統一している。
 みんな同じ方向に群れて進んでいく。あたしはそれを、生ゴミというか、虫の隊列みたいに感じた。
「正月休み終わったけど、ラッシュだから人多いな」
 悠紗はそうつぶやいたあと、「モッシュじゃなくてね」とこちらににやりとする。揶揄われたあたしは、少々むすっとしてしまう。
 駅前に出ると、さらに人が増えた。人出だけなら、真夜中の天鈴町みたいでも、奇声や悲鳴はない。話し声ぐらいはしても、硬い靴音や冷たい風音がやけに響く。
 ほとんど人は駅に流れていくけれど、たまに逆流してすれちがう人もいる。悠紗はそれと器用にすれちがっていく。
 天鈴町でも、夜に出歩くときはあたしは無意識に混雑を抜けられる。なのに、今はすれちがうときにぶつかりそうになる。悠紗が言うには、「すれちがいざまによけることをしない人がいる」のだそうだ。
「え、ぶつかるじゃない」
「ぶつかるよ。チャリが直進してくることもある」
「危ないことが分からないの?」
「分かんないんだろうね」
 誰にそうしろと教わるわけでもないけど、天鈴町を歩くなら衝突する前に無言で相手を右によける。わざわざぶつかってくるなんて、因縁をつけたいチンピラくらいだ。外にはチンピラレベルの人間が多いのだろうか。
 駅構内は、さらに密集がひどかった。ざわざわと放射線状に人が行き交って、吐き気がうっすらこみあげる。
 そして怖い。確かにこれは怖い。人々の虚ろな目も怖い。あたしはついうつむき、悠紗の手を握りしめた。
「新幹線に乗ったら、シートもふたり掛けだから楽だよ」
「うん……」
 悠紗はてきぱきと改札を抜け、ホームまであたしを連れていった。目的の新幹線はすでに停車していて、予約が取れている車両に乗りこむ。
 座席が整列し、三分の二くらい席が埋まっていた。「景色、楽しいと思う」と悠紗はあたしに窓際を譲ってくれた。大量の人が圧迫してくるような空気はなくなったものの、何となく、自分が場違いな緊張感はある。
 悠紗は、背負っていた荷物をすいすいと座席の上や下にしまった。あたしの荷物も取り上げて収納すると、「座ろ」と座席に腰を下ろす。おとなしくあたしが隣に座ると、悠紗はスマホを取り出し、無造作に着信をチェックした。
「ん、とうさんだ。今日は千羽ちゃんが家にいてくれてる──ってさ。あ、千羽ちゃんっていうのは兄貴の奥さんね」
「写真で見たことある」
「見せたっけ?」
「結婚式の」
「あ、見せたな」
「そのとき、一緒におとうさんも再婚してたよね」
「きよ姉とねー」
「あと、実家にいるのは……お子さん?」
「そう。彩羽と飛羽とわ。俺と血がつながってるのは飛羽」
 確か、彩羽ちゃんが女の子で、飛羽くんが男の子だと聞いている。ということは、その子は悠紗の弟ということで──
 あたしはカメラロールをスワイプする悠紗を見て、いつ妹がいたんだろう、と思った。殺された、と言っていたけれど……
「あ、これ。彩羽と飛羽」
 悠紗のスマホを覗きこんだ。白と桃色のベビー服の女の子が、水色のおくるみの中で眠る赤ちゃんの頭を撫でている。
「まだ、どっちも赤ちゃんだね」
「彩羽は九月に一歳になって、飛羽はこないだ生まれた感じ」
「あたし、赤ちゃんとか大丈夫かな……」
「結音に懐かれてるじゃん」
「結音は、初めて会ったときはもう五歳だったし。すでにすれてたし」
 悠紗は笑って、「よだれとか嫌じゃなければ大丈夫だよ」と言った。「よだれ……」と正直複雑になっていると、車内にアナウンスが流れて扉が閉まり、新幹線は走り出す。
 そうして二時間半、さらに少し乗り換えもして、あたしたちは悠紗の家族が暮らす町に到着した。お昼前だけど、ごはんは例の千羽さんが用意してくれているらしい。
 改札を抜けると、駅に直結している歩道橋に出た。歩いている人はいるけど、混雑とは程遠くてのんびりしている。吹き抜けていく北風にマフラーを締めながら、階段を降りると、商店街の通りにつながっていた。
「商店街のソフトクリーム屋が、きよ姉の実家なんだ。商店街、昔に較べたら閉店した店もあるけど、その店は続いてる。すごいよね」
「すごいの?」
「すごいじゃん。あっち側にもアイス食べれるとこなんていくつもあって、長いことライバルだし」
 あっち、と悠紗がしめしたほう──駅をはさんで反対側に、モールらしきビルが集まっているのが見える。
「アイス食べる場所ってそんなにある?」
「ブランドだけでもいろいろあるよ? あと、カフェにもアイスってあるし、テイクアウトも多い。それがまたクレープだったり、フロートだったり」
「確かに、いっぱいあるね……」
「ね。きよ姉のお店、俺のとうさんが入ると下町感が出ないんだよなー。だから、とうさんは今も本業はリーマン。店番やってるおばちゃんに何かあれば、脱サラで手伝うって話はしてるみたいだけど」
 あたしがうなずいていると、急にどこからかチャイムが流れた。「え」ときょろきょろしてしまうと、「十二時になった奴だ。早く俺んち行こ」と悠紗はあたしの手を引いた。
 こちらも天気が良くてよかった。あたしの住む地域より、寒さも少しマシな気がする。もちろん、ぽかぽかするほどでもなく、強い風があたしの髪の流れを奪おうとする。
 駅前と向かい合った公園沿いを歩いて、マンションが並ぶ道を抜ける。やがて、外観の似た一軒家が建ちはじめ、その中のひとつに『鈴城』という表札の家があった。けっこう大きめの家だけど──六人で暮らしていると思えば、むしろ狭かったりするのだろうか。
 悠紗はチャイムを鳴らさず、鍵束を取り出して直接玄関を開けようとした。「いいの?」とあたしが気にすると、「彩羽か飛羽、寝てるかもだし」と返される。考えもしなかった気遣いに、なるほど、とあたしは黙って納得する。
 かちゃっと鍵をまわした悠紗は、「ただいまー」と中を覗いた。
「あ、悠紗くん?」
 家の中から、女の人の柔らかい声がした。思わず、心臓が硬くざわめく感じを覚える。「千羽ちゃん、久しぶり」と答えた悠紗は笑顔になった。あたしはその横顔を見ているけど、自分まで顔を見せて挨拶していいのか分からない。
「お、彩羽と飛羽も久しぶり」
「ゆうちー!」
「えっ。彩羽が俺の名前言えるようになってる?」
「毎日話題に出るし、テレビでも観てるからね」
「そっかー。テレビ出演の甲斐があるなあ」
「おかーさん、これ、ゆうち」
「ふふ、悠紗くんだねー。来てくれて嬉しいね」
「ねえねえ、このゆうち、さわれるの」
「いや、それ俺が二次元住人みたいじゃん」
「にじ……? お空?」
「ちょ、やめて彩羽。その連想、怖いから」
 その会話を聞いてあたしが咲ってしまうと、「お、毬音のデレ笑顔」と悠紗がこちらを見た。言い方にあたしがすぐ笑顔を引っこめると、「あ、彼女さんも一緒なんだよね」と家の中の声がはずむ。
「そう、やっと連れてきた。毬音、千羽ちゃんに挨拶してよ」
 悠紗に肩をぽんとされ、吐きそうに緊張がせりあげたけど、あたしはドアをもう少し引かせてもらって家の中を見た。
 玄関先のドアマットの立っていたのは、ふんわりした印象の女の人だった。あたしと同じくらい髪が長いけど、落ち着いた茶色で、緩くウェーヴがかかっている。垂れ目っぽい瞳はなごやかそうで、化粧の色合いも濃くなくて愛らしい感じだ。
 腕には赤ちゃんを抱いて、ロングスカートの脚にも幼い女の子がくっついている。女の子はきょとんと首をかしげ、「だれ?」と女の人──千羽さんを見上げた。
「悠紗くんの大事な人だよ」
「だいじ……」
「初めまして、鈴城千羽です。悠紗くんのおにいさんが、私の夫になります」
 あたしは慌てて頭を下げると、「は、初めまして」と頬に熱を覚えながら答える。
 どうしよう。あたしは今、どういうふうに見られているのだろう。悠紗の隣にいるなんて、厚かましいと思われたら──
「毬音さんでいいのかな?」
「あっ、はい」
「じゃあ、毬音さん。来てくれてありがとうございます。みんなで、悠紗くんがあなたを連れてきてくれる日を楽しみに待ってたんですよ」
 あたしは、顔を上げた。千羽さんはやはり柔和に微笑んでくれている。なのに、とっさにあたしは言葉も笑顔も出ない。でも──
 千羽さんが驚いた顔をしたのは分かった。だけど、あたしはこらえきれずに瞳を滲ませ、はらはらと涙をこぼしてしまった。
「あ……っ、す、すみませんっ。その、えっと、あんまり歓迎されると思ってなくて」
 言いながら涙をはらって取り繕おうとするあたしに、「毬音」と悠紗が落ち着いた声であたしの名前を呼ぶ。
「ごめん、悠紗。あたし──」
「毬音、大丈夫。俺の家族だから」
「……でも、あたし、」
「俺の家族は、毬音の家族でもあるんだよ。だから、千羽ちゃんも歓迎してくれてるんだ」
「家……族」
「安心していいよ。『家族』を教えてもらえなかった毬音はびっくりするかもしれないけど、こういうのが『家族』なんだよ」
 悠紗は片腕の中にあたしを抱き寄せて、頭もさすってくれる。自分がなぜこんなに泣けてくるのか分からない。でも、悠紗の言葉にはすごく安堵した。それと同時に、穿いているフレアパンツの裾を引っ張られて、はっとする。
 女の子──彩羽ちゃんが靴下のままあたしの足元に来て、あたしの服を引っ張っていた。彩羽ちゃんのどこか猫っぽい瞳は、うるうると心配に濡れている。
「なかないで。こわくないよ」
 怖く、ない。そうか。怖くないのか。怯えなくても、あたしは受け入れてもらえるのか。自分の親はあんなだったけど、悠紗の家族になら──
 悠紗は彩羽ちゃんの頭も撫でる。「いいこ」と彩羽ちゃんはくるくると表情を入れ替えて笑顔になった。千羽さんはそれに咲い返したあと、「毬音さん」と改めてあたしの名前を呼んでくれる。
「本当に、来てくれてありがとうございます。何だか、あなたが悠紗くんの大事な人でよかったです」
「……はい。こちらこそ、ありがとうございます」
 やっとお礼を言えて、あたし自身、ほっとした。そう、お礼を言いたかったんだ、あたし。でも、こんなにこみあげるみたいにお礼を言いたくなるなんて初めてで、確かにびっくりした。

第三章へ

error: